やぶちゃん版「澄江堂遺珠」関係原資料集成Ⅵ ■4 推定「第三號册子」(Ⅺ) 頁47~頁61 推定「第二號册子」 了
《頁47》
明るき雨のすぎ行けば
虹もまうへ
東まうへにかかれかし
[やぶちゃん注:ここに特に編者によって、『以上二行は前頁から連続している』という注が記されてある。そこでここも空行を設けずに連続させた。]
(夢むはとほき野のはてに
(穗麥刈り干す老ふたり
(明るき雨のすぎゆけかば
(虹もまうへにかかれとそらじや
われらにかかれと かし
[やぶちゃん注:「虹もまうへに」に始まる行と最後の「われらにかかれと」の抹消との間に編者注があって、『以上四行、上方に印あり』とあるので、前例通り「(」を附した。抹消の「われらにかかれと」と「かし」の間の空白部分は何字分かは不詳。]
(ひとり胡桃を剝き居れば
(雪は幽かにつもるなり
(ともに胡桃は剝かずとも
(ひとりいぬあるべき君人ならば
[やぶちゃん注:ここには編者によって、いつものように『以上四行、上方に印あり』とあるのであるが、これは実は「澄江堂遺珠」の初版四十五頁のものであることが分かる。そこには佐藤春夫の注が附される。以下に引く。佐藤の注は詩より三字下げポイント落ちである。解説の改行は「澄江堂遺珠」のままである。なお、解説の行末が不揃いになっているのは原本では読点が半角で打たれているためである。
*
(ひとり胡桃を剝き居れば
(雪は幽かにつもるなり
(ともに胡桃を剝かずとも
(ひとりあるべき人ならば
とあり、この最後の意を言外にのこしたる
一章には大なる弧線を上部に記して他と
區別し、些か自ら許せるかの觀あり。かく
て第二號册子の約三分の二はこれがため
に空費されたり。徒らに空しき努力の跡
を示せるに過ぎざるに似たるも、亦以て故
人が創作上の態度とその生活的機微の一
端とを併せ窺ふに足るものあるを思ひ敢て
煩を厭はずここに抄錄する所以なり。
*
この解説の中に出る『第二號册子』というのは私は『第三號册子』の誤りではないかと考えている。もしかすると、現在の新全集の『「澄江堂遺珠」関連資料』に載る「ノート1」が実は佐藤の言う『第三號册子』、「ノート2」が『第二號册子』であった可能性もあるが、それはまた後の私の考証の課題として、ここでは今までの流れを覆さないようにかく注しておく(言っておくが、これは誤魔化しでは、ない。こうしておかないと、資料としてのこれらが錯雑してコントロール出来なくなってしまうからである。ここはどうか御寛恕願いたい)。
「澄江堂遺珠」では佐藤が注するように、巨大なスラーのような一つの「(」(弧線)となっている。そうしてこの事実によって、この新全集の『「澄江堂遺珠」関連資料』の『上方に印あり』という『印』が恐らく総てこの巨大な「(」であると推定されるのである。]
《頁48》
夢むはとほき野のはてに
穗麥刈り干す老二ふたり
明るき雨のすぎ行かば
とぞ
虹もまうへにかかれ
かし
何か寂しきはつ秋の
日かげうつろふ霧の中
茨のゆ立ちし鵲か
ふと思はるる人の窓顏
夢むは遠き野のはてに
穗麥刈り干す老ふたり
仄けき雨の過ぎ行けかば
虹もまうへにかかるらむ
夢むはとほき野のはてに
穗麥刈り越干す老二人
雨も幽かにすぎ行かば
《頁49》
虹こそおぼろと虹もやかかるらむ
[やぶちゃん注:ここに編者によって『この行は前頁から連続している』とあるので空行を設けずに繋げた。]
夢むはとほき野のはてに
穗麥刈り干す老ふたり
明るき雨すぐ
雨
夢むはとほき野のはてに
穗麥刈り干す老ふたり
雨はすぐるとも
われらが
われら老いなば
虹は幽
[やぶちゃん注:「雨はすぐるとも」の前の空白は七字分かどうかは不明。]
われらはが末は野のはてに
穗麥刈干す老ふたり
虹は幽かにかかれかし
《頁50》
たとへばとほき野のはてに
穗麥刈り干すわれらなり
野もせに雨は
(われらはとほき今日も野のはてに
(穗麥刈り干するなる老ふたり
( けれ
(雨は濡るるはすべなくも
( もなし
(幽かにかかる虹もがな
[やぶちゃん注:前例に従い、編者注から「(」を頭に附した。]
穗麥二刈り干すわれらなり
雨に濡るるはすべもなし
幽かにかかる虹もがな
《頁51》
わが戀こそはみちならね
雨はけむれる午さがり
實梅の落つる音きけば
ひとを忘れむすべをなみ
老を待たむと思ひしか
谷に沈める雲見れば
ひとを忘れむすべもなみ
老を待たむと思ひしが
ひとを忘れむすべもがな
ある日は秋
古き書のなか古き書のなか
香匀も消ゆる白薔薇の
老を待たむと思ひひしが
《頁52》
ひとを忘れむすべもがな
ある日は秋の山峽に
夫 scholary man
妻 model woman
敵 male
さあみんな支度をおし、お前は刀を持つてゐるかい
成程ね。お前のやうな人間が二十人もう十人もゐてくれると、宮中の廓淸が出來るのだが、
《頁53》
臣
君 さやうでごさ
恐れ入ります
王 おれ
おれの周圍にゐる人間一體宦官なぞと云ふやつは、みんなお前だな噓つきか泥坊ばかりだ
宦官 陛下
(お前王 おやまだゐたのか
(宦官 いえ唯今參つたばかりでございます しかし決して噓つきなぞは申上げません
(王王( ) た■
そり やいくらお前でもたまにさうか。そりや珍しい。
(王 まあ聞けよ
は噓もつき倦るだらうさ
宮官 御言葉ではございますが、
王
王 兎に角お前の心がけは感心だ。
君 恐れ入ります。
王 しかし難
おれには難有迷惑だよね。
君
[やぶちゃん注:抹消の「王 まあ聞けよ」の後に編者による『以上五行、上方に印あり』という注がある。一応、詩と同じ大きなスラー様のものと考えて、「(」を附した。但し、この『五行』とは底本(二段組)五行分ではなく、台詞の柱で五行分ととった。そうでないとおかしいからである。「噓」は総て底本の用字である。「( )」は本文そのまま( )が本文サイズであって、そこに編者によって空白である旨の注がある。但し、空白字数は不詳である。
「scholary man」は「scholarly man」の誤記か。これなら「学者気質(かたぎ)の男」となる。以下の戯曲断片と連関させるならば、儒者か道士といった感じか。
「model woman」は模範的或いは貞節なその妻の意としかとれないのだが、しかし冒頭の台詞がこの人物の台詞とすると、如何にもおかしい。上手い訳が見当たらない。絵のモデルというわけでもなさそう。後の戯曲とは無関係な創作メモの可能性もある。
「廓淸」「くわくせい(かくせい)」と読む。粛清と同じ。これまでに溜まった悪いもの、乱れや不正な者を払い除いて浄化すること、或いはそう称しつつ、厳しく取り締まって反対勢力を駆逐或いは抹殺してしまうこと(因みに、現在では「郭清」とも表記して、癌を切除する際に転移の有無に関わらず、周辺リンパ節を総て切除することもこう言う。これは癌細胞がリンパ節に転移し易いことから、癌の根治・予防のため、普通に行われる術式の一つである)。]
《頁54》
忘れ
忘れはてなむすべもがな
ある日は
夕
ゆうべとなれば
物の象は
物の象(かたち)はまぎれ
物の象はしづむのごと
老さりくれは
牧もの小川も草花も
夕となれば煙るなり
われらが戀も
《頁55》
牧の小川も草花も
夕となれば消煙るなり
わが悲しみも
老ひさりくれば消ゆるらむ
夕となれば家々も
畑なか路も煙るなり
わが身をせむる今は忘れぬおもかげも
老ひさりくれば消ゆるらむ
《頁56》
われらはけふ野べの穗麥刈り
雨に濡るるはすべ
雨に濡
夢むわれらはとほき野のはてに
穗麥刈るなる老ふたり
雨は
幽かにかかる虹もあり
われらは野べの穗麥刈り
雨に濡るるはすべもなし
穗麥の末に
幽かにかかる虹もがな
《頁57》
ゆうべとなれば草むらも
ゆうべとなれば
われらは野べの穗麥刈り
ひと村雨はすべもなし
土鎌鎌に
幽かにかかる虹もがな
ゆうべとなれば草むら海ばらも
蒼海原
今は忘れぬおもかげも
老さりくれば消ゆるらむ
濡れし袂と干す時は
《頁58》
ゆうべとなれば葱畑家々も
畠の葱も煙るな
夕となれば家々も
畑なか路も煙るなり
今は忘れぬ
老ひさり來れば消ゆるらむ
今は忘れぬひとの眼も
《頁59》
ゆうべとなれば波の穗も
帆船の帆綱も煙るなり
ゆうべとなれば波の穗も
遠島山も煙るなり
今は忘れぬおもかげも
老ひさりくれば消ゆるらむ
われらは野べの老ふたり穗麥刈り
一村雨はすべもなし
濡れし穗麥を刈るときは
幽か
《頁60》
ゆうべとなれば波の穗も
遠島山も煙るなり
今は忘れぬおもかげも
何時か やがて 老いて何時かは夢にまがふらむ
老いなば夢にまがふらむ
ひとを殺せどなほ飽かぬ
妬み心も今ぞ知る
われらは野べの穗麥刈り
鎌
ひとを
[やぶちゃん注:ここに空白一頁あり、という編者注がある。]
《頁61》
Mr.
G. Dauson
[やぶちゃん注:この以上の一行は横書である旨の注と、一行空け別立てで、ここに『カットあり』(描画図不詳)という注で、新全集の『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』は終わっている。「G. Dauson」不詳。]
*
以上を以って、現在、公的(アカデミック)に「澄江堂遺珠」の原資料と呼ばれているものを本カテゴリ『「澄江堂遺珠」という夢魔』に於いて、総ての電子化を終了した。
これより未踏の――■5 現在知られる芥川龍之介の詩歌及び手帳並びに未定稿断片の内に於いて「澄江堂遺珠」との親和性が極めて強いと私が判断するもの――にとりかかる。――
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