耳嚢 巻之九 英心在る女の事
英心在る女の事
是も右邊の事なる由。中野某妻、子供有(あり)て見まかりしに、人々獨身(ひとりみ)にて幼子(をさなご)の養育も成るまじとすゝめけるゆゑ、後妻を呼(よび)むかゑしが、此後妻まめまめ敷(しき)者にて、幼子を育養なし今に榮へけるに、彼かの)後妻婚姻なして四五日も過(すぎ)て、用場へ行(ゆき)て立歸(たちかへ)る折柄、色靑く年頃三十内外の女、ほうほつと立(たち)て居(をり)たりければ、後妻はやくも察しけるゆゑや、おん身はおさなき者の事氣遣ひかく顯れ給ふらん、聊も苦勞にな思ひ給ひそ、いとけなきもあるゆゑに男も我等をむかへ給ひしなれば、我おん身にかはり、いかにも守り育てん事、御身には增(まさ)るともおろか成(なる)事あらんや、くれぐれも安堵なし給へと申ければ、嬉しげに笑ひてかき消して失せぬ。其事夫へもしばしは不語(かたらず)、一兩年も過(すぎ)てかたりけるとなり。女丈夫ともいふべきものなりと、中野が同僚のかたりける。
□やぶちゃん注
○前項連関:植物妖魅譚から霊異譚で連関し、また、冒頭の謂いからは、前話のニュース・ソースである「組屋舖に住(すめ)る與力」が合わせて語ったものである可能性も捨てきれない。ただ、これ、明らかに幾つも先行類話があって、やや話柄の新味には欠く。鈴木氏も指摘する如く、「耳嚢 巻之七 婦人強勇の事」や「耳嚢 巻之八 幽魂貞心孝道の事」などがそれで、『いずれも先妻の幽霊が遺児の養育を案じて後妻の枕元に現われる筋で、幽霊話における一つの型であることがわかる』と評しておられる。但し、本話は登場人物が全く怖がらないこと、首尾一貫して後妻の誠意が貫いていることなど、個人的には非常に好ましい怪談の外套を着た誠心の人の話として、清々しく読める。
・「右邊」前話の舞台である「牛込と大久保の境、若松町」辺。完全な辺縁ではないが、この辺り、江戸御府内としては片田舎、辺地に近い。民俗世界にありがちな、江戸御府内という巨大な「ムラ」の境界上に異界への回路が開くというセオリーがここでは明らかに生きているように思われるのである。
・「ほうほつ」底本には右に『(彷彿)』と編者注がある。髣髴。
■やぶちゃん現代語訳
誠実なる心を以って霊に接したる女の事
これも前の話と同じい、牛込と大久保の境辺りにての出来事なる由。
中野某(なにがし)が妻、子供の御座ったに、若くして急に身罷ってしもうたによって、中野が周囲の人々、
「……独り身にては幼な子の養育も、これ、ままなるまいぞ。……」
と、頻りに再婚を勧めたによって、後妻を迎えたと申す。
この後妻、まことに誠実なる者にして、先妻の産みたる幼な子を、我が子の如く養育なし、中野家は今に、名家として栄えておらるる由。
さてもこの話は、その後妻が、婚姻を成して、四、五日も過ぎた、ある日のこと、と申す。
後架へ行きて戻ろうとするおりから……
……色のまっ青なる……年頃三十かそこらの女が独り……何か……影の薄う……ぼぅっと宙に浮かぶように……廊下の突き当たりに……立っておるを……見た。……
後妻はしかし、一目見るや早くも、その何者なるかを察したらしく、穏やかなる声にて、その女に語りかけた。
「……おん身は、幼き者のこと、これ、ご心痛のあって、かく現われなすったものでございましょう。……しかし、どうか、いささかもご心配、これ、お思し召さるるな。……いとけなきお子もあればこそ……ご主(しゅう)も我らをお迎え下されたものなれば。……妾(わらわ)、おん身になり代わり、如何にしても、お子をお守りお育て申し上げまする。……おん身に勝るとも――及ばぬほどの愚かな女とは――妾(わらわ)自身も思うては、ございませぬ。……どうか、くれぐれもご安堵なさいませ。……」
と心を込めて切(せち)に告げたところ、
――その女はいかにも嬉しげに
――美しく笑ろうて
――かき消すように失せた。……
その出来事に就きては、この妻、夫へも一切を語らず、そうさ、一年余りも過ぎた頃になって、やっと日々の語りの中で、さり気のぅ、夫へ語って御座ったものという。……
「……いや……まっこと、誠実なる女性(にょしょう)にして、これをまことの女丈夫と申すべきもので御座ろうと存ずる。……」
と、中野の同僚なる、私の知人の語って御座った。
« 尾形龜之助「夜の部屋」 心朽窩主人・矢口七十七中文訳 | トップページ | 耳嚢 巻之九 強惡の者其死も又強惡の事……「耳嚢」中で僕が最も慄っとした話…… »