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2015/02/06

耳嚢 巻之九 すゞ篠の事

 すゞ篠の事

 

 水野某、すゞしのといふ事、歌にもよみける哉(や)、ふと見出して、難分(わかりがた)しとある儘に、予が許(もと)へ來る和學者に其事尋(たづね)ければ、すゞの篠屋(しのや)抔詠(よみ)、其外(そのほか)すゞのしのと詠(よみ)し事あり。いかにもちいさき竹(たけ)樣(やう)のものにて、右をもて屋根抔ふける所、吉野には多く見ゆる由。某外すゞと唱へて、和州邊上方(かみがた)にて取扱(とりあつか)ひ、吉野の詠物(えいぶつ)の由。彼(かの)翁は吉野へも至り、右すゞ篠も持來(もちきた)り候由にて、予にも示しぬ。國々方言、又ふるき言葉は、在方(ざいかた)に殘り居(をり)ける事と、爰に記し置(おき)ぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:狂歌から和歌へ直連関。歌語の博物誌シリーズ。

・「すゞしの」底本鈴木氏注に、『すゞしのは東京近辺にては、富士の裾なる佐野あたりより出す、竹行李に編む竹なり、信州あたりよりも出す、竹清元来売竹郎なればよく知れるなり。」(三村翁注)』とある。この「竹清元来……」の「竹清」というのは、本巻の親本である日本芸林叢書本の旧蔵者である書誌学者三村翁竹清(みむらちくせい 明治九(一八七六)年~昭和二八(一九五三)年)氏自身のことで、彼はまた「竹売郎」、竹問屋を営んでいたのである。今まで三村翁については語っていないので、ここで述べておく(ウィキの「三村竹清」を参照した。アラビア数字を漢数字に代えて引用した)。三村竹清、本名は清三郎。『竹問屋を営んでいたことから、竹清と号した。別号に奛(あきら)・安岐羅。東京京橋の出身。終生を市井の学者として過ごした。また篆刻に巧みであった』。『小学校を中途で辞めて十二歳で丁稚奉公に出る。小遣いを溜めて『淮南子』を購入。その後も本好きが高じて八年間で小舟一艘ほどの本を買い、読みあさった。日露戦争に看護長として従軍したときも本好きは変らず、『十三経』を行軍に持ち込み友人に背負わせて困らせている。経書以外にも洒落本など様々な本を読んでいる。すぐに下宿の本棚が溢れた。そうするうちに気付いたことなどを書き溜めたノートが二十冊を超え、それを整理して書き物を始める』。『一方で知識・教養を深める為に勉学を始め、経学・漢学を長坂或斎に学ぶ。また成瀬大域について書法を、池田琴峰、荒木寛畝には画法を受け後には松本楓湖にも画を学ぶ。篆刻は浜村蔵六に私淑した。こうして文人的な教養と技芸を身につけ、文芸万般に深い造詣を得た。詩・書・画・篆刻のみならず、和歌・狂歌・俳諧にも興じている。とりわけ篆刻は一家を成すほど優れていた』。『蔵書家の中川得楼の知遇を得て出入りを繰り返すうちに、山中共古、林若樹、内田魯庵、幸田成友、大野洒竹などとの交流が始まる。稀書複製会(山田清作主催:大正七年創立)に第二期から加わり、以降長期にわたり、稀覯書の探索や複製に尽力する。米山堂主人山田清作の仲介などで、坪内逍遥や市島春城との交友も生まれる。大正十年に逍遥に依頼され、熱海水口村温泉の碑の題額を書している。昭和十年(一九三五年)、逍遥の墓碑銘の揮毫もしている』。『古書・古文書などから得た古人の詳細で膨大な知識を蓄え、伝記を起し始める。著名な人物はわざと避けて、歴史に埋もれしまった人物を好んで取り上げた。掲載する雑誌も原稿料を度外視し、できるだけ目立たないものを選んでいる。それでもなお驚くほど膨大な著述を残している』。『書誌学者森銑三は、三村竹清・林若樹(林研海の子)・三田村鳶魚を「江戸通の三大人」と評している。森の友人柴田宵曲も交流があった』。『昭和二八年(一九五三年)夏に、湯河原にて没す。享年七十九』とある。

 さて、この「すずしの」と称する竹は何か?

 狭義には常緑のタケ類であるイネ科スズタケ属スズタケ Sasamorpha borealisのことで、本邦の北海道から九州の主に太平洋側及び朝鮮半島に分布しており、ブナ林などの林床に植生し、桿高二~三メートル、桿直径一センチメートル程度で直立、節からは一本の枝のみが伸長する。桿は工芸品などに利用される(以上は「Weblio 辞書」の「植物図鑑」の本種の解説」に拠る)。なお、検索では別に亜種としてSasamorpha borealis var. purpurascensをスズダケとする記載もある(同じ辞書の「竹図鑑」の記載)。シノニムかとも思われるが、そこには通称として「コウヤチクスズ」とあり、『釣竿用や竹行李用として利用』とあるのが、三村氏の『竹行李に編む』という記載と一致する。更に調べると、『植物検索事典「なんやろ」』の「シノダケ」の「参考」の項に、『鈴竹(?)、スズ、ミスズともいう、スズは篠(しの)と同じ、シノダケ(篠竹)はスズダケ、アズマネザサなど細い竹や笹の俗称、篠笛はこれらの竹茎から作る、茎を稈(かん)という。古名「薦、スズ」。万葉集「み薦(すず)刈る信濃の真弓わが引かば貴人(うまびと)さびていなと言はむかも」久米禅師(巻2-96)』とある。この「万葉集」の和歌は現行では、久米禪師(くめのぜんじ)、石川郎女(いしかはのいらつめ)を娉(よば)ひし時の歌五首」の冒頭の一首で、現行では、

 

水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇眞人作備而 不欲常将言可聞  禅師

 

御薦(みこも)刈りし信濃(しなの)の眞弓(まゆみ)わが引かば貴人(うまひと)さびて否(いな)と言はむかも

 

と訓じているケースが多い。「娉(よば)ふ」とは、正規の婚姻関係を結ぶことを目的として妻問いする行為をいう。この「御薦(みこも)」は古語辞典その他の諸注では、現在、信濃で特に多産した真菰(イネ目イネ科マコモ Zizania latifolia )とし、スズタケどころか、篠竹でさえ、ない。因みにここは、同じ「信濃」名産の「眞弓」、梓弓を引き出すための枕詞のようなもので(単純なそれではなく古えの伝承に絡めた解釈をとっているものもあるが、採らない)、

――梓弓、その弓を引くように、あなたの気を引き、手をとってその体を引き寄せたとしても、それでも貴女(あなた)は淑女然として相応「だめよ、だめだめ」とおっしゃいますか?――

の意である。

 しかし、だ。――例えば私が大学時代から愛用してきたぼろぼろの角川書店(昭和五〇(一九七五)年刊)久松潜一・佐藤謙三編の「古語辞典」で「みすずかる」を引くと、「水薦苅る」「三薦苅る」と出て、「すず」はスズダケの別名と載せるくせに、「みこもかる」に同じとしてあり、そこでいざ、「みこもかる」を引いてみると、「水菰苅」「水薦苅る」となっていて、こっちには水中に生える真菰が名産でそれを頻りに刈る信濃の地の意味で「信濃」にかかる枕詞だ、としているのである。如何にも科学に弱い近代の国文学者が平気でやってしまうトンデモ記述なのである。ただ、これはどうも、江戸時代の「万葉集」の新訓の中で、この「水薦苅」を「みすずかる」と訓じてしまったことに端を発する勘違いであるらしい。にしても、これは辞書を引く若者たちを心底馬鹿にした記述である!

・「水野某」「蜘蛛の怪の事」で既注の、根岸の情報源水野若狭守忠通(ただゆき)かと思ったが、彼は根岸より十歳年下で「翁」はおかしい。「某」とするところからもこれは別人である。

・「和學」倭学とも。日本古来の文学・言語・歴史・有職などを研究する学問。国学。皇学。 「漢学」「洋学」の対義語。

・「すゞの篠屋」岩波の長谷川氏注には『すず竹でふいた家。和歌に例あり』とのみ記す。「新勅撰和歌集」の平資盛の一六七番歌に、

さみだれの日をふるままにひまぞなき葦の篠屋の軒の玉水

 

「続古今和歌集」の行意(ぎょうい)の九一二番歌に、

 

   大峰にてよみ侍りける

夜をこむるすずの篠屋の朝戸出に山かげくらき嶺の松風

 

「新古今和歌集」の瞻西(せんさい)の六五八番歌に、

 

   雪の朝、基俊の許へ申しつかはしける

つねよりも篠屋の軒ぞうづもるるけふは都に初雪やふる

 

「続拾遺和歌集」の藤原秀能(ひでよし)の一七八番歌に、

 

   題しらず

暮れかかる篠屋の軒の雨の中うちにぬれてこととふ時鳥かな

 

などとある。こうして用例を探すだけで何故か甚だ不愉快になってくるほどに私は短歌嫌いであるので、以下の「すゞのしの」の例は御自身で捜されよ。

・「某外すゞと唱へて」「某外」では読めない。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『其外』である。これで訳した。なお、この「すゞ」についてはその岩波の長谷川氏注に、「古今要覧稿」の『三百七十九の「すゞ」の項に、「歌には大和の吉野、山城の鞍馬、紀伊の熊野等の諸山のもの其名高し」とある』とある。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 すず篠(しの)の事

 

 水野某、「すずしの」という語、歌にもその語を半可通で安易に詠み込んだりなされたものか、ふと、その言葉が気になり出され、考えて見れば、

「よう、分からん。」

ということにて、私の本(もと)へもよう参る和学者に、その語に就き、訊ねてみたところ、

「『すずの篠屋(しのや)』などと歌にも詠み、その他にも、『すずのしの』と和歌などに詠んだ例が御座る。いかにも小さき竹(たけ)様(よう)のもので御座って、これを以って屋根などを葺く地域が、これ、今も御座る。例えば、吉野にては、そうした篠葺き屋根を多く見かけることが御座いまする。」

とのことで、また、

「その他にも『すず』と唱えて、大和国辺りを中心に、上方(かみがた)にては、いろいろなる加工に用いる竹材(たけざい)として、普通に取り扱って御座って、吉野にてはこれ、和歌に詠み込むところの知られた歌語と、致いて御座いまする。」

とのことで御座った。

 かの水野翁は吉野へも参られ、この――すず篠――と申す実物も、これ、もち帰ってこられたとのことにて、私にも、それを見せて下さったことがある。

 諸国の方言や、また、古き言葉は、これ、田舎には今以って、かく残りおるということがよぅ分かった。されば特にここに認(したた)めおくことと致す。

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