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2015/01/31

耳嚢 巻之九 其境に入ては其風をかたく守るべき事

 其境に入ては其風をかたく守るべき事

 

 石川某、大御番を勤(つとめ)し頃、いづれの宿にやとまりけるに、風雨烈敷(はげしく)、殊外(ことのほか)あれけるゆゑ、主人よりも夫々申付(まうしつけ)ぬるに、此宿のあるじ、當所はかかる荒(あれ)の節は外へは人を出し不申(まうさざる)事にて、人馬の賃錢さへ受取に不參(まゐらざる)なり、必(かならず)御供の面々も外出をとゞめ給へといふ故、二三人合宿(あひやど)なれど、銘々主人より用達(ようたし)へ申付(まうしつけ)、外出を禁じけるに、同宿の御番衆の家來中間用達へ、先刻建場(たてば)にて草履(ざふり)の錢を貸(かし)たり、取(とり)に行度(ゆきたき)由を申(まうす)に付(つき)、主人よりの申付なれば決(けつし)て難成(なりがたし)と申(まうす)を、承知なして、又候(またぞろ)來り同樣相願へども、難成と再々應(さいさいおう)さし留(とめ)ぬれば、次の間の葛籠(つづらかご)など積(つみ)たる所に臥(ふせ)り居(をり)けるが、用達もの、渠(かれ)が樣子心許(こころもと)なく、立廻(たちまは)り搜しけるに最前臥(ふし)たる所に見へざれば、所々搜しけれど不見(みえざる)故、亭主を呼び猶(なほ)火をともし隈々を搜すに見へず。しかれば外へ出(いで)ぬらんと尋(たづね)しに、亭主答へけるは、こよひの如く大荒(おほあれ)の日は異變ある事、此土地のならはしなれ、見給へ、口々には錠締(ぢやうしま)りして決して出給ふ事なりがたしといふ。さるにても不思議なりとて、猶(なほ)火を燃しくまぐま尋(たづぬ)るに、大戸(おほと)締(しま)りあれど右戸に一寸斗(ばかり)もあらん、ふし穴あり。其穴の邊より其あたり血流れたゝへ、節穴も血に染(そみ)けるゆゑ、扨は右の穴より引(ひき)や出しけん、妖怪の所爲(しよゐ)なりと、いづれも舌をふるひ恐れけると也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。本格怪談物。失踪と血だけ。これが怖い。

・「石川某」この人物、先行作に「石川某」以外に「石川翁」というのもあり、次の項に「石川翁」がまた出るから、これは恐らく総て同一人物と思われる。「翁」と呼ぶ以上は、「卷之九」の執筆推定下限の文化六(一八〇九)年で根岸は七十二歳であるから、それより高齢の人物で、宿場町を忘れているというのも納得出来る気がする。
 
・「大御番」大番。何度も注してきたが、ここでは交替の大番衆の一行で、人数も多いことが知れるので、この辺りで、ウィキの「大番を用いて再注しておく。『江戸幕府の組織の一つで、常備兵力として旗本を編制した部隊』。『常備兵力としての大番は、同様の組織である五番方(小姓組、書院番、新番、大番、小十人組)の中で最も古く』、天正一四(一五八六)年頃に『徳川家康が徳川家の軍制を変更した際に編制されたと考えられている』文禄元(一五九二)年に行われた江戸城改築に伴い、当時あった六組の屋敷地を『江戸城北西側に設けている(千代田区には一番町から六番町までが静岡市葵区には一番町から八番町までの町名が現在も残る)。開幕前の大番は松平一族や家康の縁類が番頭に就く事が多く、この当時は後の両番のような親衛隊的側面も有していた』。大番は当初は六組、『その後の増強と幕府制度の整備にともない、本丸老中支配として』十二組となり、『徳川秀忠が将軍に就任し、書院番・小姓組(創設当初は花畑番)が新たに創設されると親衛隊側面はそちらに移行し、大番は幕府の直轄軍事力となってゆく。そのため、将軍・大御所・世子の親衛隊ではない大番が西の丸に置かれる事はない』。一つの組は番頭一名・組頭四名・番士五十名・与力十名・同心二十名で構成され、番頭は役高五千石の菊間席で、『しばしば大名が就任した(開幕初期はその傾向が特に強い)。組頭は』役高六百石躑躅間席、『番士は持ち高勤め(足高の制による補填がない)であるがだいたい』二百石高の旗本が就任した。『役高に規定される番士の軍役から計算した総兵力は』四百人強となり、二万石程度の大名の軍役に匹敵した』。『職務は、戦時においては旗本部隊の一番先手として各種足軽組等を付属した上で備の騎馬隊として働き、平時には江戸城(特に二の丸』『下および要地の警護を担当する。大番の警護する要地には二条城および大坂城があり、それぞれに』二組が一年交代で在番した。この石川某はその二条城或いは大坂城大御番で、役格は番士クラスか。

・「用達」岩波版長谷川氏注に、『用達役。必要なものを調達する役』とある。

・「建場」立場が一般的表記。五街道やその脇街道に設けられた宿場と宿場との間に於いて、主に人足や駕籠舁きなどが途中休憩をするために設けられた場所。継立場(つぎたてば)・継場とも称した。ウィキの「立場」によれば、『原則として、道中奉行が管轄した町を言う。五街道等で次の宿場町が遠い場合その途中に、また峠のような難所がある場合その難所に、休憩施設として設けられたものが立場である。茶屋や売店が設けられていた。俗にいう「峠の茶屋」も立場の一種である。馬や駕籠の交代を行なうこともあった。藩が設置したものや、周辺住民の手で自然発生したものもある。また、立場として特に繁栄したような地域では、宿場と混同して認識されている場合がある』。『この立場が発展し、大きな集落を形成し、宿屋なども設けられたのは間の宿(あいのしゅく)という。間の宿には五街道設置以前からの集落もある。中には小さな宿場町よりも大きな立場や間の宿も存在したが、江戸幕府が宿場町保護のため、厳しい制限を設けていた』。『現在、五街道やその脇街道沿いにある集落で、かつての宿場町ではない所は、この立場や間の宿であった可能性が高い』。

・「大戸」「おおど」とも読める。家の表口にある大きな戸。

・「一寸」三・〇三センチメートル。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 「郷に入ったら郷に従え」という諺は堅く守らねばならぬという事

 

 石川某が大御番を勤めて御座った頃のこと――何処(いずこ)で御座ったか、昔のことなので失念致いた――同じ大御番衆らと、とある宿場に泊まったことがあった、そこでの出来事と申す……

 

……その日は、風雨激しく、殊の外、大荒れに荒れて御座ったれば、我らは、じきに供の者どもへ、

「――それぞれ、重々用心なすように。」

と、申しつけておいた。

 すると、すぐ、宿の主人よりも、

「……当所にては、このようなる荒れの折りは、これ、決して外へ人を出さぬこと、これを掟てとしてごぜえやす。……そうさ、宿入りの後に、まま参る駕籠や馬の賃銭の受け取りさえも、これ、参ること、ごぜえやせん。……さればこそ、ご覧の通り、皆、立て切ってごぜえやす。……どうか必ず、お供の方々のご外出も、これ、堅く、お留め下さいますよう、お頼(たの)申します。……」

と申し出のあったによって、二、三人の大御番衆朋輩(ほうばい)も同宿であったによって、それぞれの主人より、雑貨日用の品なんどの用達役(ようたつやく)の使用人を呼びつけ、堅く申し付けて、外出を禁じた。

 ところが、さる御仁の中間(ちゅうげん)が、用達役(ようたつやく)の者に、

「……ついさっき、宿場の手前の立場(たてば)にて、分宿なさっておらるる御番衆の、知れる中間に草履(ぞうり)の銭を貸したんで。そいつをちょいと、返えしてもらいにいきてえんだが。」

と申し出て参った。されど、用達(ようたつ)の男は、

「――ご主人さまよりの、きついお申し付け、これ、御座ったによって、決して、ならぬ!」

と厳しく制したれば、

「……へぇ!……」

と一度はしぶしぶ承知致いたものの、またぞろ、同じことを何度も執拗(しつこ)く繰り返し乞うて参る。

 用達(ようたつ)の男はその都度、突っぱね、

「だめじゃと言うら、だめじゃ!」

と禁足を厳命した。

 そのうち、結局、諦めたものか、控えの間の、道中葛籠(つづら)などを積み上げた所に、ふて腐れて、ごろりと横になったを見た。

 しかし、暫くしてこの用達(ようたつ)の男、どうもその中間の態度が、なんとのぅ心に引っ掛かったおったによって、様子を見にいってみれば、さっきふて寝しておったと思うた所には、これ最早、姿が――ない。

 あちこち泊まれる階を捜し廻ってみても、これ、やはり――おらぬ。

 宿中、厠の内なんどまでも覗いてみたが、これ、やはり――おらぬ。

 されば用達(ようたつ)の男、宿の主人を呼び、燈(ともし)を持って来させ、表の三和土(たたき)や土間の暗がりの隅々まで、捜しみたれども、これ、やっぱり、何処にも――おらぬ。

 されば、用達(ようたつ)の男、

「……さても……これ、外へと出た、か……」

と呟いたところが、宿の主人、これ、大きに驚き、

「……此度(こたび)の如く大荒れの日は、これ……必ずや、何ぞ妖しき怪異のあると……当地にては言い習わしてごぜえやす。……さればこそ、ご覧下せえやし! もう、あなたさま方がお着きになられてすぐに、出入り口という出入り口には、これ、ほれ!――心張り棒を差しおき、押しても引いても動かんようにした上――用心にも用心を重ね――かくも枢(くるる)を落し――こちらには、ちゃあんと、これ、錠をも鎖(さ)してごぜえやす。……さればこれ、この宿から出ていくなんちゅうことは、とっても出来る芸当にてはありゃしません! ここいら内を見ても、どこかを外して、誰か出ていったちゅうような、跡もなんも、これ、ありやしませんでのぅ?!」

と言う。

 確かに主人の言う通りで、中間が外へ出た形跡は、これ全く御座らなんだ。

「……確かに。……そうは申せど……これ……どこにもおらぬのも、また、確かなこと。……まっこと、不思議なことじゃ……」

と呟きつつ、なおも燈火(ともしび)を持って、宿の表正面の内側を見て廻ったところが、確かに大戸(おおど)は堅く閉ざされてはあったものの、厚いその戸板の丁度、真ん中あたり――人の眼の高さの辺り――そこに――これ――一寸ばかりの――小さなる節穴の――これ――あった。

……が……

――その節穴の辺りから……

――ぬうらり

――べったりと……

――血(ちい)が……

――ずうーっと……

――下へと垂れ……

――そこの土間に……これ……

――大きなる盛り上がった血溜りを成しておった。…………

……そうしてまた……

――その節穴を照らしみたところが……

――その小さなる節穴の周囲には……これ……

――凝り固まって……

――何やらん……

――べとべとになったる……

――肉片やら血(ちい)やら分からぬ……

――おぞましきものが……これ……

――こびりついておった。…………

 されば、

「……さ、さては……こ、この、ち、ちいさき穴より……そ、外へ……ひひひ、引きずり、出だいた、ものか?!……こ、これはぁ……もう……よ、妖怪の……仕業(しわざ)としか、思えぬわッ!!……」

と、これ、我らも含め、旅籠(はたご)内の者は皆一人残らず、その怪異に舌を震るわせて、戦いて御座いましたじゃ。…………

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