澄江堂遺珠 本文Ⅳ
[やぶちゃん注:次の左頁が次の佐藤春夫による一行標題。中央。]
或る雪の夜
次に澄江堂手記册より抄錄せんとするは
種々に書き改められて然も終に完成せざ
る一小曲なり。その内容に從ひて假に「或
雪の夜」と題す。甚しく出色の文字とも
見えざれども、故人がこれがために濺げる
苦心はこれを閑却し難きこものあるを思ひ
てこれを捨てざるなり。册子中このあた
りを繙き行けば詩に憑かれたるがごとき
故人の風貌のそぞろに髣髴たるものある
に非ずや、これを以下に見られよ。
[やぶちゃん注:「繙き」「ひもとき」と読む。]
*
かそかに雪のつもる夜は
折り焚く柴もつきやすし
こよひはきみも冷やかに
ひとりねよとぞ祈るなる
右の一章は左上より右下へかけて斜なす
直線によつて抹殺されあるものなるが、す
ぐ次の頁には第二行を記入せざる外は一
字も相違なきものを再記して同じく抹殺
せり。その直あとより
かそけき雪のつもる夜は
ココアの碗もさめやすし
こよひはきみもひややかに
ひとりねよとぞいのるなる
同じく抹殺せるも尚大同小異のものの記
入と抹殺を反復すること左の如し。
かそかに雪のつもる夜は
ココアの湯氣もさめやすし
きみもこよひは冷やかに
ひとりねよとぞ祈るなる
幽かに雪のつもる夜は
ココアの色も澄みやすし
こよひ
あ
こよひは君も冷やかに
獨りねよとぞ祈るなる
[やぶちゃん注:この三行目の空欄は底本では下部の横罫がない開放型である(凡愚の私ではどうしてもそれをワードでうまく表示出来なかった。御寛恕あれかし。これでも文字を透明にする(ブログでは見えてしまっているのはご愛嬌とお許しあれ)などして非常に苦労して作った)。後掲する新全集版『「澄江堂遺珠」関連資料』を見ると、「こよひ」で始まる幾つかの詞章のバリエーションが見えるから、そうした不定複数の抹消詞章を暗に示すものと私には思われる。少なくともこれは何字分を抹消したか確定出来ないという謂いでは「ない」と考えてよいよいと思う。以下、最後の二箇所(注を施してある)以外は総てがこの下方開放の長方形を成すが、以下は注しない。くどいが、このマスの大きさや開放・閉鎖は抹消字数を特定させるものではないことに留意されたい。]
幽かに雪のつもる夜は
ココアの色も澄みやすし
今宵はひとも冷やかに
ひとり寢よとぞ祈るなる
幽かに雪のつもる夜は
ココアの色も澄みやすし
こよひはひとも冷やかに
ひとり寢よとぞ祈るなる
右は兩章とも×を以て抹殺せり。その後
二頁の間は「ひとりねよとぞ祈るなる」は跡
を絶ちたるもこは一時的の中止にして三
頁目には再び
かすかに(この行――にて抹殺)
幽かに雪の
と記しかけてその後には
「思ふはとほきひとの上
昔めきたる竹むらに」
とつづきたり。さてその後の頁にはまた
幽に雪のつもる夜は
(一行あき)
かかるゆうべはひややかに
ひとり寢ぬべきひとならば」
(「 」中の八字を消してその左側に「ねよとぞ思
ふなる」と書き改めたり。
さてこの七八行後には
雪は幽かにきえゆけり
みれん
あ
とありて
*
夕づく牧の水明り
花もつ草はゆらぎつつ
幽かに雪も消ゆるこそ
みれんの
あ
と一轉して、さて
水は明るき牧のへも
花もつ草のさゆらぎも
みれんは牧の水明り
花もつ草の
あ
と別作の努力にうつりしも次の頁九行目
あたりより三たび
幽かに雪のつもる夜は
折り焚く柴もつきやすし
幽かにいねむきみならば
(一行あき)
ひとりいぬべききみならば}併記して對比
幽かにきみもいねよかし }推敲せしか。
[やぶちゃん注:「}」は底本では二行に亙る大きな「}」である。]
その後四頁目より改めて反復連續するも
の次の如し。
ひとり あ
雪は幽かにつもるなり
きみも今宵はひややかに
ひとりいねよと祈りつつ
幽かに雪のつもる夜は
ひとり胡桃を剝きにけり
きみも今宵はひややかに
ひとり寢ねよと祈りつつ
幽かに雪のつもる夜は
ココアを啜りけり(消)
ひとり胡桃を剝きゐたり
こよひは君も冷やかに
ひとりいねよと祈りつつ
幽かに雪のつもる夜は
折り焚く柴もつきやすし
幽かにひとりいねよかし
ひとりいねよと あ
幽かに雪のつもる夜は
君も幽かにいねよかし
ひとり あ
しら雪に夕ぐれ竹のしなひかな
君もかなしき小夜床に
ひとり あ
あ
しら雪も
幽かに今はつもれかし
きみも(消)
幽かにひとりいねよかし
かかるゆうべはきみもまた
幽かにひとりいねよかし
ゆうべとなればしら雪も
幽かに窓をおほへかし
さては(消)
ゆうべかなしき
幽かに雪のつもる夜は
折り焚く柴もつきやすし
「思ふはとほきひとの上」
幽かにひとりいねてがな
の如き窮餘の句法も現はるるに到つて未
だ適歸するところを見出し得ざりしも、更
に再起して
ひとり葉卷をすひをれば
雪は幽かにつもるなる
こよひはひともしらじらと
ひとり小床にいねよかし
ひとりいねよと祈るかな
幾度か詩筆は徒らに彷徨して時には「いね
よ」に代ふるに「眠れ」を以てし、或は突唐に「な
みだ」「ひとづま」等の語を記して消せるも
のなどに詩想の混亂の跡さへ見ゆるも尚
筆を捨てず、最後には再び
幽かに雪のつもる夜は
折り焚く柴もつきやすし
「思ふはとほきひとの上」
幽かにひとりいねてがな
のごとき無意味なる反復ありて然も詩魔
はなほ退散することなく更に第何囘目か
を出直して
ひとり葉卷をすひをれば
雪はかすかにつもるなり
こよひはひともしらじらと
ひとり小床にいねよかし
ひとりいねよと祈るかな
ひとり葉卷をすひ居れば
雪はかすかにつもるなり
かかるゆうべはきみもまた
ひとり幽かにいねよかし
ひとり葉卷をすひ居れば
雪はかすかにつもるなり
かなしきひともかかる夜は
幽かにひとりいねよかし
(ひとり胡桃を剝き居れば
(雪は幽かにつもるなり
(ともに胡桃を剝かずとも
(ひとりあるべき人ならば
とあり、この最後の意を言外にのこしたる
一章には大なる弧線を上部に記して他と
區別し、些か自ら許せるかの觀あり。かく
て第二號册子の約三分の二はこれがため
に空費されたり。徒らに空しき努力の跡
を示せるに過ぎざるに似たるも、亦以て故
人が創作上の態度とその生活的機微の一
端とを併せ窺ふに足るものあるを思ひ敢
て煩を厭はずここに抄錄する所以なり。
[やぶちゃん注:最後の詩篇の頭の部分は佐藤が注するように、底本では巨大な一つの「(」(弧線)である。]
又册子第一號に「雪」と題せる
初夜の鐘の音聞ゆれば
雪は幽かにつもるなり
初夜の鐘の音消えゆけば
汝はいまひとと眠るらむ
とあるは前記苦心の一章の完成の姿とも
見るを得べし。
なほ
*
ひとり山路を越えゆけば
月は幽かに照らすなり
ともに山路を越えずとも
ひとり眠ぬべき君ならば
この一章も前期の「或る冬の夜」の連作につ
づきて記入されてある別作なるが、これ亦そ
の情緒に於ては「或る冬の夜」の連續と見る
べし。
ここにこれを補ふ所以なり。右の一章に
つづきて左の斷章あり。これ亦連作とし
てこれを見るとき感慨甚だ深からずや。
雨に濡れたる草紅葉
侘しき野路をわが行けば
片山かげにただふたり
住まむ藁家ぞ眼に見ゆる
きみとゆかまし山のかひ
山のかひには日はけむり
日はけむるへに古草屋
草屋にきみとゆきてまし
きみとゆかまし山のかひ
山のかひには竹けむり
竹けむるへにうす紅葉
うす紅葉ちる あ
きみと住みなば }
山の峽
ひとざととほき(消)}
山の峽にも日は煙り
日は煙る あ
[やぶちゃん注:「}」は底本では二行(空きなし)に亙る一つの括弧で、その下に「山の峽」が配されてある。]
即ち知る個人はその愛する者とともに世
を避けて安住すべき幽篁叢裡の一草堂の
秋日を夢想せる數刻ありしことを。
これを册子第一號中に戲れに⑴⑵と題し
たる左の二章
汝と住むべくは下町の
水どろは靑き溝づたひ
汝が洗湯の徃き來には
晝もなきづる蚊を聞かむ
戲れに⑴
汝と住むべくは下町の
晝は寂しき露路の奥
古簾垂れたる窓の上に
鉢の雁皮も花さかむ
戲れに⑵
[やぶちゃん注:ここに図版「漫畫筆蹟」が入るが、掲載は注の後に回した。]
と對照する時一段の興味を覺ゆるなるべ
し。隱栖もとより厭ふところに非ず、ただ
その地を相して或は人煙遠き田圃を擇ば
んか、はた大隱の寧ろ市井に隱るべきかを
迷へるを見よ。然も「汝と住むべくは」の詩
情に於ては根蒂竟に一なり。
[やぶちゃん注:「根蒂」は「こんたい」と読む。原義は根と蔕(へた)で、転じて、物事の土台、よりどころの意。根蔕。「雁皮」は古く奈良時代から紙の原材料とされてきたフトモモ目ジンチョウゲ科ガンピDiplomorpha sikokiana を指し、初夏に枝の端に黄色の小花を頭状花序に七から二十、密生させるものであるが(グーグル画像検索「雁皮の花」)、どう考えても地味な花で、それをまた鉢植えにするというのは、如何にも変わった趣味と言わざるを得ない。そうした不審を解いてくれるのが、後掲する本テクストの末尾の神代種亮の「卷尾に」という文章で、神代はそこで「雁皮」について、これ『は事實から看て明かに「眼皮」の誤書である。雁皮は製紙の原料とする灌木で、鉢植ゑとして花を賞することは殆ど罕な植物である。眼皮は多年生草本で、達磨大師が九年面壁の際に睡魔の侵すことを憂へて自ら上下の目葢を剪つて地に棄てたのが花に化したのだと傳へられてゐる。花瓣は肉赤色で細長い。』と記している(「罕な」は「まれな」と読み、「稀」と同義。「目葢」は「まぶた」)。まさにこれは目から鱗である。これはジンチョウゲ科のガンピではなく、中国原産で花卉観賞用に栽培されるナデシコ目ナデシコ科の多年草である別なガンピ(岩菲(がんぴ)) Lychnis coronata であったのである。こちらのガンピ(岩菲)は茎は数本叢生し、高さは四十~九十センチメートルほどになり、卵状楕円形の葉を対生させ、初夏に上部の葉腋に五弁花を開くが、花の色は黄赤色や白色といった変化に富む。グーグル画像検索「Lychnis coronata」でその鮮やかな花を見られたい。これは確かに神代の言う通り、「雁皮」ではなく「岩菲」に違いない。]