飯田蛇笏 山響集 昭和十四(一九三九)年 春――かなり難解なれば識者の御教授を乞う!!――
昭和十四年
〈昭和十四年・春〉
飾り臼みづの靑藁ほのかにも
[やぶちゃん注:「飾り臼」正月、農家で土間などに新しい莚の上に大切な臼を洗い清めて据え、杵を掛け、臼に注連繩(しめなわ)を張って鏡餅を供えること。箕を添えることもある。「みづ」
は「瑞」でみずみずしいこと・麗しいことを指し、注連縄に用いている「靑藁」の清々しい色をモノクロームの静謐な画面に「ほのかにも」点じて、実に美事である。]
初年のたちかへる音に荒瀨かな
舊正の羅紗鋪の玻璃に護謨映ゆる
[やぶちゃん注:吟詠している対象画像が今一つよく分からない。「羅紗鋪」は「らしやほ」で、ラシャ(ポルトガル語 raxa :羊毛を原料として起毛させた厚地の毛織物)で、「鋪」は「舗」の正字で「店」の意、即ちこれは旧正月の日の毛織物屋の店先の景ではあるまいか? されば、「玻璃」は「はり」でガラス、ここは店のショウ・ウィンドゥで、「護謨」はそこに飾られてある鉢植えの「ゴム」(オランダ語 gom )、観葉植物のイラクサ目クワ科イチジク属インドゴムノキ Ficus elastica であろう。これは私の勝手なトンデモ解釈かも知れない。識者の御教授を乞うものである。]
山川を流るゝ鴛鴦に松過ぎぬ
[やぶちゃん注:対象映像のずらし方とても面白い。]
初年の神ム鎭む嶽雪を見ず
弓初め大山祗(おほやまつみ)は雲かゝる
[やぶちゃん注:「弓初め」御弓始め。中世以降に毎年正月に幕府で行われた弓を射る儀式。新年に初めて弓を引くこと。初弓。射初(いぞ)め。射場(いば)始め。新年の季語である。これは全くの直感に過ぎないのだが、笛吹市一宮町一ノ宮にある浅間神社の南方の神山の麓に鎮座する境外摂社である山宮神社及びその神山を指しているのではあるまいか? この神社は大山祇神を祀っている。識者の御教授を乞う。]
楪をとる妻(め)に園はうす雪す
[やぶちゃん注:「楪」は「ゆづりは(ゆずりは)」。譲葉は、 常緑高木のユキノシタ目ユズリハ科ユズリハ Daphniphyllum macropodum 。暖地の海岸近くに多く、庭木としてよく植えられる。葉は互生し、大形の狭い長楕円形を成し、質が厚く濃緑色、葉柄は赤い。雌雄異株で初夏に黄緑色の小花を総状につけ、実は暗青色に熟す。新葉の生長後に旧葉が落ちることから、この名がある。葉は新年の飾りに用いられ、新年の季語である。ウィキの「ユズリハ」によれば、その名称の由来は、『春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することから。その様子を、親が子を育てて家が代々続いていくように見立てて縁起物とされ、正月の飾りや庭木に使われる』とある。]
鏡中に剃り顎靑き初湯かな
温室灯りゐて古年の闇深き
[やぶちゃん注:「古年」は「ふるどし」と私は読む。]
伊達の娘は韓紅の春袋(さいふ)もちにけり
[やぶちゃん注:私は「だてのこは/かんくのさいふ/もちにけり」と読む。「韓紅」は通常なら「からくれなゐ(からくれない)」、唐紅で、濃い紅色、深紅色を指す。大方の御批判を俟つ。]
漁樵絶えげに初霞む野山かな
[やぶちゃん注:「漁樵」は「ぎよせう(ぎょしょう)」で、木を伐ることと、魚を捕ること。或るいは、樵(きこり)と漁師の意で、後者であろう。とすれば、「ぎよせう/たえげにそかすむ/野山かな」と私は読む。]
山盧節分
こだまする後山の雪に豆を撒く
[やぶちゃん注:「後山」は音で「ござん」と読む。]
暾あまねく樹林新たに年たちぬ
[やぶちゃん注:「暾」は「ひ」と訓じていよう。朝日の謂い。]
ウクレレに昔の燭おく古風の爐
[やぶちゃん注:「ウクレレ」は英語で「ukulele・ukelele」、元はハワイ語の「ukulele」。]
ウクレレ春搖籃の兒の瞳はみどり
春を穢れ聖女いよいよ着裝へり
[やぶちゃん注:「着裝へり」は「よそほへり」と訓じていよう。個人的に好きな句である。]
歔欷(すゝりな)くこゑ閨中に大椿樹
[やぶちゃん注:「大椿樹」は「おほつばき」と読みたいが、蛇笏流なら「だいちんじゆ(だいちんじゅ)」か?]
春祭高嶺の雪に笙鼓鳴る
大嶽祇初午の燈は雲の中
[やぶちゃん注:「大嶽祇」は「おほやまづみ」であろう。これも直感乍ら、先の山宮神社での景ではなかろうか?]
葱うゑる夕影の土やや冷えぬ
菜は莢(さや)に蝶をとゞむる名殘り花
桑萌えて地に雨霽れの風なごむ
野茨咲き氣弱き耕馬尾をふれり
春蕎麥の茎眞つ靑に花盛り
※梅に雪水ながれ花競ふ
[やぶちゃん注:「※」=「山」+(「棧」-「木」)。お手上げ。識者の御教授を乞う。山の岨(そば)、崖に植う梅か?]
幽谷蘆川の村孃等各〻炭俵を背負うて
峠を越ゆるに或時迫ればところをきら
はず
女神らの穢に草靑む暮春かな
[やぶちゃん注:娘らの――お花摘みの景を詠んで――よし!]
結婚十數日にして花婿頓死したるK-家
の花嫁に逢ふ
春ふかく泪せぬ眼の光りけり
[やぶちゃん注:名吟と私は思う。]