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2015/02/06

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十七章 南方の旅 長崎到着

M590

図―590

 

 私は一つの石の橋を、急いで写生することが出来た。石の橋はいたる所で見受ける。その多くは木造の橋とまったく同じに建造されてあるが、横桁、支柱、手摺等は、図590に示す如く、石を刻んだものである。

 

 七時、我々は長崎へ向けて出帆した。美しい小島が沢山あったことよ! 薩摩と肥後とで、いずれかといえば心身を疲労させるような、忙しい旅行をした後なので、家へ帰りつつあるような気持がした。我々の汽船は、私がこれ迄乗った船の中で、一番小さいものだった。それは、私が一方の舷へ歩いて行くと、その方向へ傾く程、小さくて、そしてダラダラしていた。船長が、天気が悪い為に数日出帆をのばしたのも、ことわりなる哉である。

[やぶちゃん注:「七時」明治一二(一八七九)年五月二十九日の朝七時と推定される。]

 

 翌朝我々は、長崎に着いた。ここで私は再び欧風の食物と、腰をかける可き椅子と、物を書く可き石油燈(ランプ)をのせた卓子(テーブル)とを見出した。日本に住んで私は、食物よりも卓子の無いことに気がつく。日本の食物には段々馴れて来る。勿論珈琲(コーヒー)や牛乳やパンとバタが無くて暮すことは、物足らぬが、字を書き図を引く為に床の上に坐ることは、窮屈で苦痛で、疲れている時など、殆ど不可能である。私は長崎に数日滞在して、肥後から持って来た生きたサミセンガイと、ここの湾で網で曳いた小さな Descina とを研究した。米国領事のマンガム氏夫妻は非常に親切にしてくれた。彼等は私の顕微鏡のために、彼等の家の立派な部屋を一つ提供してくれたばかりでなく、長崎にいる間は毎日正餐に来いと云い張った。ホテルが甚だ貧弱だったので、一日に一度ちゃんとした食事を口にするのは、誠にたのしいことであった。

[やぶちゃん注:「Descina」底本では直下に石川氏の『〔腕足類の一〕』という割注が入る。但し、現在は属名が変更されたものと思しく、この綴りでは検索に掛からない。但し、「東京大学総合研究博物館動物部門所蔵 現生腕足動物・箒虫動物標本目録」に、

 

Superfamily DISCINOIDEA

Family DISCINIDAE  ディスキナ科

Discinisca lamellosa (Broderip, 1833)

UMUTZ-Bra-IB-01; 1) 5, 2) good, 3) Discina lamellose, 517 ...d ...da(判読不明), 4) locality data なし. 一般にDiscina lamellosaはペルーなど南米の大西洋岸に産する.

 

というデータを見出せ、異様に綴りの似た属名が気になる。これだとすると、

 

無関節綱シャミセンガイ(リンギュラ/舌殻)目Lingulida のディスキナ上科ディスキナ科ディスキナ属の Discina lamellosa

 

ということになるが、上記の備考にあるように、これは本邦産ではない。しかもグーグル画像検索「Discina lamellosaをかけると、この結果だ。これは現存する種とは、私には思われない。そこで、磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」を調べてみると、九州の旅の解説内に、長崎では『長崎でのドレッジで入手したホウズキガイ』を研究したとあり(二五二頁)、これは本種を目レベルのタクソンで述べたものと判断されるのである。されば、本邦産の腕足類でモースが敢えてシャミセンガイと並べて有意に「小さな」と述べている点、相応の水深のあるところからドレッジ採取したと思われる点に加え、磯野先生の叙述と本邦の腕足類の分布などを考慮するなら、私は個人的に、この「Descina」なる種は、現在の、

 

嘴殻綱穿殻(テレブラツラ/ホウズキガイ)目 Terebratulida のテレブラツラ亜目ラクエウス上科ラクエウス科ラクエウス属ホオズキチョウチン Laqueus rubellus (Sowerby, 1846)

 

ではあるまいか、と考えている。ホオズキチョウチン Laqueus rubellus は、殻は卵形で前後の両殻(腕足類では殻は左右ではなく前後と呼称する)の厚さはほぼ等しく、黄色を帯びた赤または淡紅色を呈する。殻頂から放射状に出て真っ直ぐに走る独特の色条が殻に入る。楕円形の殻頂孔から短い嘴状部を出してこれで他の物質に附着している。本邦沿岸の水深二十二から二百三十八メートルに棲息する(以上のデータは保育社昭和五一(一九七六)年刊内海富士夫著「原色日本海岸動物図鑑」に拠った)。画像は「生きもの好きの語る自然誌」の「ホオズキチョウチン」がよい。

「米国領事のマンガム氏」長崎アメリカ領事館第二代領事ウィリー・マンガム( Willie P. Mangum )。慶応元・元治二年(一八六五/四月七日改元)年に着任、明治一四(一八八一)年十月まで長崎領事を務めた。以上は米国領事館公式サイト「福岡・日本」の「長崎アメリカ領事館の歴史」に拠った。

「私の顕微鏡のために」確かに原文は“for my microscope”であるが、訳としては「顕鏡のために」とすべきであろう。]

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