芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」 附やぶちゃん注 冒頭注
芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」 附やぶちゃん注
[やぶちゃん注:本作は佐藤春夫(明治二五(一八九二)年~昭和三九(一九六四)年)が、「澄江堂遺珠」として昭和六(一九三一)年九月から翌年一月までに発行された雑誌『古東多万』(ことたま・やぽんな書房・佐藤春夫編)第一年第一号から第三号(号数は本文末尾に記された本書の校正者の神代種亮(こうじろたねすけ)の「卷尾に」による。本誌は国立国会図書館の書誌データによれば月刊らしいが、実際には各月に発刊されてはいないことになる)に掲載したものを佐藤自身がさらに整理し、二年後の昭和八年三月二十日に岩波書店より芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯(さんしゅう)「澄江堂遺珠 Sois belle, sois triste.」として刊行したものである。内容的には序にある佐藤の「はしがき」にも記されてあるように昭和四(一九二九)年二月二十八日発行の岩波書店「芥川龍之介全集」(岩波書店版第一次「芥川龍之介全集」全八巻。昭和二年十一月に刊行を開始、昭和四年二月に完結した。「元版全集」と通称する)の「別冊」に載る堀辰雄編の芥川龍之介の「詩歌」から漏れた詩稿を「纂輯」したものではある。纂輯とは「文書や材料を集めて書物にまとめること」の言いで編纂・編集と同義で用いられるのであるが、私はまさしく本書の場合――暗号めいてばらばらになっている友芥川龍之介の「歌草」の謎の断片を「搔き集め」、そこから「戰の庭に倒れた」芥川龍之介という「もののふ」たる友の「傷手をしらべ」、遂に恐るべき一箇の書物として纏め上げた稀奇書――と言えると思っている(鍵括弧内の語は本文最後の佐藤自身の献詩の一節である)。
佐藤春夫が江口渙を通じて芥川龍之介と初めて面会したのは、大正六(一九一七)年三月中旬、互いに二十五の時であった(二人は同年生まれである)。これは芥川が作品集「羅生門」を刊行したり「偸盗」を発表する前月であり、佐藤はと言えば、まさにこの年に神奈川県都筑郡中里村(現在の横浜市)に移住して田園生活を開始、画作に精を出しつつ、かの名作「病める薔薇」の執筆を始める時期と一致する。三ヶ月も経たない同年六月一日に日本橋のレストラン「鴻の巣」で開催された芥川龍之介「羅生門」出版記念会「羅生門の会」では佐藤が開会の辞を述べる名誉を得ており、龍之介とは急速に親密度が増したことが窺われる。
本ページは、そうした著者佐藤春夫の亡き友への限りない愛惜というコンセプトで、装幀や紙質に至るまで徹底的に考え尽くされた、奇妙ながら龍之介遺愛と言ってもよい本書の面影を、種々の著作侵害に抵触せぬよう配慮しながら、なるべく伝え得るように作ったつもりである。ただ、私でない誰もが可能なただの平板鈍愚な電子テクストに終わらせぬために恥ずかしながら不肖私藪野直史のオリジナルな注を各所に配してあり、それが折角の原本の美しさを穢していることについては内心忸怩たる思いがあることは言い添えておく。
底本は日本近代文学館発行「名著復刻 芥川龍之介文学館」(昭和五二(一九七七)年発行)の岩波書店発行の初版復刻本を用いた。
底本では佐藤春夫の三字下げの評注は本文よりもポイントが落ちるが、敢えて同ポイントとしつつ(佐藤の役割を考えれば、私は寧ろこれが正しいとさえ考えている。但し、正当本文中のものは明確に区別するために有意にポイントを落した)、改行箇所は底本に準じて一行字数を一致させた。但し、鍵括弧や読点の半角(総て)は見た目が悪く(私にとって)、読点半角はPDF化した際に不具合を生じるため、総て全角にしてある)。また、佐藤春夫による注意強調の傍点(底本のものは通常の黒の傍点「ヽ」ではなく、白抜き傍点「﹆」)はブログ版では太字とした。
一部に注を附した。当初は総ての各詩篇について、現存する資料との校合を試みようとしたが、実は冒頭の一篇から既に躓いてしまったのである。則ち、この冒頭の一篇からして、全く同一の文字列を持った同一テクストは――実は――少なくとも現存するテクスト類には――ない――のである。則ちこれは、「澄江堂遺珠」や堀辰雄の旧全集「未定稿」は――単純にして虚心坦懐の芥川龍之介の一篇を忠実に書写したものでは――全くない――ということなのである。一応、最初の一篇にのみはそうした校合結果の注を附したが、以下では特に注しておかねばならぬと私が考えた重大な部分のみに限った。これらの解析はしかし、向後、私自身、生涯、続けていきたいと考えている(そのために私はブログにカテゴリ『「澄江堂遺珠」という夢魔』を創っておいた(これはまさに痙攣的な恐るべき「澄江堂遺珠」との格闘の修羅場となると覚悟しているが、それは私と芥川龍之介の出逢いの究極の因縁と心得ている。これをここに告白し、これ以上述べることは控えたいと思う)。
なお、本書の副題のような「Sois belle, sois triste.」は詩稿の欄外に記されたメモに基づく(後掲する装幀貼り交ぜに出る)。これ自体はフランス語で「より美しかれ、より悲しかれ」の意であり、またこれはボードレール( Charles Baudelaire )が一八六一年五月に発表した「悲しいマドリガル(恋歌)」( Madrigal triste )――現在は「 悪の華」( Fleurs du mal
)の続編・補遺に含まれる一篇――の一節である。私の「やぶちゃん版芥川龍之介詩集」の旧全集「未定詩稿」の最後に附した私の注で原詩総てを示してあるので参照されたい。]