『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 歌橋
●歌橋
歌橋は荏柄天神の馬塲先(ばゝさき)より少し東の道にあり。鎌倉十橋の一なり。歌橋と號する事未レ考。
[やぶちゃん注:これは「新編鎌倉志卷之二」のほぼ丸写しで話にならぬ。「馬塲先」荏柄天神社社前にあった松並木道を古くは馬場と称したことに依る。現在、「歌の橋」の脇にある昭和一二(一九三七)年三月鎌倉町青年団建立になる名所由来を記した碑から引用しておく。
鎌倉十橋ノ一ニシテ
建保元年(皇紀一八七三)二月 澁川刑部六郎兼守謀叛ノ罪ニヨリ誅セラレントセシ時 愁ノ餘リ和歌十首ヲ詠ジテ荏柄社頭ニ奉獻セシニ 翌朝 將軍實朝傳聞セラレ 御感アリテ兼守ノ罪ヲ赦サレシニヨリ
其ノ報賽トシテ此ノ所ニ橋ヲ造立シ 以テ神德ヲ謝シタリト傳ヘラレ此ノ名アリ
謀叛とは、宝暦三(一二一三)年に信濃国の泉親衡が故源頼家の三男栄実(幼名千寿丸)を担ぎ出して将軍とし、執権北条義時を倒そうとしたクーデターを指す。]