譚海 卷之一 大坂鴻池磁器の事
大坂鴻池磁器の事
○大坂鴻池なるものの家に、名物の靑磁の皿壹枚あり。同人ある日二三輩同道して、生玉の酒屋に遊びたるに、料理に出せし皿の内に、此名物の血と同樣の物あり。少しもたがはず。一座嘆美せしに、鴻池なるもの此皿を亭主に懇望し、金三拾兩出しもらひうけ、卽座に金子相渡せし所にて、皿をば打碎き捨たり。同伴のもの驚き怪(あやしみ)て子細を問ひければ、此皿我等家に所持と毫末(がうまつ)違(たが)ふ事なし。我等所持の皿は世上に人のしる所なれば、同樣の物二つ有ては、われら所持の名を減ずる故、くだきすてたりと云り。
[やぶちゃん注:「大坂鴻池」は江戸時代に成立した財閥。十六世紀末、鴻池家が摂津国川辺郡鴻池村(現在の兵庫県伊丹市鴻池。グーグル・マップ・データ)で、清酒の醸造を始めたことに始まる。その後、一族が摂津国大坂に進出し、両替商に転じ、鴻池善右衛門家を中心とする同族集団は、江戸時代に於ける日本最大の財閥に発展し、明治維新後は華族の男爵家にも列した(当該ウィキに拠った)。
「生玉」大阪市天王寺区北西部の一地区。この附近(グーグル・マップ・データ)。地名は、天正一一(一五八三)年に、上町台地北端から、この地に移された生国魂 (いくくにたま) 神社(=生玉神社)があることに由来する。境内の東に、近松門左衛門の「生玉心中」に因んだ浄瑠璃神社がある。一帯は城下町であった頃の寺町で、現在も寺院が多い(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。]
« 譚海 卷之一 除夜禁庭樹木毛蟲を去る事 | トップページ | 譚海 卷之一 觀世太夫家藏茶壺の事 附江戸冬木家藏茶壺 »