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2015/01/01

澄江堂遺珠 本文Ⅵ

 

 

 

 老を待たんとする心と妬み心と

 

 

 

雨にぬれたる草紅葉

侘しき野路をわが行けば

片山かげにただふたり

住まむ藁家ぞ眼に見ゆる

 

   ふたりかの草堂に住み得て願ひは農に老

   いんといふにありしが如し。――

 

われら老いなばもろともに

穗麥もさはに刈り干さむ

 

夢むは

穗麥刈り干す老ふたり

明るき雨もすぎ行けば

虹もまふへにかかれかし

 

夢むはとほき野のはてに

穗麥刈り干す老ふたり

 

明るき雨のすぎゆかば

        {らじや

虹もまうへにかか{れとぞ(消)

        {れかし(消)

 

ひとり胡桃を剝き居れば

雪は幽かにつもるなり

ともに胡桃は剝かずとも

ひとりあるべき人ならば

 

   見よ我等はここにしてまた「或る雪の夜」に

   接續すべき一端緒を發見せり。宛然八幡

   の藪知らずなり。

 

[やぶちゃん注:「宛然」音は「ゑんぜん」であるが、ここは「さながら」と訓じているように思われる。まさにそれ自身と思われるさま。そっくりであるさま。

「八幡の藪知らず」「やはたのやぶしらず(やわたのやぶしらず)」と読む。千葉県市川市八幡、現在の市川市役所前にある森の通称。古くから、禁足地」とされ、「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承とともに有名な地で、転じて迷うことの譬え、ラビリンス、迷宮の意。]

 

何か寂しきはつ秋の

日かげうつろふ靄の中

茨ゆ立ちし鵲か

ふと思はるる人の顏

 

[やぶちゃん注:「ゆ」上代の格助詞。基本は動作・作用の起点を示すから、~から、~より。また、移動する動作の経過する場所を示して、~を、~を通ってであるが、ここは「立ちし」とあるから、前者でよい。

「鵲」狭義にはスズメ目カラス科カササギ Pica pica を指し、日本へは十六世紀末頃に朝鮮から持ち込まれたとされ、筑紫平野で繁殖するが、古典的世界では現在のコウノトリ目サギ科サギ亜科アオサギ Ardea cinerea などを指すと考えられている。龍之介は歌語として、七夕の架け橋を作る、愛する者同士を繋ぐ伝説の鳥と用いていると考えてよいであろう。]

 

夢むは遠き野のはてに

穗麥刈り干す老ふたり

仄けき雨の過ぎ行かば

虹もまうへにかかるらむ

 

夢むはとほき野のはてに

穗麥刈り干す老ふたり

      雨はすぐるとも

虹は幽     

我らが末は野のはてに

穗麥刈り干す老ふたり

 

[やぶちゃん注:「      雨はすぐるとも」の空欄のみ、標記通りの正長方形で開放終わりは開放していない。]

 

虹は幽かにかかれかし

たとへばとほき野のはてに

穗麥刈り干すわれらなり

 

われらは今日も野のはてに

穗麥刈るなる老ふたり

雨に濡るるはすべもなし

幽かにかかる虹もがな

 

雨はけむれる午さがり

實梅の落つる音きけば

ひとを忘れむすべをなみ

老を待たむと思ひしか

 

ひとを忘れむすべもがな

ある日は古き書のなか

(ママ)

〔香と書きて消しあるも月にては調子の上にて何とよむべきか不明〕も消ゆる

白薔薇の

老いを待たむと思ひしが

 

[やぶちゃん注:「〔香と書きて消しあるも月にては調子の上にて何とよむべきか不明〕」は二行ポイント落ちの割注。便宜上、〔 〕を附したが、底本では括弧は存在しない。]

 

ひとを忘れむすべもがな

ある日は秋の山峽に

 

   ……中絶して「夫妻敵」と人物の書き出しあ

   りて、王と宦者との對話あるう戲曲的斷片を

   記しあり……

 

[やぶちゃん注:「宦者」宦官。]

 

忘れはてなむすべもがな

ある日は      

ゆうべとなれば

物の象(かたち)はまぎれ

 

物の象のしづむごと(消)

老さりくれば     

 

牧の小川も草花も

夕となれば煙るなり

われらが戀も      

牧の小川も草花も

夕となれば煙るなり

わが悲しみも

老さりくれば消ゆるらむ

 

夕となれば家々も

畑なか路も煙るなり

今は忘れぬおもかげを

老さりくれば消ゆるらむ

 

ゆうべとなれば波の穗も

船の帆綱も煙るなり

今は忘れぬおもかげも

老さりくれば消ゆるらむ

 

ゆうべとなれば波の穗も

遠島山も煙るなり

今は忘れぬおもかげも

夢にまがふは何時ならむ

 

夕となれば家々も

畑なか路も煙るなり

今は忘れぬ     

老され來れば消ゆるらむ

 

   別にただ一行

   「今は忘れぬひとの眼も」

   と記入しあるも、「ひとの眼も」のみは抹殺せ

   り。

   かくて、老の到るを待つて熱情の自らなる

   消解を待たんとの詩想は遂にその完全な

   る形態を賦與されずして終りぬ。この詩

   成らざるは惜むべし。

   然も甚だしく惜むに足らざる似たり。

   最も惜むべきは彼がこの詩想を實現せず

   してその一命を壯年にして自ら失へるの

   一事なりとす。

   假りに「ねたみ心」とも題しつべき數篇の小

   曲を發見す。

   試みにこれを左に列記せん。

 

ひとをころせどなほあかぬ

ねたみごころもいまぞしる

垣にからめる薔薇の實も

いくつむしりてすてにけむ

 

垣にからめる薔薇の實も

いくつむしりて捨てにけむ

ひとを殺せどなほあかぬ

ねたみ心に堪ふる日は

 

人を殺せどなほ飽かぬ

妬み心を知るときは

山になだるる嵐雪

松をゆするも興ありや

 

   同じ心をうたひて「惡念」と題したるは

 

松葉牡丹をむしりつつ

人殺さむと思ひけり

光まばゆき晝なれど

女ゆゑにはすべもなや

   *

夜ごとに君と眠るべき

男あらずばなぐさまむ

 

  右二句はこれを抹殺しあり。蓋しその發

  想のあまりに粗野端的なるを好まざるが

  故ならんか。然もこの實感はこれは歌は

  ではやみ難かりしは既に「惡念」に於て我等

  これを見たり。更に、册子第一號中

 

微風は散らせ柚の花を

金魚は泳げ水の上を

汝は弄べ畫團扇を

虎疫(ころり)は殺せ汝が夫(つま)を

                     夏

 

   と云ひ、なほ別に一佳篇を成すあり。――

 

[やぶちゃん注:以上の一篇の「微風は散らせ柚の花を」のところで改頁となり、ここにこの一篇総てを示した以下の図版が入る。これはそれを活字に起こすと、

 

 微風は散らせ柚の花を

 金魚は泳げ水の上を

 汝は弄べ 画團扇を

 虎疫(ころり)は殺せ汝が夫(つま)を

       夏

 

と三行目に有意な字空きがあることが分かる。]

 

Jikihitusikou

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