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2015/01/18

耳嚢 巻之九 惡氣人を追ふ事

 惡氣人を追ふ事

 

 下谷立花の屋鋪(やしき)の最寄りに少しの町有(あり)。其所の者なる由、目黑の不動を信じ度々參詣なし、或時七ツ時に出宅をすべきに、刻限早く八ツに起出(おきだし)、參詣せんと、日本橋通りをまかりしに漸く七ツなれば、夫(それ)より段々歩行(ありき)參り、芝口に定式(ぢやうしき)に休みなどなせる信樂(しがらき)といへる水茶屋有(あり)。しかるに、日本橋よりに候哉(や)、跡よりざわざわと音してつき來る者あり。ふり歸り見れば、繩やうのもの附來り候故、是に歩行(あるけ)ば早く追ひ、立どまれば彼(かの)繩樣(やう)のものも止りし故、我足又裾に絲(いと)などありて右へからまり來(きた)るやと改見(あらためみ)れど、さらになし。何とやら心持あしき故、急ぎて右のしがらきの茶屋に立寄(たちより)、いまだ夜更(よふけ)故、町家もいまだ戸もあけざれど、水茶屋は朝立(あさだち)の客を心がけ燈(ともしび)など見ゆる故、歡びて立寄りければ、今日は扨々早く出(いで)給ふと家内にても挨拶して、茶抔煮て給(たべ)させけるゆゑ、刻限をとり違(たがへ)し事など咄して暫(しばらく)休み、いまだ夜もあけざれど、門口の戸を見けるに、やはり附來(つききた)りし繩やうのもの門口にありける故、内へ入(いり)、門口を〆(しめ)て、いまだ夜もあけず氣分あしき由、暫く鄽(みせ)に休み度(たき)由斷(ことわり)、枕など借請(かりうけ)て横になり居(をり)しが、程なく夜もあけ往來もあるゆゑ起出(おきいで)て、歸りにこそよるべきとて目黑へ參詣し、身の上をも祈(いのり)、夫(それ)より彼(かの)所にも尋(たづぬ)る所ありて立寄、支度などして、夕方になつて歸り懸け彼(かの)しがらきが方を見しに、表を立(たて)忌中の札ある故、けさ迄もかゝる事なかりしと其邊にて聞合(ききあひ)ければ、いかなる事にや、右茶屋の亭主首縊り相果(はて)けると云(いひ)しに、我身の災難を明王(みやうわう)の加護にてのがれけるや、右繩の追來(おひきた)るを始(はじめ)は蛇と思ひしが、繩に惡氣の籠りてしたひ來りしやと、我友のもとへ來りて語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。ただ、前で根岸が珍しく話者の「山本某」を「親友」と述べているとこからみれば、この最後の「我友」というのも極めて高い確率で「山本某」であるように私には思われる。とすれば、ニュース・ソース連関となる。首縊りを誘う繩の妖怪ではあるが、一読、私は、この如何にも変わった繩の怪異というのが、妙に不動明王が左手に持つ羂索(けんじゃく:悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せぬ衆生を縛り吊り上げてでも救い出すとする投げ繩みたような仏具。)とダブってしまって、穏やかでないんである。本話は「耳嚢」でもかなり知られた一篇で、柴田宵曲を始めとして、多くの後人によって怪談アンソロジーに採録されるものである。私も、「耳嚢」中、本格怪談三本指に数えたいものである。されば先行する現代語訳群とは差をつけたく感じたので、重要な水茶屋「信楽」の亭主の登場辺りから最後の怪異の頂点の辺りをかなり翻案してある。ご注意あれ。

・「立花の屋鋪」底本鈴木氏注に、『立花侯の邸今の西町なり。(三村翁)立花は柳河城主、十一万九千石』とある。岩波版長谷川氏注にも同石高で、『下谷は上屋敷、台東区東上野』とあるう。筑後国柳河藩(柳川藩)。藩庁は柳川城(現在の福岡県柳川市)。ウィキの「柳河藩」によれば、当初は筑後一国を支配する大藩であったが、のちに久留米藩の成立により筑後南部のみを領有する中藩となったとある。「ブリタニカ国際大百科事典」によると、江戸時代、筑後国山門郡柳川地方を領有した藩で、関ヶ原の戦いの後、立花宗茂が除封されて一時は同国久留米藩領となったが、慶長八(一六〇三)年より、陸奥棚倉(福島県)に封を受けていた立花氏が大坂の陣の功によって、元和六(一六二〇)年に 十万九千六百石で再び入封、そのまま廃藩置県にいたったとあって、上記二注とは石高が異なる。ウィキの記載を見る限り、この十万九千六百石(ウィキは十万九千石)の方が正しいようで、『江戸武鑑では江戸藩邸は上屋敷が下谷御徒町にあり、中屋敷と下屋敷は浅草鳥越にあった』と記す。「卷之九」の執筆推定下限文化六(一八〇九)年当時は第八代藩主立花鑑寿(あきひさ)。「少しの町」とある通り、切絵図を見ると確かにこの辺りは錚々たる格式の武家屋敷が立ち並んでいる。

・「目黑不動」江戸三大不動の一つとして知られる、東京都目黒区下目黒にある天台宗泰叡山瀧泉寺の通称。本尊不動明王。ウィキの「瀧泉寺」によれば、寺伝では、大同三(八〇八)年、『円仁が下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して創建したという』。但し、『東国には円仁開基の伝承をもつ寺院が多く、本寺の草創縁起もどこまで史実を伝えるものか不明』とする。寛永七(一六三〇)年に『寛永寺の子院・護国院の末寺となり、天海大僧正の弟子・生順大僧正が兼務するようになった時、徳川家光の庇護を受け』、寛永一一(一六三四)年には五十棟余に及ぶ大『伽藍が復興し、「目黒御殿」と称されるほど華麗を極めた』。「卷之九」の執筆推定下限である文化六(一八〇九)年より少し後の文化九年には、「江戸の三富」(他は湯島天満宮と谷中感応寺)と呼ばれた「富くじ」が行われた(但し、この興行は天保一三(一八四二)年に天保の改革の一環として中止)。『寺名の由来となった、境内の独鈷の滝(とっこのたき)を浴びると病気が治癒するとの信仰があった。江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれ』、知られる落語の「目黒の秋刀魚」は『この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だとされる』。『江戸時代には大いに栄え、門前町が発達したが門前町の名物として当時目黒の名産品であった竹の子を使った竹の子飯と棒状に伸ばした練飴(白玉飴)を包丁でトントン切っていく目黒飴が人気であった。また、餅花という細い竹にしんこ餅を付けた物や粟餅などもあったという』。

・「七ツ時」暁(あけ)七ツ。五更。午前三時頃(夏至)から午前四時過ぎ(冬至)の間。

・「七ツ時」暁八ツ。四更。午前一時半頃(夏至)から午前二時(冬至)の間。

・「芝口」現在の港区新橋一丁目が芝口一丁目、以下、同じく新橋二、三丁目が芝口二、三丁目(旧芝口四丁目は新橋五丁目か)。ここから目黒不動までは、試算では実測八キロメートル弱はあるから、徒歩だと一時間半ほどかかる。彼は朝一で参ることを志しとしていたようであるから、当時の寺院の開門時間(午前五時から六時頃か)がなんとなく分かるのも嬉しい。

・「定式に」いつも決まって。

・「信樂(しがらき)」のルビは底本編者のもの。水茶屋(路端や神社仏閣の境内などで湯茶などを供して休息させた茶屋。掛茶屋。茶店)の固有名詞が「耳嚢」で記されるというのは極めて珍しいことであるが、特にこの店は検索では掛かってこない。

・「支度」岩波版の長谷川氏注は、『食事』と注しておられる。これで採った。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 悪気の、人を追い駆くる事

 

 下谷(したや)柳河(やながわ)藩立花侯の御屋敷の最寄りに、少しばかり町屋が御座るが、その近くに住もう者の話の由。

 

 この男、目黑の不動を信じ、たびたび朝駆けの参詣を致いて御座ったが、ある時、七ツ時に家を出立(しゅったつ)すべきところ、刻限を勘違い致いて、早ぅに八ツに起き出だし、刻限を間違(まちご)うたことに気づかぬまま、そのまま参詣せんと、日本橋通りを急いで御座ったところ、その辺りまでやって参って、これ、初めて、余りの暗きに加え、遠くに聴こえたる時の鐘の音(ね)に、ようやっと、未だ七ツ時になったばかりと知ったれば、それより歩みを緩めることと致いて、芝口(しばぐち)に、いつも朝駆け参拝の折りには、一休み致いて茶なんど飲みに寄って御座った、「信楽(しがらき)」と申す水茶屋にて時を潰さんと考えた。

 

 ところが、日本橋を渡った辺りからで御座ったか……何やらん……後ろの方(かた)より……

――ザワザワ……ザワ……ザザッ……ザワ……

と、絶え間のぅ幽かなる音のして……これが、どうも、誰か、後をつけて参る者のある、そんな気配に感じて御座ったによって、立ち止まると、さっと振り返って見た……ところが……そこには人影などなく……ただ……

――繩のようなるもの

……これ、すぐ後ろの地面に横たわっておった。

 そこで、少しく試みてみると……その繩のようなるもの……男の歩みに従い……

――早(はよ)うに歩けば……

――早うに追うて来(き)……

――立ち止まってみれば……

――そこにて止まる……

 されば、男は、

『……儂(わし)の足にでも、あるいはまた、着物の裾にでも、目に見えぬ糸のほつけたようなもののあって、それがまた、その繩に纏わりついておるによって、まるで儂の後をついてくるように、これ、見えおるんじゃろか?……』

なんどと思うたによって、よぅく、自分の足や服の裾を検(あらた)め見てみたけれども、そのようなもの、これ、足首や裳裾には、さらに、ない。

 何ともはや、気味(きび)悪うなったればこそ、かの「信楽」の茶屋に立ち寄らんと急いだ。

 未だに夜更けのことゆえ、他の町屋は未だ戸も開けてはおらなんだが、水茶屋と申すは、これ、朝立ちの客をも一つの上客と心得ておるよって、既に燈(ひ)なんどを点し、店を開いておるのが、近(ちこ)うに見え始めた。

 

 さればほっと致いて、やれやれと立ち寄って御座ったところ、「信楽」の亭主の、いつもの笑顔にて出迎え、

「――今日は、また! さてもさても! 早うにお出でなさいましたのう!」

と、家内(いえうち)の者ともども、いつも通り、元気に明るぅ、挨拶など致いて、茶なんどもすぐに煮て出し呉れたによって、

「……いや! 全く恥ずかしきことに、の。 刻限を、とり違(ちが)えた。……」

なんどと申しては互いに笑い合い、二言三言、軽口をたたき合った上、男は暫く、一服致いた。

 ところが――未だ夜も明けぬまっ暗闇にて御座ったれど――その時……ふと……気になって……店の門口の戸の方(かた)を……垣間見た――と――そこには……

……やはり……

……あの……

……後をついて参るように感じた……

……あの……

――繩

……これ……

――門口の直ぐ外に

――あった!

 と見るや、ゾゾーッ! と悪寒の走った。

 男は、下女に、

「……す、すまんけど……少し悪寒のするによって、門口、ちょいと閉めておくんない。」と願(ねご)うて閉めて貰(もろ)うた上、店の奥へと入って、

「……いまだ夜も明けざればのぅ……儂(わし)……これ、ちいとばかり……気分の悪しく御座れば……ちっとの間……悪(わり)いけんども、一つ、店の奥方を借りて、休まさしてもらえんか?……」

願(ねご)うたところ、亭主は、

「……それはよぅ御座いませんのう!――さ、どうぞ! ごゆるりと!」

と気前よう、部屋を貸しくれたによって、枕なんども借り受け、横になって御座ったと申す。

 ほどのぅ、夜も明けたる光の射し、往来にも人の行き来のしきりになったる音の致いて御座ったによって、男は、やおら起き出し、かの亭主へ、

「……忝(かたじけ)のぅ御座った。……いつものように、また、帰りには寄らさしてもらいます。」

と礼を述べて、笑顔の亭主の見送りを受け、水茶屋を出でた。

 さても――門口を出でて見てみても――これ――何も、ない。

 何度も――これ――暫く歩んで後にぱっと振り返って見てみても――あの繩は――これ――どこにも見当たらなんだと申す。

 

 されば胸を撫で下ろした男は、いつも通り、目黒のお不動さまへと参詣なし、妖しきことのあったればこそ、特に、身の上の安穏(あんのん)など、これ、念入りに祈ったと申す。

 かく致いた上、かの目黒の近場にて、訪ぬべき方もあったによって、そこにたち寄ってすべきことも成し終え、それよりゆるゆると少し遅うなった昼をとって、腹ごしらえも上々、辺りをひやかし、ぐだぐだ致いておるうち、やっと黄昏(たそがれ)時近(ちこ)う頃合いとなってより、ようやっと帰路へと就いた。

 

 帰りがけ、約束の通り、かの芝口の「信楽」が方へと向かい、そのお店(たな)の前に立った。……ところが……これ……

――表の戸

――皆

――しもうてあって

……しかも……そこには……

 

  忌中 

 

――の二文字の張り紙…………

 されば、男、

「……け、今朝までは……こ、このようなる、よ、様子……ま、全く……御座らなんだに……」

と、驚きもし、不審にも思うたによって、「信楽」の向かいに、やはり馴染みのお店(たな)あったれば、そこに入って訊ねてみたところが、

「……信楽屋の亭主か!……いや! それがのぅ……つい昼つかたのことじゃ……にて……自ずと……首を……縊(くく)ってしもうたんじゃ!……」

「……いや……しかし……我ら、今朝方、逢(お)うた折りには……いつもとまったく変わらず……冗談など交わし合(お)うて別れたが?……」

「……おう! そうよ! 儂(わし)も朝方、挨拶致いた折りはの、そうじゃったんじゃ。亭主、何時ものように、お店(たな)の前を掃除しておったんでの、いつもの通り、儂はにっこり笑(わろ)うて挨拶致いた。亭主もにっこり笑うて返したんじゃ。……ところがの……そん時のこと……かの亭主……何やらん――小汚い繩の切れっつぱし――のようなるものを……これ、お店(たな)門口の前に落ちておったを……拾うた――と――亭主……それを手にぶら下げたまんま……なんぞ……呆(ほう)けたような蒼白き顔になっての!……長(ながー)い間……そこへぼーっと……突っ立ったまま……動かなんだ。――と――すーうっと……お店(たな)の奥へと消えたかと思うたら……吊りよったんじゃ!!……」

「……!!……」…………

 

「……我が身の災難……これ……不動明王の御加護にて逃れ得たものででも御座ったものでしょうかのぅ?……かの妖しき繩の追い来ったるを……我らは初め……そうさ、邪悪なる――例えば蛇の、その化身の――物の怪と、これ、思うて御座いましたれど……いや……実は……その心なき繩っ切れに――邪(よこしま)にしておぞましき陰の気(き)の宿り籠り……我らを縊(くび)り殺さんものと……我らが後を追うて参り……謂わば――「死を慕(しと)うて」――来ったる――奇体な物の怪――ででも……これ……御座いましたか…………」

と、その男本人が私の友が許へ参った折り、しみじみと語ったという話で御座る。

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