耳嚢 巻之九 淸品の酢作りやうの事
淸品の酢作りやうの事
世に萬年酢とて、陶に作る事あり。夫(それ)に付(つき)一法あると人の語りぬ。酒壹升〔或は五合〕酢壹升〔或は五合〕に入(いれ)、夏の日向(ひなた)へ出し置(おく)事一日、其後土藏の内へ入置(いれおく)事三十四五日程、しかうして用之(これをもちふれ)ば、酢の淸漿(せいしやう)なるもの也と、云々。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。とど氏の個人サイト「からしら萬朝報」内にある「酢の美味爽風」の「酢の基礎的醸造学」に、『ことに近年は、伝統的な醸造法による米酢を中心とした醸造酢に人気が高いが、伝統的な酢の造り方の中で江戸時代に知られた面白い酢の造り方があるのでそれを紹介しておこう。「万年酢」という』。『江戸時代の書物によればそれは以下のように造られる。質のよい酒1升、質のよい酢1升、清水1升を混ぜ、甕(かめ)に入れて蓋をし、温かいところに置くと30から40日後に酢として成熟する。使用にあたって甕から1匙(さじ)の酢を取り出した際、甕に1匙の質のよい酒を入れる。常時こうすることによっていくら酢を取り出しても元の酢はなくならない。そこで万年酢と名づけられた』とある。この記載は、各種の辞書の「万年酢」の記載とも一致する。根岸に少し文句を言いたいのであるが、そもそもがこの「萬年酢」の「萬年」は、かく注ぎ足しをするから、全く減らぬことを以っての命名としか思われず、とすればこの本文記載はその注ぎ足しを述べていない点で致命的欠陥があると言わざるを得ないのである。さればこそ、「萬年酢」の名にし負う部分を以下の現代語訳で俄然補填せずんばならずと思うたものとお考え戴きたいのである。
■やぶちゃん現代語訳
澄んだ上質の酢を醸造する法の事
世に「萬年酢」と称し、陶の甕を以って酢を造ることがある。
それについて、簡便容易にして絶妙の佳品を醸(かも)し、且つ、それが何時まで経っても減らぬという奇々妙々の一法がある、とさる御仁の語って御座った。
その法とは――
○陶器の甕を一つ、用意する。
○そこに、酒一升〔或いは五合〕を入れる。
○次いで、そこに酢一升〔或いは五合〕を入れる。
○そのまま、その甕を夏の青天の日の、暑い日向(ひなた)へと出だいておくこと、一日。
○その後(のち)、土蔵の内へとひき入れおくこと、三十四、五日ほど。
このようにして出来た酢は用いてみれば、まことに、酢の澄み切ったる上質の、また馥郁たる香気を持った佳品となる。
なお、この酢、その使用に当たっては、
○甕より一匙(ひとさじ)の酢を取り出だいたならば、その甕には必ず一匙の清酒を新たに注ぎ入れることを定(じょう)とする。而してかくせば、いくら酢を取り出だいても、甕の中の酢は、これ、尽くること、これ、御座ない。
さればこそ、この酢を「萬年酢」と名づくるので御座る、と……。
« 耳囊 卷之九 市谷宗泰院寺内奇說の事 / 執着にて惡名を得し事 (二話) | トップページ | 橋本多佳子句集「命終」 昭和三十一年 信濃の旅(Ⅲ) »