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2015/01/14

耳囊 卷之九 不思議の尼懴解物語の事

遂に「耳囊」中、私の最も好きな話にして、「耳囊」全電子化注釈の契機となった章に辿り着くことが出来た。感慨無量である――今回、既訳のものを全面改稿した。未読の方は勿論、私の授業で受けたことが教え子の方や既読の方も、またご笑覧戴ければ、幸いである――



  不思議の尼懺解物語の事

 文化の年の春、親友の來たりて語りけるは、去年なり、しれる者大和𢌞りして、大和に奇成(きなる)咄(はな)しに聞(きき)し由。村名は忘れたり、往來端の茶屋に立寄、雨に會ひて暫く休みしが、日も暮に及びければ頻りに賴みて茶屋に宿りしに、あるじ出て、かれ是咄しける内に、當夏奇成事ありといゝしゆゑ、切(せち)に其譯を尋(たづね)ければ年の頃十九歳と見えし殊外(ことほか)美麗成(なる)尼一人來りて、當國何とかいへる名高き寺を尋(たづね)、右所までは里數何程(いかほど)ありやと申(まうし)けるゆゑ、是よりは七八里も有(ある)べし。何ゆゑ右の處を尋給ふやと承りしに、我等はいとけなきとき兩親にも分れ、村内の有福(いうふく)成(なる)人に仕へて生長なしけるが、わけ有(あり)て尼となりて、今日は師の坊(ばう)のもとへと志しけれど、女の道はか行ず暮(くれ)に及びぬれば、夜通し行(ゆか)んなれどこよひ爰元(ここもと)に留(とめ)給(たまは)らば、あすこそ彼(かの)寺へ日高(ひたか)く行(ゆき)つかんといへるさま、僞りとも不思(おもはれず)、哀成(あはれなる)事と思ひて、一夜(ひとよ)をとゞめんが、得(とく)と樣子を聞(きき)て其(その)上と思ひ、さるにてもおん身年もいと若く、何故法心(ほつしん)し給ふや、見るに美敷(うつくしき)生れなれば譯こそあらん。有(あり)の儘に語り給はゞ宿(やど)まゐらすべきと申しければ、さらば我らが身の上ざんげなし可申(まうすべし)、御家内(おんいへうち)を集めて聞(きき)給はれと申(まうし)けるゆゑ、妻子抔(など)をも爲逢(あはせ)て、事の本末を聞(きき)しに、近き村何某といへるもの、彼(かの)尼をうみ出て兩親とも打續(うちつづき)身まかりしが、一人の娘にて村中世話して育てけるを、其郷(さと)に棟高(むねたか)き農家、不便(ふびん)と思ひて養ひとりそだてられ十五六になりけるに、主人いつか心をかけゝるゆゑ其心にまかせ通じけるが、主人の妻、風與(ふと)煩ひ付(つき)て日ましに重(おも)りけるを、いとけなきよりはごくみそだてし女人(によにん)なれば、こころのたけ看病なして仕へけるに、最早存命不定(ふぢやう)なる程に煩ひて、夫(をつと)へ申しけるは、我等は最早存命難斗(はかりがたし)、若(もし)身まかりし後、異妻(ことづま)むかへ給ふ程ならば、いとけなきより養育せし事なれば、右の女(むすめ)を我(わが)跡へすへ給へよと云(いひ)しを、かゝる心細き事ないゝそ、養生して快氣あれかしと答へしに、又彼(かの)女(むすめ)にむかひて、夫(をつと)にはかくかく言(いひ)しぞ。若し身まかりなば、我に代つて家の事などまめまめ敷(しく)なせよといひしを、こは心得ぬ仰(おほせ)や。よくよく保養なして快氣あられよと諫(いさめ)、心を入(いれ)て仕へしに、或日夕暮に成(なり)、今日は存(ぞんぢ)の外(ほか)快間(こころよきあひだ)、我をともない[やぶちゃん注:ママ。]近きあたりの觀音へ涼みがてら連行(つれゆく)べしと申(まうし)ける故、主人は村用(そんよう)にて宿(やど)にあらず。いなまば病氣のさはりともなるべしと手を引(ひき)て立出(たちいで)けるが、步行(あゆみ)苦しき由にて、彼(かの)女子(をんなご)の背におはれて行(ゆく)程に、殊外(ことのほか)くるしみ命終(みやうじゆう)の體(てい)にも見へければ、いかにやと振(ふり)あを向(むき)て見しにその顏色殊に怖しく、わつと云(いひ)て其處にたをれ氣絕せしを、主人も戾りて家内へ尋(たづね)ければ、出(いで)候樣子、夫(をつと)は病氣の樣子にては、中々觀音參詣は思ひもよらざる事なりと、自身並(ならびに)召仕(めしつかひ)、村内の者打寄(うちより)、跡より來り見しに、負(をは)れし女房は事きれ、負(をひ)し女(むすめ)も氣絕なしけるを、水などそゝぎて女子(をんなご)息出(いきいで)けるゆゑ、二人とも連れ歸りて見けるに、彼(かの)女房、手を女子の肩より胸へかけ、しかと取付居(とりつきをり)たりしが、右兩手いかにしても放れず、種々心を盡すといへども放れず、無據(よんどころなく)手首を切りて引放(ひきはなし)、死骸は厚く葬送なしけれど、我等が肩にとり付(つき)し手首は今に殘りあり。夫(それ)より我等も菩提心を起し尼となりしなり、最前(さいぜん)あるじの、年若く美しき尼の獨りあるき、若輩のものなど心をかけ、理不盡もあるべきと、疑ひ給ふ樣子なれど、若き男(をのこ)いゝよる事ありても、此(この)手首を見せぬればおそれて寄付(よりつく)者なし、是(これ)見給へとて、肌拔(ぬき)て見せける。家内の者も一同見て恐れあへりと語りしと、彼(かの)友物語せしと也。

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。本話は私が「耳嚢」の中で最も忘れ難い印象的な怪談である。同時に、私がここで「耳嚢」の全訳注を決することとなった濫觴でもある。実は教師時代の私は二〇〇五年にこれを私独自のオリジナルな教材の一つとして教案を作成し、過去数十回授業してきたのである。それが、私のサイト・トップに配した「やぶちゃんと行く江戸のトワイライト・ゾーン」である。されば、ここへと遂に辿り着いたことが、私には一際、感慨深いことなのである。高校生向けのものであるが、基本、無駄な注はなく、訳も大きく手を加える必要は感じなかった。それでも、ここでのコンセプトに整え直し、現代語訳も朗読に於ける滑らかさをモットーとして改訳した。但し、授業案では岩波のカリフォルニア大学バークレー校版を用いているので、この原文テクストは新規といってよろしい。

・「懺解」底本では「解」の右に『(悔)』と補正注する。本文中で「ざんげ」と出るのであるが、実は私は本当は「さんげ」と読みたい。懺悔(梵語の「クサマ」で、「懺」はその音写、「悔」はその意訳)。仏教用語。一般に今はキリスト教の「ざんげ」といっしょくたにされているが、本来は濁らない「さんげ」が正しい。「慚愧懺悔」(ざんぎさんげ)と熟語で用いることが多かったために、「ざんぎ」の影響で、下方が濁音化し、江戸時代には「ざんげ」となっていたとも言われている。過去に犯した罪を神仏や人々の前で告白して許しを請うこと、である。

・「文化の年の春」底本には「の」の右に『(六カ)』と編者注が載る。文化六年ならば西暦一八〇九年で、これは「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏の直近となる。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『文化巳の年の春』とあるから、文化六年春で採って現代語訳した。

・「大和𢌞り」現在の奈良県。奈良近辺の寺社仏閣の観光旅行。

・「奇成咄しに聞し由」この「に」は格助詞で「~として」という資格の用法。

・「頻りに賴みて右茶屋に宿りし」この事態が尼のケースと似ていたため、茶屋の主人はこの話を思い出した、というストーリーの流れをちゃんと押さえた伏線である。

・「何とかいへる名高き寺」ここは固有名詞を伏せるための意図的な改変。作者の友人の話では、ここには当然ちゃんとした寺名が入っていた。当時でも実名表記はやはり問題があったのである。

・「七八里」約二十八~三十二キロメートル。

・「我等」丁寧な言い方として一人称単数でも使う。

・「今日は師の坊のもとへと志しけれど」彼女は既に出家しているので、この場合の師というのは、一般には出家得度した際の、導師となった僧侶をさす。彼女が、新たに就くべき師とも取れるが、新たに就く前には正式には師と呼称しないであろうから、訳では、(かの寺の、私めの出家の導師であられる)としておいた。

・「はか」果・捗。仕事の進み具合。はかどり。進捗。ここでは、踏破距離を指す。

・「樣子を聞ての其上」関所においても「入り鉄砲と出女」の言葉があるように、女の一人旅は江戸時代、かなり警戒された。特にこの女性の場合、尼(出家の身である尼は逆に容認されうる条件ではあるが)であるが、まだ若い。躍り巫女の系譜を引く、尼を装った売春などのいかがわしい商いをする者、若しくは変装した悪行の者及びその手下も多くいたに違いなく、この茶屋の主人の警戒心はすこぶる自然ではある。実はそもそもが、当時は宿駅以外の宿泊は禁じられており、しかもこうした街道の茶店などは人を泊めることは禁ぜられていた。しかし、当然の如く、よんどころない理由で茶店などに一泊を求め、内々にそうしたことを茶店などが許したケースは、ここに見る通り、頻繁にあったようである。

・「法心」底本では「法」の右に『(發)』と訂正注する。発心(ほっしん)である。本来は仏教用語で、菩提の心を起こす事。発起。ここは出家することをいう。

・「有の儘に語り給はゞ宿まゐらすべき」主人は尼であるので、とりあえず、敬語を用いている点に注意。

・「爲逢(あはせ)て」のルビは底本の編者によるルビ。サ行下二段の他動詞。集める。合わせる。

・「本末」始めと終わり。顛末。一部始終。

 

●補説①

 しかし、この部分は、文字面以上に深読みが出来るようにも思われる。尼に語らせることに拘る、この茶屋の主人、ちょっとこの尼に対して色気がありそうに見えないだろうか? 勿論、手を出そうと言うはっきりとした意志は感じられないが、美形の尼と膝突き合わせて、彼女に過去を語らせることへの、やや甘ったるい色欲の情趣が何やらん、感じられるのである。

 それに対し、彼女は懺悔の話をするのに、わざわざ「御家内を集めて聞き給はれ」と述べていることに注意したい。これは、そのような主人の猥雑な心を見抜いた尼の牽制の台詞とは言えないだろうか?

 そして、それがラスト・シーンの秀抜な伏線ともなっているとも私には思われるのである。

 

・「何某といへる者」ここも姓を伏せるための意図的な改変。少なくとも尼の話では、ここには当然ちゃんとした家名が入っていたであろう。そもそも近在の村の実在姓名が登場して初めて聞き手(この場合は茶屋の主人)は尼の話を信じてくれるからである。

・「棟高き農家」大家。裕福な家。

・「不便」不憫。意外と思われるかも知れないが実は、この「不便」が正しく、「不憫」「不愍」は後の当て字である。①つごうが悪いこと。困ること。不都合。ふべん。②めんどうをみること。かわいがること。③あわれむべきこと。かわいそうなこと。ここは②を含んだ③。

・「重り」ラ行四段活用の自動詞「重る」の連用形。病気が重くなる。

・「こころのたけ」「たけ」は、あるかぎり、ありったけ、の意。

・「存命不定」生死のほどがわからないこと。

・「かゝる心細き事ないひそ」呼応の副詞「な」を受けて禁止の終助詞「そ」で「言ってはいけない」の意。 

 

●補説②

 明らかに、夫は自分の養女との密通の事実があるために、それを見透かされたような、この妻の言葉に大いに狼狽していると読む。妻は完全に夫の近親相姦・密通に気づいていると私は見る。でなければ、この後の惨事――或いは怪異性と言い添えてもよい――は発生しないと考えるからである。 

 

・「言ひしぞ」の「ぞ」は終助詞で、聞き手に対して自分の発言を強調する。江戸後期以後の用法である。

・「まめまめ敷」忠実忠実(まめまめ)しで形容詞シク活用の連用形。①非常に誠実である。はなはだまじめである。②よく勤め働くさまである。③日常生活に必要である。実用のものである。ここでは、②の意味だが、①の意味も込めて訳した。

・「心得ぬ」趣意を理解できない。合点がゆかない。

・「諫」目上の人の非をいさめること。また、その言葉。諫言(かんげん)。忠告。

・「いかにや」は結びの省略で、「ある」「おはする」が想定される。

・「彼女房」病気の奥方。

・「女子」私=尼。

・「菩提心」悟りを求め、仏道を行おうとする心。無上道心。 

 

●補説③

 さて、ここで「最前主の、年若く美しき尼の獨りあるき、若輩のものなど心かけ、理不盡もあるべきと、疑ひ給ふ様子なれど」と尼は述べる。これは先の主人の台詞、「さるにてもおん身年もいと若く、何故法心(ほつしん)し給ふや。見るに美敷(うつくしき)生れなれば譯こそあらん、有の儘にかたり給はゞ宿まいらすべき」を指しているわけだが、補説①で推理した通り、尼は鋭く、そこでの主人の猥雑な思いを言い当てていると言えよう。ここで主人はすでに尼に心を読まれてしまい、精神的にも圧倒されてしまっているのである。それでこそ、この後にやってくる驚愕の事実による、主人の心理的な衝撃は、いやましに大きくなるのである。

 

・「彼友物語せしや」直接体験過去の助動詞「き」が用いられているので、「彼友」とは作者根岸鎮衛の友人である(友人に話した知人ではない)。感動を示す間投助詞「や」には根岸鎮衛自身の素直な驚愕がよく現れていると思われる。 

 

●補説④

ジェイコブズの「猿の手」のエンディングを凌駕する、尼の乳をわしずかみにする手の 正体は何か!?

 この小話は、この作者の友人(または友人の知人)の創作であったとしても、極めて上質の、加えてホラーの勘所を心憎いまでに完璧に押さえた名作だと私は思っている。

 そもそも、民俗学的に考えるなら、冒頭の――私の・友人の・知人の・話である――という断り書きは、その無名性・匿名性という古今東西の噂話、アーバン・レジェンド(都市伝説)の常套的設定・必須属性なのである。

 まず構成の妙を考えてみる。

 絶世の若き尼という設定は、茶屋の主人ならずとも、ゴシップの匂い、通俗的興味をそそられざるを得ない。すなわち、我々は容易にこの一介の庶民である茶屋の主人と一体化するのである。我々は、知らず知らずのうちに、膝を突き合わせるようにして、粗末な煤けた茶屋で、この尼の話を聞く主人になるように本作は作られているのである。

 そして、その語る内容は、まさに我々の好奇心をくすぐる展開の連続である。――出生と同時に天涯孤独となる美少女――それが豪農の養女となる――その家の主人のお手がつく。……勿論、そこは極めてあっさりと語られてはいるのだが、聞く我々は、十五、六の少女の悲劇の、猥雑にして哀しい映像をそれぞれに空想するわけである。

 次の展開も、我々を裏切らない。

 主人の奥方が病みつく(この病因の一つは明らかに既にして娘への嫉妬心であろうと私思う)――次第に悪くなってお決まりの遺言――となる。しかし、当時の習慣から見れば、一見自然なその言葉の背後には、強烈な娘への遺恨が蜷局(とぐろ)を巻いているのである。表面的な平静が、逆に主人と娘の二人の平衡感覚を失わせてゆき、彼らはますます精神的に追い詰められてゆくのが、手にとるように伝わってくるではないか。

 そしてカタストロフがやってくる。この観音参りのシークエンスが突如、具体的な映像描写になっているところも、注意したいところである。エンディングの驚愕のリアリズムを効果的に高めるためには、既にして、ここからの詳細な描写が必要になってくるからである。その中でも特に直接話法の配し方が秀抜である。――「步行(あゆみ)苦しき」から――奥方を背負い――「いかにや」――そして――「わつ」!――に至る肉声の響きの流れは、美事な戯曲とも言えよう。

 さらに言えば、『主人は村用にて宿にあらず、いなまば病氣のさわりともなるべし』という心内語にも注意したい。この尼は、自分が最後の最後まで、奥方を母と思い、背負ってまでも誠意を示し続けたことをもちゃんと表明しているのである。これは実は大変大切なことなのである。なぜなら、この少女(=尼)がこの奥方に対して悪感情を抱いたり、オーバーに言えばここで殺意を抱いたりすれば、この話の最後の驚愕は逆に、その恐怖の度合いを殺(そ)がれてしまうからである。この主人の強要を拒めなかった、誠実で哀れな少女は――にもかかわらず――強烈な奥方の嫉妬の犠牲になった――という構造式であってこそ、この――救いがたい最後の恐怖――は完成するのである。悪女の報いというのでは、これ、当たり前でしかなく、本当の意味では、ちっとも怖くないのである。道徳的勧善懲悪のホラーは真正のホラーとは言えぬのである。

 背負った奥方を「振あを向(むき)て見しに」という場面も、強烈な映像的表現力で迫ってくる。自分の顔と奥方の、いや「鬼」の顔が、可憐な少女(すでに彼女は非処女であるが、私は敢えて少女と呼び続けたい)の顔に接するのである。恐怖はその「鬼」の顔が背後にあって、実に最も効果的なのである。我々は常に見えない無防備な背に恐怖を感じるのだ。ここでは、まさにその背に恐怖が文字通りとり憑き、張りついているのである!

 手首の話を聞いた(最後のコーダよりも前の)茶屋の主人は、まさに息を呑むと言うのが相応しい。補説③で述べたように、最早、彼は、尼の手中にあるといってよい。そして――やってくるのだ!

「是見給へとて、肌拔(ぬき)て見せける」

これほどの完全な戦慄のクライマックスはなかなか名作とされる戯曲にもあるまい。映像では急速にズーム・インする。美しく白い女のふくよかな両の乳房……そして……そしてそれをわしずかみにする……干からびた……赤黒い……ミイラの奥方の手首!――

   ***

 これが創作された話ではなかったと仮定しよう。

 それでは話中の尼の語りは本当であったのか、それとも、いやらしい主人をぞっとさせるための悪戯っぽい嘘っぱちだったのか?

 無事、師の寺へ安全に辿りつくために誰かが考えた(因果応報譚としては仏教説話に似たような話はあるから、作り話とすれば僧侶によるものである可能性が強い)策であったのか。しかも、そのためにわざわざざ模造の腕を胸に付けてまで準備した、手の込んだ芝居だったのか。いや彫り物を手すさびとする、導師の師匠が、美人の尼弟子のために、道中男除けとして造り込んだ、精巧なフィギアだったというオチは、笑い話としてはなかなか上質であろう。

 ただ、信憑性に疑問が残るとすれば、懺悔の冒頭、この茶屋に「ちかき村何某といへる者、彼尼を生み出て」という謂いにある。近在の村であれば、何故に、暮れかかる時刻に、この茶屋を訪れたのか。初めから、早朝に村を出ればよかろう。すぐに出ねばならない理由があったのかも知れぬが、その村に近い茶屋で遠くの寺の所在を尋ねるのも不可解な気がする。「ちかき」の一語、これは、激しく疑わしい。

 懺悔の内容とは違う、別な何らかの過去があって行脚する尼であったのかも知れぬ(寺云々の話は泊めてもらうための口実であったとも仮定出来る)。

 ただ、当時のこと、本人が述べたように、「年若く美しき尼の獨り步行、若輩のものなど心をかけ、理不盡もある」危険には満ちていた。そこで、普段から、この模造の腕を胸に常時付けておき、時によってはこのような話をして難を逃れていた、という可能性も全否定は出来まい。

   ***

 最後に。

 そうであったとしても、私は、この話を最初に読んだ時、これは模造の手ではないと直感したのである。

 それでは、やはり奥方の怨念の手首なのか?

 私は、この手は、左右の腋下リンパ節から腫脹した、進行した乳癌の病巣ではないかと思うのである。

 そして、私はこの女の懺悔もその大筋において真実である、と認めたいのである。

 主家の主人と不義密通を犯した上、育ての母である奥方の、裏切り者という影の声に怯える中、恨みを押し隠したまま奥方は死に(ここで奥方に対して悪意や殺意を抱いたことはあったと仮定するのは自由である。それでも私の仮説に影響はない)、その前後に、彼女の乳癌が発症したのではなかったか。若年性の、それも乳癌は進行が早いことは周知の事実である。なおかつ、花岡青洲の書き残した図譜を見ても、放置した乳癌の末期型はまさに赤黒く見るも無残な腫脹変形を起こす。まさに「癌」という字義の如く盛り上がる岩塊であり、リンパと血管が共に膨れ上がった患部は、脇の下から胸に張り付いたミイラの如き腕のようにも見えたであろう。

 それを彼女は、奥方の怨念、不義密通の因果応報と感じた。そしておのが罪の深さ故に出家、行脚に旅立った……と……そんな夢想を……私はするのである。……皆さんの一人一人の夢想をも、お聞きしたいものでもありまするがの……

 ……そんな哀しい話を私に創らせるほどに、私は、このまたとない強烈なホラーの、この尼に、何とも言えぬ幸薄(さちうす)さ、言い知れぬ寂しさや哀れを感じ、そして、また、なにゆえか……惹かれるのである。……

……その声に……

「これ……御覧なさい……ませ……」

……という……彼女の甘く優しく素敵に恐ろしい、その、幻の声に……。 

 

■やぶちゃん現代語訳

[やぶちゃん注:尼の語りの特に後半部は、茶屋主人(若しくは根岸の親友或いはその知人)の伝聞三人称間接話法となっている箇所があるが、臨場感を出すために、尼の一人称直接話法で統一し、読み易さを考え、シークエンスごとに適宜分章化してある。なお、尼の一人称の「私」は一貫して「わたくし」と読んで戴きたい。]

 

 不思議なる尼の懺悔(さんげ)の物語の事

 

   根岸鎭衞が語り

 文化六年巳年の春、私(わたし)の親しき友が訪ねて参り、その男の知れる御仁の話として語ったことである。

 

   根岸の親しき友が語り

……去年のこと……拙者の知人が大和・奈良辺りに遊んで、その大和で、これ、奇妙な話を耳にしたというのじゃ。……村の名は忘れたが、往来に面した茶屋に立ち寄り、ちょうど折悪しく雨も降って参ったによって、暫く休んでおったところが、気がつけば、陽も暮れかけてしもうた頃合いにて、雨も一向、止まなんだ。そこで、ちょいとしつこく頼んで、この茶屋に宿ったところが、その晩方、店(たな)を仕舞(しも)うた主人(あるじ)の出て参り、あれこれ、四方山(よもやま)話をしておるうち、その主人(あるじ)が、

「……そう言えば……この夏……けったいなこと、これ、御座いましてなぁ……」

と申したによって、我らも好奇心の動いて、「……それは、その……どこがどう……けったい、で御座った?」

と、話を乞うた……

 

   茶屋の主人(あるじ)が語り

‥‥‥年の頃は、十九か二十(はたち)と見えて、そりゃもう、あんた、見たこともないような別嬪(べっぴん)の尼はんが、たった一人でやって参りましてなぁ、

「……この大和の国の○○と申す、名高きお寺の在所は、いずくにて御座いまするか?」

と訊ねられられ、

「……その場所までは、ここより何里ほど、これ、御座いましょうや?」

と重ねて訊ねられましたによって、

「……へぇ?……ここからじゃ、あのお寺はんは……かれこれ……七、八里もありましょうぞ。……どうしてまた、そのようなところを、お訪ねなさるんじゃ?」

と伺ったところが、

「……私(わたくし)めは……幼き頃、両親にも死に別れ……村内(むらうち)の裕福なるお人にお仕え致しつつ、育ちましてございまする。……なれど、ある訳のあって……かくも、尼となり申した。……今日は、かの寺の、私の出家の導師であらるる師の僧坊へと、訪ね参るつもりで参りましたれど、女の足のこと、少しも路の捗(はかど)らず、陽も暮れてしまいましたによって……夜通し歩かんとも思いはしましたれど……今宵……ここもとにお泊め下さったとならば……明日は早朝に立ちましたれば、きっと明日は、日も高いうちに……お寺に着くこと、これ、出来ましょうほどに……」

と語るそのさまは、これ、嘘偽りとも思われませなんだによって、儂(わて)も、

『……哀れなことよ……一夜、宿として泊めてもええが……しかし、これ、やっぱり、しっかと、素性なんども聴いた上でのうては、のぅ……』

と思いまして、

「……それにしても、お前さま、若き身空(みそら)で……その……何故(なにゆえ)、ご出家なされた?……まあ、その……見るからに……美しいお生まれの人じゃて……よくよくの訳の、あろうほどに。……さても、その辺りのことも含め、これ、ありのままに、お話下すったとならば、一つ、宿をも、お貸し申そうぞ。……」

と申しました。すると、

「……そうとならば……私めの身の上を……これ……懺悔(さんげ)しましょうほどに……では一つ……お身内の方々をも、お呼び集めになられ……とくと……お聞き下さいまし。……」

と申しましたによって、妻子なんどをも呼び寄せましての、その尼の身の上、これ、その一部始終を、聞いたのでございまする…… 

 

   尼が懺悔(さんげ)

……私めの生まれは……ここからほど近き村の○○という家でございました。……私を産み落として間ものぅ、両親は相いついで身罷りまして……天涯孤独となり果てたのでございます。……一人娘でございましたによって、村中の者が、これ、何くれとのぅ、お世話をして下さり、育てて下さいましたが……そのうち、その里のうちにても、これ、特に裕福なる農家の旦那さまが、我らがことを不憫に思い、養子として引き取って、育って下すったのでございます。……

……そうして……ああ……忘れも致しませぬ……十五、六歳になりました頃のことでございます。……旦那さまは……いつしか……私めに……思いをかくることと、あいなりましたによって……私も……お育ていただいたご恩のありますればこそ……旦那さまの……その……お心のままに……身(みい)を……まかすることと……あいなってしもうたので……ございます……

……すると……奥方さまが……これ、急に病みつかれられて……日増しに重うなって参りますを……我らを、幼き頃より、心をこめて――親鳥が羽根で我が子を守るように――育てて下すった女人(にょにん)あればこそ……私めも深(ふこ)うに心をこめ、看病いたしましたのでございます……

……さて、最早、命も危ういと申すほどに患われた折りのこと……奥方さまは、旦那さまをお呼びになられ、次のように申し上げられました。

「……妾(わらわ)は最早、生きのびること、これ、難(かと)うなりました。……されば……もし……妾の身まかったとならば……その後に……他より……後添えをお迎えにならるるなんどということならば……これ……幼き頃より……大切に養い育てて参ったことなれば……この子を……どうか……妾のあとの……妻とされて……お迎えなされませ……」

 これには、旦那さまも大きに驚かれ、

「……そ、そのようなる心弱きことを申しては、いかんの。……せいぜい養生なしての、快気致すように頑張らねば、の。……」

とお励ましになられましたが、奥方さまは、それにお応えになられずに、今度はまた、私めに向かって、

「……夫(おっと)には、さても今のように申しましたぞえ。……もし、妾の身罷ったとならば……私に……代わって……家のことなど、万事、まことを尽くして、はかろうように……頼みますぞ……」

とおっしゃられましたによって、私は、

「……これは……何と訳のわからぬことをお仰せにならるるのでしょう?!……どうかして! しっかり養生なされ、お元気になって下さいまし!」

とお諫め申して……その後(のち)も、なお、心を込めて、ご看病、これ、致いたのでございます……

 

……そんな、ある日の夕暮れのことで、ございました。

 奥方さまが、

「……今日は、思いのほか、具合の好(よ)きによって……妾(わらわ)を伴(ともの)うて、近くの、ほれ、あそこの観音さまへ、夕涼みがてら、お参りに連れていっておくれでないか。」

とおっしゃられたのでございます。

 私めは、

『……旦那さまは村の御用で家におられぬ。……とは申せ……否(いな)まば、これもまた、病いの障(さわ)りともなろうか……』

と思いまして、手を引いて、二人して、その観音さまへと向(むこ)うたのでございます。…… 

 

……さても、しばらく歩くうち、奥方さまは、

「……ああっ!……歩くのは……やはり……苦しいゎ……」

と仰せになられましたによって、途中よりは、私めが奥方さまを背に負うて参りました。 

 

……ところが、しばらく参りますと……奥方さま、殊の外、お苦しみになられ始め、今にも死にそうな息遣いも聴こえましたによって、

「――ど、どうなされました!?」

と、私、

――肩越しに

――振り仰いで見ました……

……

ああっ!

……

――その顔の!

――恐ろしいことと言うたら……!

……

私は、

「わあっっつ!!」

と、一声叫ぶが早いか、その場に倒れてしまい、すっかり気を失(うしの)うてしもうたのでございます。…… 

 

……旦那さまは、お仕事のお済みになられ、家に戻ってこられたところが、私どもがおらぬので、家中の者に尋ねたところ、観音さまへと参ったとのこと、

「あの体にて、観音参詣など、これ、思いもよらぬことじゃっ!」

と、ご自身は勿論のこと、召使いやら村内の主だった者らをも呼び集(つど)うて、私どもの後を追うて参られ、我らを見出されましたとのこと。……

 

……ところが……私に背負われておられましたる奥方さまは……これ……すでにして……こと切れておられ……その亡くなった奥方さまを背負うたままの私めも……気絶致いておりましたを……水なんどをかけたところ……私めは……息を吹き返した……とのことでございます。…… 

 

……さても……奥さまと私と二人……これ……皆で家に連れ帰って……よぅく見ますると……奥さまは……その御手(おんて)を……私の肩から胸へと……しっかと、かけたままに……これ……こと切れておられたのでございましたが……さて!……

……その両手……

……これ……

……私めにとりついたるままに……

……いかにしても……

……これ……

……離れませなんだ……

……ご主人さまが、さまざまに手を尽くしてみられたのではございますが……

……これ……

……ビクとも……

……致しませなんだ…… 

 

……されば……仕方のぅ……

……その手首を……

……これ……

……切り離しまして、の……

……ご遺体を……

……引き剥がし……

……奥方さまのご遺体は、これ、手厚ぅに葬られましたけれども……

……その……

……私めの……

……肩から胸へと……

……とりついたる……

……奥方さまの……

……手首は……

……これ……

……今も……

……残ったままにて……

……ございまする…… 

 

……このことのあってより……私めも菩提心を発し、かくも尼となったのでございます。……

……そうそう……最前より、こちらのご主(しゅ)さまは、

――年若き美しき尼の一人旅――若き者なんどに言い寄られたり――意に添わぬ理不尽なるふるまいなどもあろうに……

なんどと……お疑いにならるるご様子……これ……ございましたれど……

……若き男(おのこ)なんど……言い寄ること……これ……ございましても、の……その時は……ほうれ……

……この手首……

……これを……

……見せますれば……

……誰(たれも)……

……恐れて……

……寄りつく者など……

……これ……

……ございませぬ。……

 

……これ……御覧なさい……ませ…… 

 

   茶屋主人が語り

……と

……肌脱いで

……見せました。……

……家中(かちゅう)の者も、皆、見て……これには、ほんまに!……心底……震え上がりまして御座いましたなぁ!…… 

 

   根岸鎭衞が結語

……と、その親しき友の、私(わたし)に語って御座った。……

 

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