橋本多佳子句集「命終」 昭和三十一年 友鵜舟
友鵜舟
[やぶちゃん注:底本年譜の昭和三一(一九五六)年の七月の条に、『岐阜「流域」主宰、松井利彦に招かれ、誓子と鵜飼を見る。鵜匠頭(かみ)の山下幹司の鵜舟に乗り、川下りすることを懇願。古来、女性が鵜舟に乗ることは堅く禁じられていたので困惑。一晩思案の後、黒装束(男装)をつける条件で許さる。上流の津保川より長良川を二里半下る』とある。「友鵜舟」は格別の計らいによる鵜舟への同乗から「鵜」を「友」としつつも、その実、誓子を「友」(伴)とする意を含めていよう。となお、別詠の二句を挟んだ末尾の「上の鵜飼」四句は、情景からも恐らく同年の十月の奥美濃での小瀬の鵜飼を見た際の別吟と思われる(後注も参照)。]
鵜舟に同乗、津保川より長良川を下る。
高鳴つて鵜の瀬暮るるに遅れたり
腋も黒し鵜飼の装に吾を裹(つつ)む
腕長(うでなが)の鵜飼の装に身を緊(し)むる
狩の刻(とき)荒鵜手繩(たなは)をみな結はれ
[やぶちゃん注:私は底本の「繩」の新字体が嫌いなので、敢えて「繩」とした。以下、同じ。]
手繩結はるる不安馴れし鵜とても見す
鵜の篝夜の殺生の明々と
鵜篝の火花やすでに樟さし出
友鵜舟焰危し瀬に乗りて
狩場にて鵜の修羅篝したたりづめ
男壮(をさか)りの鵜の匠にて火の粉の中
鵜舟に在りわが身の火の粉うちはらひ
[やぶちゃん注:この句、個人的に意味深長なる句として好む。]
かうかうと身しばる叱咤鵜の匠
瀬落すや手繩曳かれて鵜が転び
早瀬ゆく鵜綱のもつれもつるるまま
中乗や男(を)の腰緊り鵜舟漕ぐ
[やぶちゃん注:「中乗」「ちゆうのり」と読んでいよう。これは謡曲のリズムの型の一つで、二音節に一拍を当てるもの。切れのよい躍動的な効果を持ち、修羅物・鬼畜物などで戦闘や苦患(くげん)のさまを表わす場面などに用いる、修羅乗りとも呼ばれるもので、この句は、謡曲の鬼物の一つである「鵜飼」(禁漁の罪を犯したために殺された鵜飼いの悲劇とその業の美事さを表現しつつ、法華経による救済を描く)をインスパイアしたものであろう。]
牽かるるもまた安からむ手繩の鵜
鵜匠の眼火の粉になやむ吾を見る
[やぶちゃん注:この句も同様に何か惹かれる。次の句も同じい。]
鵜舟に在る女面を篝襲ひづめ
彼方にて焰はげしき友鵜舟
こゑとどかぬ速さの火焰友鵜舟
友鵜舟離るればまた孤つ火よ
一炎やおのが狩場に鵜を照らし
鵜の篝倚せゐて崖の胸焦がす
鵜舟にあり一切事闇に距て
[やぶちゃん注:破調が却って作者の秘めた情念をよく伝えるように思われる。]
*
寝髪にほふ鵜篝の火をくぐり来て
鵜篝の火の臭(かざ)の髪解き放つ
[やぶちゃん注:「友鵜舟」事後の詠であるが、その妖しい情趣の余韻が何とも言えず、よい。]
上の鵜飼
[やぶちゃん注:これは岐阜県関市小瀬の長良川で毎年五月十一日から十月十五日まで行われる小瀬鵜飼(おぜうかい)を指しているものと思われる。ウィキの「小瀬鵜飼」によれば、『中秋の名月と増水時を除く毎夜行われる。中秋の名月に行われないのは、満月の月明かりにより篝火に鮎が集まりにくいためである。関市の鮎ノ瀬橋上流付近で行なわれる』とあって、知られる長良川鵜飼(前句群)よりも「上」流で行われることから「上の鵜飼」と題したものか? 『同じ長良川で行なわれる長良川鵜飼と比べて小規模であることは否めないが、観光化が著しい長良川鵜飼と比べて昔からの漁法としての鵜飼いが色濃く残って』いる、とある。前の「友鵜舟」句群との絶妙にして妖しい連関が心地よい。]
わがゆく道くらし鵜舟いま過ぎゆく
鵜舟過ぎしあとに夜振の小妖精
念々に紅焰靡く二タ鵜舟
二羽のゐて鵜の嘴(くち)あはす嘴甘きか
[やぶちゃん注:下の「嘴」は私は「はし」と読み分けたい気がする。]