『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 天台山 附 長者窪
●天台山附長者窪
天台山は瑞泉寺の北の高山(かうざん)をいふ。此山を天台山と號する事何れの代に名けセる號云事不レ知。記録もなく古老も知れる人なし。鎌倉志に云。按するに將軍家の屋敷よらは東北にて鬼門に當るゆゑに。京都の天台山に似て名けたる歟と。山上に登れは。金澤並(ならび)に東京まて見ゆるなり。山の北の谷に長者ケ窪と云所あり古事未レ考。
[やぶちゃん注:厳密には瑞泉寺前右脇から天園ハイキング・コースに入って貝吹地蔵の急坂を登った最初のピークを指し、標高一四一メートルで鎌倉市内では以下に記す大平山(おおひらやま)に次ぐ高さであるが、実はここからはここに書かれたような展望は現在はなく、当時も位置関係からみて、こうした眺望は望めなかったと考えられる。現行のガイド・ブックなどにもしばしば見られるが、これは標高一五九・二メートルの大平山を含めた、広域での現在の天園一帯を漠然と指して説明しているものと思われる(但し、天台山と大平山は凡そ尾根道の距離で四百五十メートルは離れている)。「新編鎌倉志卷之二」には、
○天台山〔附長者窪〕 天台山(てんだいさん)は、瑞泉寺の北の高山を名く。此山を天台と號する事、何れの代に名けたると云事不知(知れず)。記録もなく、古老も知れる人なし。今按ずるに、將軍家の屋敷よりは、東北にて、鬼門に當るゆへに、京都の天台山に似(にせ)て名(なづけ)たる歟。山上に登れば、金澤、幷(ならび)に江戸の海上、道中筋まで見(みゆ)るなり。山の北の谷(やつ)に長者が窪(くぼ)と云所あり。古事未考(未だ考へず)。
となっており、本誌の執筆者が「江戸」を「東京」と書き換えるだけの如何にもセコいことをしている、「古事未考」どころか、なあんにも考えていないことがバレバレであることが一目瞭然なのである。
「長者ケ窪」鎌倉の始祖で長者伝説といえば、藤原鎌足の玄孫と称して東八ヶ国総追捕使として東国を治めたとする「由比の長者」と呼ばれた染屋時忠(生没年不詳)であろう。鎌倉最古の神社とされる甘繩神明神社を建てたのは時忠とされ、彼の第趾は同神社の南の長者ヶ久保であった伝えるのであるが、実はこの「長者窪」は天台山の北という謂い方からピンとくる方もおられると思うが、これは厳密には鎌倉市の地名としてではなく、総武隧道の西及びその北側、現在の横浜市栄区長倉町に「長者ケ久保」として残る地名なのである。そうして、そこもこの「由比の長者」が由比ケ浜へと移る以前に住んでいた場所だとも伝えられているのであるが、これらは全国に見られる長者屋敷伝説の一つに過ぎず、染屋時忠も私は伝承上の架空人物に過ぎないと考えている。それにしても、「附」(つけたり)とするにしては先の天台山からは尾根筋で一キロメートルは離れている。ここを通って鎌倉霊園の北を廻って金沢街道の朝比奈峠(新)に抜けるコースは、私の好きな静かな(少なくともかつては)ルートである。]

