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2015/01/31

耳嚢 巻之九 鬼火の事

 鬼火の事

 

 大御番の在番に箱根宿に泊り、夏のことなれば、同勤の面々旅宿に打寄(うちより)て、酒抔給(た)べて涼み居(ゐ)たりしに、向ふなる山より壹ツの火、丸く中(ちう)にあがりけるを見付(みつけ)、あれは何ならんと人々不審しけるに、二つにわかれ又飛廻り、或は集り又は幾つにもわかれぬるを興じけるに、やがて此方(こなた)へ來るやうなれば人々驚きて、何ならんと高聲(たかごゑ)に語り合(あひ)けるに、旅宿の男聞付(ききつけ)て、早々座舖(ざしき)へ出、疾々(とくとく)這入(はひいり)給ふべし、後には害もあるなりと、殊外(ことのほか)恐れ、早々に戸抔たてける故、何れもなむとなく怖しくなりて内に入りけるとぞ。天狗火(てんぐび)などいふものならんと、石川翁かたりぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:本格怪談で連関し、前話の話者「石川某」と、この「石川翁」は、孰れも大御番を勤めており、やはり全く同じその赴任(前話は帰府の途次ともとれる)の途中の直接の実体験の怪談としても連関、そうしてこれはもう、同一人物としか思われないから、話者同一で、トリプル連関である(かなり珍しい連関ケースである)。前話注で述べた通り、先行作品にこの人物、情報屋として多出する。「翁」と呼ぶ以上は、「卷之九」の執筆推定下限の文化六(一八〇九)年で根岸は七十二歳であるから、それより高齢の人物であることは間違いない。なお、この「耳嚢」の「鬼火」譚を今の連中が読むと、恐らくUFO――飛行分裂するタイプ――か、大気中にプラズマ状で存在するといわれる非常にユニークな未確認生物クリッターだ、なんどと言いそうだ。

・「鬼火」私のサイトブログの名でもあるので、ここは一つ、ウィキの「鬼火」をほぼ全文引かせて戴くのをお許しあれ(注記号は省略した。なお、ただの引用ではなく、リンク先のリンクも活用してある。また、何箇所かには私の忘れ難い感懐も添えてあるので、この注、お暇な折りにじっくり読んで戴きたいというのが私の本音である)。『日本各地に伝わる怪火(空中を浮遊する正体不明の火の玉)のことで』、『伝承上では一般に、人間や動物の死体から生じた霊、もしくは人間の怨念が火となって現れた姿と言われている。また、ウィルオウィスプ、ジャックランタンといった怪火の日本語訳として「鬼火」の名が用いられることもある』(「ウィルオウィスプ」はリンク先のウィキによれば英語の「will-o'-the-wisp」で、「一掴みの藁のウィリアム(松明持ちのウィリアム)」の意。死後の国へ向かわずに現世を彷徨い続けるというウィル(ウィリアム)という名の男の魂とするもの。生前は極悪人で、遺恨により殺された後、霊界で聖ペテロに地獄行きを言い渡されそうになった所を、言葉巧みに彼を説得し、再び人間界に生まれ変わる。しかし、第二の人生も悪行三昧で、またしても死んだ時、死者の門で聖ペテロに「お前はもはや天国へ行くことも、地獄へ行くこともまかりならん」と断ぜられて煉獄の中を漂うことになったが、それを見て哀れんだ悪魔が、地獄の劫火から、轟々と燃える石炭を一つ、ウィルに明かりとして渡した。この時、ウィルはこの石炭の燃えさしを手に入れ、その光が人々に鬼火として恐れられるようになったという。「ジャックランタン」の方は、同じくリンク先のウィキによれば、英語の「Jack-o'-Lantern」で、お馴染みのハロウィンの南瓜ランタンがそれ。アイルランド及びスコットランドに伝わる鬼火のような存在。名前は「ランタン持ちの男」の意。火の玉の姿の他、光る衣装を身に纏うカボチャ頭の男の姿であらわれることもある。生前に堕落した人生を送ったまま死んだ者の魂が死後の世界への立ち入りを拒否され、悪魔からもらった石炭を火種にし、萎びて転がっていたカブをくりぬき、それを入れたランタンを片手に持って彷徨っている姿だとされている(「ウィルオウィスプ」と同伝承)。また、悪賢い遊び人が悪魔を騙し、死んでも地獄に落ちないという契約を取り付けたものの、死後、生前の行いの悪さから天国へいくことを拒否され、悪魔との契約により地獄に行くことも出来ず、蕪に憑依して、この世を彷徨い続けている姿だともされている。こちらにはしかし、旅人を迷わせずに道案内をするという良き一面を持つ伝承もある)。『江戸時代に記された『和漢三才図会』によれば、松明の火のような青い光であり、いくつにも散らばったり、いくつかの鬼火が集まったりし、生きている人間に近づいて精気を吸いとるとされる』。また同書の挿絵からは、大きさは直径二~三センチメートルから二〇~三〇センチメートルほどで、地面から一~二メートル離れた空中に浮遊すると推察されてある(ここにまさに「耳嚢」の本話の概説が入る)。その外観は『前述の青が一般的とされるが、青白、赤、黄色のものもある。大きさも、ろうそくの炎程度の小さいものから、人間と同じ程度の大きさのもの、さらには数メートルもの大きさのものまである』。一個か二個しか現れないこともあれば、一度に二十個から三十個も現れ、『時には数え切れないほどの鬼火が一晩中、燃えたり消えたりを繰り返すこともある』。幾つもの例を見るに『春から夏にかけての時期。雨の日に現れることが多い』ようである。『水辺などの湿地帯、森や草原や墓場など、自然に囲まれている場所によく現れるが、まれに街中に現れることもある』。『触れても火のような熱さを感じないものもあれば、本物の火のように熱で物を焼いてしまうものもある』。『鬼火の一種と考えられている怪火に、以下のようなものがある』として、以下の四つが挙げられてある。それぞれのウィキのリンク内容を以下に附す(表題のリンクがそこ)。

不知:九州に伝わる怪火の一種。旧暦七月の晦日の風の弱い新月の夜などに八代海や有明海に現れる。現在これは蜃気楼の一種として解明されている。

●小右衛門火(提灯火):田の畦道などに出没し、地上から高さ一メートルほどの空中を漂い、人が近づくと消えてしまう。四国の徳島県では、一度に数十個もの提灯火が、まるで電球を並べたかのように現れた様子が目撃されている。化け物が提灯を灯していると言われていたことが名の由来で、狐の仕業ともされる。徳島県三好郡などでは、この提灯火のことを狸火(たぬきび)と称する。大和国葛下郡松塚村(現在の奈良県橿原市)では、こうした怪火を小右衛門火(こえもんび)と呼ぶ。

じゃんじゃん火:奈良県各地に伝わる怪火。鬼火の一種とされる。「じゃんじゃん」と音を立てるとされ、心中者や武将などの死者の霊が火の玉に姿を変えたものとする伝承が多い。私は中二の時に買って読んだ今野圓輔氏の編著になる「日本怪談集〈幽霊篇〉」(五六~五八頁)――この本は小学校三年の時に読んで痺れた小泉八雲の怪談・奇談に次いで、私の怪奇趣味の淵源となった忘れ難い書である――のこの名前が頭にこびりついて離れない。私にはとびっきりの怨念の鬼火・人魂として、この名が刻印されてしまっているのである。ついでに脱線しておくと(実は私は箱根繋がりで脱線だと思っていないのだが)、この本にはやはり恐ろしい話として、乗鞍連峰の朝日岳山頂の千町ヶ原「精霊田(しょうらいだ)」での亡者との遭遇譚(昭和二四(一九四九)年の話として別冊「週刊サンケイ」に載るもの)が載るのだが、この「しょうらいだ」という地名が私には何故か、箱根登山電車の駅名「入生田」(いりうだ)と連動してしまっており、あの箱根の駅の名を聴いたり、そこを通り過ぎると、自動的に「ジャンジャン火」が起動して鬼火の群れ見えてしまうのである! 少年期の擦り込みは凄い。こうしてタイピングしていても、五十七の私は、何だか、体がゾクゾクしてきたのである……

天火:「てんか」「てんび」「てんぴ」などと読む。日本各地に伝わる怪火の一種。かつては天火は怨霊の一種と考えられていたともいい、一例として、熊本県天草諸島の民俗資料「天草島民俗誌」に載る伝説によれば、ある男が鬼池村(現在の天草市)へ漁に出かけたが、村人たちによそ者扱いされて虐待され、それがもとで病死した。以来、鬼池には毎晩のように火の玉が飛来するようになり、ある夜に火が藪に燃え移り、村人たちの消火作業の甲斐もなく火が燃え広がり、村の家々は全焼した。村人たちはこれを、あの男の怨霊の仕業といって恐れ、彼を虐待した場所に地蔵尊を建て、毎年冬に霊を弔ったという、とある。このケースは怨念の火が実際に火災を引き起こすという比較的稀なケースと言えるであろう。

『狐火もまた、鬼火の一種とみなす説があるが、厳密には鬼火とは異なるとする意見もある』。以下、上記以外の各種鬼火(見易くするため。表題に●を附し、アラビア数字を漢数字に代えた)。

   《引用開始》

●遊火(あそびび)

高知県高知市や三谷山で、城下や海上に現れるという鬼火。すぐ近くに現れたかと思えば、遠くへ飛び去ったり、また一つの炎がいくつにも分裂したかと思えば、再び一つにまとまったりする。特に人間に危害を及ぼすようなことはないという。

●いげぼ

三重県度会郡での鬼火の呼称。

●陰火(いんか)

亡霊や妖怪が出現するときに共に現れる鬼火。

●風玉(かぜだま)

岐阜県揖斐郡揖斐川町の鬼火。暴風雨が生じた際、球状の火となって現れる。大きさは器物の盆程度で、明るい光を放つ。明治三十年の大風では、山からこの風玉が出没して何度も宙を漂っていたという。

●皿数え(さらかぞえ)

鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』にある怪火。怪談で知られる『皿屋敷』のお菊の霊が井戸の中から陰火となって現れ、皿を数える声が聞こえてくる様子を描いたもの。

●叢原火、宗源火(そうげんび)

鳥山石燕の『画図百鬼夜行』にある京都の鬼火。かつて壬生寺地蔵堂で盗みを働いた僧侶が仏罰で鬼火になったものとされ、火の中には僧の苦悶の顔が浮かび上がっている。江戸時代の怪談集『新御伽婢子』にもこの名がある。

●火魂(ひだま)

沖縄県の鬼火。普段は台所の裏の火消壷に住んでいるが、鳥のような姿となって空を飛び回り、物に火をつけるとされる。

●渡柄杓(わたりびしゃく)

京都府北桑田郡知井村(のちの美山町、現・南丹市)の鬼火。山村に出没し、ふわふわと宙を漂う青白い火の玉。柄杓のような形と伝えられているが、実際に道具の柄杓に似ているわけではなく、火の玉が細長い尾を引く様子が柄杓に例えられているとされる。

●狐火(きつねび)

様々な伝説を産んできた正体不明の怪光で、狐が咥えた骨が発光しているという説がある。水戸の更科公護は、川原付近で起きる光の屈折現象と説明している。狐火は、鬼火の一種とされる場合もある。

   《引用終了》

 『まず、目撃証言の細部が一致していないことから考えて鬼火とはいくつかの種類の怪光現象の総称と考えられる。雨の日によく現れることから、「火」という名前であっても単なる燃焼による炎とは異なる、別種の発光体であると推察されている』。『注目すべきは昔はそんなに珍しいものでもなかったという点である』。『紀元前の中国では、「人間や動物の血から燐や鬼火が出る」と語られていた。当時の中国でいう「燐」は、ホタルの発光現象や、現在でいうところの摩擦電気も含まれており、後述する元素のリンを指す言葉ではない』(所謂、燐光という感覚的な発光現象の謂いであろう)。『一方の日本では、前述の『和漢三才図会』の解説によれば、戦死した人間や馬、牛の血が地面に染み込み、長い年月の末に精霊へと変化したものとされていた』。「和漢三才図会」から一世紀後の十九世紀以降の日本に於いては、『新井周吉の著書『不思議弁妄』を始めとして「埋葬された人の遺体の燐が鬼火となる」と語られるようになった。この解釈は』大正から昭和初期頃まで『支持されており、昭和以降の辞書でもそう記述されているものもある』。『発光生物学者の神田左京はこれを』、一六九六年に『リンが発見され、そのリンが人体に含まれているとわかったことと、日本ではリンに「燐」の字があてられたこと、そして前述の中国での鬼火と燐の関係の示唆が混同された結果と推測している』。『つまり死体が分解される過程でリン酸中のリンが発光する現象だったと推測される』とある。

 私の亡き母も少女時代に墓の傍で光るものを見て驚いたが、父(私の祖父。歯科医)が「あれは人間の骨に含まれる燐(リン)と呼ばれる成分が発光するに過ぎない」と言われて、母は亡くなるまでまでそう思っていた。

 『これで多くの鬼火について一応の説明がつくが、どう考えてもリンの発光説だけでは一致しない証言もかなり残る』。『その後も、リン自体ではなくリン化水素のガス体が自然発火により燃えているという説、死体の分解に伴って発生するメタンが燃えているという説、同様に死体の分解で硫化水素が生じて鬼火の元になるとする説などが唱えられており、現代科学においては放電による一種のプラズマ現象によるものと定義づけられることが多い』。『雨の日に多いということでセントエルモの火(プラズマ現象)と説明する学者もいる。物理学者・大槻義彦もまた、こうした怪火の原因がプラズマによるものとする説を唱えている』。『さらに真闇中の遠くの光源は止まっていても暗示によって動いていると容易に錯覚する現象が絡んでいる可能性も』あろうとある。『いずれの説も一長一短がある上、鬼火の伝承自体も前述のように様々であることから、鬼火のすべてをひとつの説で結論付けることは無理があ』り、『また、人魂や狐火と混同されることも多いが、それぞれ異なるとする説が多い一方、鬼火自体の正体も不明であるため、実のところ区別は明確ではない』とある。こうした超常現象のウィキ記載はなかなか難しいが、私はこの多様な形態と起源ン持つ「鬼火」をかなりよく書いていると思う(言っておくが、これは多量引用のお世辞でない)。

 因みに、申し添えておくと、私のサイトとブログの「鬼火」とは、この鬼火では、実はない。これはサイト・トップの写真やブログの画像の「 La fête est finie. 」(祭りは終わった。)見て戴ければ分かる通り、私の偏愛する Drieu La Rochelle/Louis Malle "LE FEU FOLLET" (邦訳題「消えゆく炎」=映画邦題「鬼火」)の「鬼火」である。私個人は主人公 Alain の自死に至るまでのシンボルであり、またアランが寄って無名戦士の墓を自分のベッドと誤って寝ていたという、笑いを誘うエピソードを軽蔑するブランシオンに――『あなたに申し上げよう。酔って墓の上に眠っても、何も面白くない。眠るのなら墓の中に寝るべきだ――』――というシーンの向こうに、墓の蠟燭の朧に揺らめく形象でもあるのである――

・「丸く中」底本には「中」の右に『(宙)』と訂正注を打つ。

・「天狗火」ウィキの「天狗火」を引く(注記号は省略した。下線部やぶちゃん)。『天狗火(てんぐび)は、神奈川県、山梨県、静岡県、愛知県に伝わる怪火』で、『主に水辺に現れる赤みを帯びた怪火。その名が示すように、天狗が超能力によってもたらす怪異現象のひとつとされ、神奈川県や山梨県では川天狗の仕業とされる。夜間に山から川へ降りて来て、川魚を捕まえて帰るとも、山の森の中を飛び回るともいう』。『人がこの火に遭遇すると、必ず病気になってしまうといわれている。そのため土地の者はこの火を恐れており、出遭ってしまったときは、即座に地面にひれ伏して天狗火を目にしないようにするか、もしくは頭の上に草履や草鞋を乗せることでこの怪異を避けられるという』。『遠州(静岡県西部)に現れる天狗火は、提灯ほどの大きさの火となって山から現れ、数百個にも分裂して宙を舞うと言われ、天狗の漁撈(てんぐのぎょろう)とも呼ばれている』。『愛知県豊明市には上記のように人に害をなす伝承と異なり、天狗火が人を助けたという民話がある。昔、尾張国(現・同県)東部のある村で、日照り続きで田の水が枯れそうなとき、川から田へ水を引くための水口を夜中にこっそり開け、自分の田だけ水を得る者がよくいた。村人たちが見回りを始めたところ、ある晩から炎の中に天狗の顔の浮かんだ天狗火が現れ、水口を明るく照らして様子をよく見せてくれるようになった。水口を開けようとする者もこの火を見ると、良心が咎めるのか、明るく照らされては悪事はできないと思ってか、水口を開けるのを思い留まるようになり、水争いは次第になくなったという』。『また同県春日井市の民話では、ある村人が山中で雷雨に遭い、身動きできずに木の下で震え上がっていたところ、どこからか天狗火が現れ、おかげで暖をとることができた上、道に迷うことなく帰ることができたという』。『しかしこの村では天狗火が見える夜に外に出ると、その者を山へ連れ去ってしまうという伝承もあり、ある向こう見ずな男が「連れて行けるものならやってみろ」とばかりに天狗火に立ち向かったところ、黒くて大きな何かがその男を捕まえ、山の彼方へ飛び去っていったという』。以下、鳥山石燕の「百器徒然袋」にある天狗火、松明丸(たいまつまる)の図と解説を載せ、『火を携えた猛禽類のような鳥として描かれ』、『天狗礫(天狗が降らせる石の雨)が発する光で、深い山の森の中に現れるとされる。暗闇を照らす火ではなく、仏道修行を妨げる妖怪とされる』とある。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 鬼火の事

 

「……大御番の在番に箱根宿に泊まり、夏のことなれば、同勤の面々と一つ旅宿にうち寄よって、嶺に開いた座敷の縁側で酒なんど酌み交わしつつ、涼んでおったところ……

――向うの山の中腹より

――一つの火が

――これ

――丸(まある)き形となって

――フゥワリ

と宙へ上がったを仲間内の者が見つけ、

「……あれは何じゃろう?」

と、皆して不審がっておったところ、これが、突然、

――二つに分かれ

――また

――飛び廻り

――あるいは集まり

――または

――幾つにも分かれては

……これ、あたかも――そうやって火の玉が魂を持って遊び興じておる――ようにしか見えませなんだのぅ。

 やがて、何と!それらが、今度はこちらへ向かって飛び来たるような雰囲気になって御座ったによって、我ら皆、驚きて、

「……あ、あの妖しきものは!」

「……あれぇ! こっちを向いたぞ!」

「……何(なん)なんじゃあッ! ありゃア!」

と高声(たかごえ)に語り合(お)うておったところが、旅宿の男がこれを聴きつけ、足早に我らが座敷へと参るや、

「――さ! さっ! は、早(はよ)うに内へお入りなされませ!――こ、これは後々(あとあと)――これ、恐ろしき害も、あるものに御座いますればッ!」

と、殊の外、恐るるさまにて、早々にその座敷の雨戸なんどをまで皆、閉(た)て切ってしもうたによって……我ら、孰れも皆、何となく、これ、怖しゅうなりましての……皆して、そそくさと、宿内(やどうち)の奥座敷へと移って御座った。……

……これは……何でも

――天狗火(てんぐび)

なんど申すもので御座ったらしい。…………」

と、石川翁の語って御座った。

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