芥川龍之介遺稿集「西方の人」跋文 佐藤春夫
「西方の人」跋文 佐藤春夫
[やぶちゃん注:これは昭和四(一九二九)年十二月二十日に岩波書店から刊行された遺稿作品集「西方の人」の跋文である(小穴隆一画・装幀。リンク先は国文学研究資料館の「近代書誌・近代画像データベース」の「西方の人」。状態の良い書誌画像が見られる)。収録作品は、以下の通り。
「古千屋」
「たね子の憂鬱」
以上のリンク先は総て私の正字正仮名の電子テクストである(ものによっては草稿も附加してある)。但し、「手紙」と「冬」は私が唯一正統と考える二つがペアになっている初出形「冬と手紙と」であり、「西方の人」と「續西方の人」は私がカップリングしたテクストである。「古千屋」と「たね子の憂鬱」(それぞれ以下にリンク)は孰れも「青空文庫」で読める(但し、新字新仮名仕様で、しかも親本がやや校訂上問題のある「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」であることは注記しておく)。
底本は国立国会図書館蔵の当該書籍(「近代デジタルライブラリー」で視認)を用いた。]
「西方の人」跋文
ここに集められたものは悉く彼が晩年の稿である。或ものは文字どほりに必死の努力によつて生命をそのなかに注入しようとしてゐるし、また少数の或るものは心にもない重たげな筆を義務を痛感しながら不機嫌そうに運んでゐる。各の意味で一篇として彼が傷ましい生活を反映せぬものはない。就中、齒車の如きは紙背にこもつてゐる作者の暗涙がそぞろに人に迫つて、心なしには通読出來ないであらう。
さきの日の颯爽たちすがたは今や悲痛な面ざしに變つた。彼を愛する讀者にとつてこれらの諸篇こそは最も愛惜に得堪ぬもので、蓋し卿等も亦わたくしとともに卷を掩うて必ず長く歎息せられるであらう。
昭和四年晩秋 佐 藤 春 夫 誌 す
■やぶちゃん注
・「暗涙」「あんるい」で、人知れず流す涙。ひそかに流す涙。
・「卿等」「きやうら(きょうら)」で、尊敬の二人称の複数形。
・「卷を掩うて」「かんをおおうて」で、読んでいる本を一旦閉じ、そこまでの内容を吟味追懐すること。そうした読書の仕方を「掩巻(えんかん)」と呼ぶが、それを訓読したもの。
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