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2015/02/17

「いとめ」の生活と月齢との関係――附・「いとめ」精虫及び卵、并びに人類の精虫電気実験に就きて――   新田清三郎 (Ⅳ)

       三、「いとめ」の成熟時の活動狀態

 室内の實驗に徴するに受精したる卵子は三日乃至四日にて幼蟲となり盛んに活動する。

 常に「いとめ」が生存する場所に於てバチの各期の大群游が終りたる時は其沙泥中に最早「いとめ」なきに至る。

 精液及び卵を排泄したる「いとめ」の雌雄の體の長さ及び幅が著るしく減少し、約三分の一となる。以て其體内に以下に多くの生殖物を充たせるかを推測するに足る。雄蟲にして全體量二グラムのものが精液排泄後體重〇・六グラムに減じた。即ち精液一・四グラムに當る。次に雌蟲で體重三グラムのものが卵の排出量二・二グラム。體重〇・八グラムに減じた。大正六年東京灣に海嘯があつた。此年の十月、十一兩月の群游期に東京灣附近に「いとめ」群游が認められなかたつ大正十二年關東大震災の年にも「いとめ」の群游が現はれなかつた。これはボラ釣りの漁夫達も等しく認めたことであつた。

[やぶちゃん注:以下、本文途中に前段中の注を挟む。本文と区別するために、注の次の段落との間に一行空けた。

「大正六年東京灣に大海嘯があつた」「大海嘯」は「だいかいせう(だいかいしょう)」と読むが、普通は大津波のことを指すものの、この時のそれは台風襲来によって生じた高潮(気圧変異により海水面が異常上昇する現象)による大災害を指す。以下、北原糸子氏の「歴史の災害の中に見る教訓 大正6年(1917)東京湾台風が生み出した関東大震災対応策」(広報「消防基金」第一六四号・平成一九(二〇〇七)年七月発行・PDFファイル・当時の災害写真附)によれば、現在のほぼ山手線内側一帯と本所・深川を加えた地域が激しい被害を受け、死者は東京市で百十三人・負傷者五百七十三人・行方不明十三人・床下床上浸水七万軒以上で、特に京橋区と深川区が一丈(三メートル)以上の「海嘯」に襲われて、京橋で二十四人、深川で七十九人と、この二区に死者が集中した。家屋全潰・半潰・破損などの被害は京橋・小石川・本所などが三千軒以上、また、浅草・深川などの東京東部の低地帯は言うに及ばず、芝・赤坂・牛込など台地上にあると考えられがちな東京西部でも被害を受けているとあり、新田氏のおられた木場関連では、『この災害では、深川木場の材木が砂村の方へ流れ、これにあたっての犠牲者が出たという』とある。この時の「木場の赤ひげ先生」の奮戦のさまがやはり私には眼に浮かぶようだ。]

 

 「いとめ」は同一場所に於ける群游第一日には其數少く第二日にはそれより多く、第三日には大群游をなすと云ふ順序が普通である、又冷静なる夜間より曇温なる夜間に群游數多きは統計に照して明かである。

 又同一場所に於ての大群游は一回にして其他の群游日には數が少ないのが普通である。

 バチが光線を厭ふ理由は強き光線によつて雌が變色するのは卵の生存に對する不利を防がん爲の順応機能に外ならぬのであらう。又日中に浮ぶ時は他の動物に捕食せらるること暗中に於けるよりも甚だしく、爲めに蕃殖をさまたげらるゝが故に日中を厭ふと云ふことも理由の一つであらう。實驗上室内に於て(直射せざる光線中に於て)受胎發育するを見るも、光線が必ずしもバチの生存及び受胎に不利でないことは明かである。

[やぶちゃん注:捕食圧が高まるという外的な理由は納得出来るが、雌雄で色が異なることはこれではよく説明出来ないように思われる。この大群泳生殖では生殖行為そのものに♀♂が色彩上異なっていることで相互に識別される意味は認められないように私は思う。とすれば理由は何だろう? 一つ考えたのは、緑色は紫外線をよくカットするが、イトメの卵巣がここで淡黄色を呈しているのは体温を上昇させずに紫外線をカットする黄色の持つ効果と関係があるか?  なお、以下の段落では新田氏はイトメには進化の過程で獲得した負の走光性が備わっていると述べてもおられる。

 

 バチの浮游時にはボラ其他の魚類が最も盛んに河口近くに進入群集してバチを喰はうと待ち構へて居る。故に敵の眠るとき或敵に發見せられざる時を撰ぶことがバチの生存及び蕃殖に必要ななる條件であらねばならぬ。ところでウナギ、ナマズ等外の魚類は多く宵の口に眠るものである。之れは著者の幼時よりの經驗である。此時には魚を握って捕へる事が出來る。

 バチが日光を見て逃ぐるは正しく心的作用を有する證と見ても差支あるまい。他の動物には保護色もあり防禦裝置もある。例へばアルマジロの如く鎧を着てゐるものがある。これは自然の必要と刺戟とによつて進化したものであらう。「いとめ」に於ては段々と生熟してバチとなるにつれて漸次眼が發達これも自然の必要に順應するのであらう。敵から逃れやうとする心的作用が無いとしても自然の必要條件に適すればこそ今日迄種族を存續させたことは明かである。

[やぶちゃん注:この新田氏の「心的作用」というのが、どうも今一つ、よく分からない。所謂、負の走光性をイトメは持つが、それは進化の過程で捕食圧の高い条件を排除するように変化した無意識的反射であるということか? どうも「心的」という語が私には馴染まないのである。]

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