譚海 卷之一 上總國異草・鹽岩・赤蜻蜓の事
上總國異草・鹽岩・赤蜻蜓の事
○上總國某郡關戸村と云處に先年異草を生じたり。花は緋桃の如く、はなのしべ五色にて層々臺(うてな)をなせり。年々生じたるが十一年にして生ぜず。金線重櫻(きんせんかさねざくら)と云もの也とぞ。又房総の堺(さかひ)長狹郡(ながさのこほり)に浜村と云處に鹽(しほいは)岩といふものを出す。巖高山と云(いふ)日蓮宗の寺の山中より出る也。蜀郡より出る石鹽(いしじほ)のたぐひなるべしとぞ。又その国海邊へ出てみれば、秋の末南のかたより、丸くかたまりたる赤きもの、潮に乘じていくらも流れくる。海邊に着(つく)とき見れば、皆赤蜻蛉のかたまりたるにて、海をはなるれば飛(とび)ちりて北をさしてさる。いづ方よりくるといふ事をしらず。されば赤とんぼは此邦より生ずる物にあらずといへり。
[やぶちゃん注:「蜻蜓」音は「セイテイ」で、ヤンマ。ここはトンボの別称で、「とんぼ」と訓じていよう。
「上總國某郡關戸村」不詳。この時代の上総国に関戸村を確認出来ない。識者の御教授を乞う。
「金線重櫻」不詳。識者の御教授を乞う。
「長狭郡」安房国にあった郡。現在の鴨川市の江見各町及び東江見・西江見・四方木に当たる。
「鹽岩」岩塩層であろう。塩には殺菌と止血効果がある。
「巖高山と云日蓮宗の寺」現在の鴨川市内浦にある岩高山日蓮寺かと思われる。鴨川観光サイトのこちらによれば、日蓮が小松原法難(文永元(一二六四)年に小松原(現在の千葉県鴨川市広場)の鏡忍寺にて以前から恨みを持っていた念仏信者の東条景信が日蓮を襲い、弟子の鏡忍房日暁と信者の工藤吉隆が殺され、日蓮も額を斬られて左手を骨折、重傷を負った事件)で刃傷を受けた際、岩高山の窟の砂を削って血止めに使用したと伝える(現在は住職管理人不在)。「耳嚢 巻之二 人の不思議を語るも信ずべからざる事」にこの窟内に塩を生ずることが記されてある。
「蜀郡」中国の蜀、四川省は古代の岩塩で知られる。
「秋の末南のかたより、丸くかたまりたる赤きもの、潮に乘じていくらも流れくる」不詳。印象としては刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目オキクラゲ科ヤナギクラゲ属アカクラゲ
Chrysaora pacifica が即、私の頭には浮かぶものの(放射状の褐色の縞模様は赤蜻蛉に見えないかと言われるとちょっと似ているようにも見えるからである)が、こういうアカクラゲについての伝承は聴いたことがない。そもそも刺胞毒が死後でも強いからこんな呑気風流染みたことは言っていられない(ご存じない方は私の「海産生物古記録集■8 「蛸水月烏賊類図巻」に表われたるアカクラゲの記載」の本文及び注を参照されたい)。識者の御教授を乞う。]
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