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2015/02/26

耳嚢 巻之十 氣の毒なる奇病の事

 氣の毒なる奇病の事

 

 彼(かの)云榮(うんえい)、療治にまかりし去(さる)屋舖(やしき)の家來の妻、殊外(ことのほか)腹張り甚(はなはだ)難儀の由にて、療治を求めける故、其樣子を見しに、腹内殊外張りて、其樣子くわしく尋(たづね)ければ、聲をひそめて、いかなる事にや、去冬より放屁の出る事甚敷(はなはだしく)、客などありて愼めば、心持(こころもち)あしく、誠に此上なき難儀の由かたりし故、女の儀甚難儀をも察しやりて、療治などなして歸りけるが、翌朝殊外鍼治(しんじ)にて快(こころいき)由禮を述べける。此度(このたび)の不快も、右放屁四五日も不出(いでざる)故、右の通(とほり)腹はりくるしみしと聞(きき)しまゝ、屁(へ)や出けんと、翌日云榮見舞(みまひ)ければ、厚く禮謝なして、猶(なほ)又療治なしけるが、云榮も何程(なにほど)申(まうし)候とも、女なれば人前にて放屁可致(いたすべき)事とも思はねば、出るものを餘り愼みこらへんはあしかるべし、くるしからざる間(あひだ)催(もよほさ)ば放(はな)したまへといひしに、嬉しき由にて、療治中五つ六つも音高く放しけるに、臭氣も難忍(しのびがたく)、かさねての見廻(みまはり)は心有(ある)べしと語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:医師云榮ニュース・ソース二連発。蘇生臨死体験から過敏性腸症候群(IBS:Irritable bowel syndrome)のガス型(これを全く別の機能性腹部膨満症とする立場もある)の症例へ。但し、最後にガスの臭気が耐え難いほどとあるのは、潰瘍性大腸炎(ガスは腐った卵のような硫化水素臭を伴う場合がある)や大腸癌(ガスは腐った玉葱のようなメタンチオールを有意に伴う場合がある)である可能性もある。この小話、訳をもっと面白可笑しくチャラかすことも出来よう。しかしこれは私にはお笑いではないのである。私は小さな時からずっと慢性下痢型のIBSだからである。私は小学校の朝の朝礼中、二年生・三年生・四年生と三度も大便を漏らした。この手の七転八倒の苦しみは体験したことのある人間にしか分からぬ。

・「彼云榮」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『彼(かの)針治(しんじ)云榮』で、本話柄によっても(前話のカリフォルニア大学バークレー校版にすでに『針治云榮』と出ている)彼が針医であることが明白。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 気の毒な奇病の事

 

 前話の話者で御座った針医(しんい)云栄(うんえい)殿が療治に参った、さる御屋敷の家来の妻の症例。

 殊の外に腹が張ってひどく難儀との主訴にて切に療治を求めて御座ったによって、その様態を仔細に診てみたところ、腹部が異様なまでに膨満して張り出していた。その日常の具合につき、詳しく問診致いてみたところ、この女性の患者、声を潜めて、

「一体何が原因かは存じませんが、去年の冬頃より……放屁……これ、はなはだしゅう御座いまして……客などのあって意識して放屁を堪(こら)え慎まんとすると、さらにひどく気持ちが悪くなります。……正直、たがが放屁では御座いますが、想像を絶する難儀にて御座いまする。……」

と告白したと申す。

 されば女性のことなれば、その堪えねばならぬ苦痛や、そうした場面で出そうになったら如何せんと申す恐怖心による心痛などをも察せられたによって、幾つかの関連せるツボに針を打つなどして、その日は帰った。

 翌朝、具合を確かめに参ったところ、

「昨日の鍼(はり)治療によって、殊の外、具合、よろしいように御座いまする。」

とのことにて、如何にも嬉しそうに礼を述べたと申す。そうして、

「……このたびの激しき不快な感じも、これ、実は、かの放屁が四、五日も出そうで出て参りませぬによって……かくもお腹(なか)の張って苦しんでおりましたので。……」

とのことで御座った。

 されば、その翌日もまた、見舞ってみたところ、やはり小康は保ってはおり、またしても厚き礼謝などなして呉れたによって、なおまた、続いて針を打って療治致いた。

 この度(たび)は云栄も、

『……流石に苦しゅうて、医師なればとて、かくも仔細を述べたのであろうが、女なれば人前にてはこれ、放屁など思いもよらぬのであろう。さればその耐え忍ぶこと、これ、かなりの苦痛にて御座ろう。出そうになったら堪えよう、堪えられなんだら如何せんという心の痛みも悪しきことじゃ。……』

などといったことを勘案致いた上、針治を始めるに当たって、

「――出ようとするものを、あまりに堪え慎まんとするは心身ともに悪しき結果を生みましょうぞ。苦しからざる間(あいだ)、療治の間に催して参られたとならば、我らを気にせず、成るがままに、これ、放屁なさいませ。」

と声掛け致いたところが、いたく嬉しそうな様子にて、実際、療治の間、五、六回も音高く放って御座った。……

 

「……ただ、その臭気、これ、はなはだ堪え難きものにて御座っての。……正直申さば……以後の往診に就きては……これ、かなり覚悟して参らねばなるまいと、存じおる次第にて御座る。……」

と、云栄殿の語って御座った。

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