「いとめ」の生活と月齢との関係――附・「いとめ」精虫及び卵、并びに人類の精虫電気実験に就きて―― 新田清三郎 (Ⅰ)
「いとめ」の生活と月齢との関係――附・「いとめ」精虫及び卵、并びに人類の精虫電気実験に就きて―― 新田清三郎
[やぶちゃん注:以下は日本医学同窓会発行になる大正一五(一九二六)年十月十五日刊の新田清三郎著『いとめ」の生活と月齡との關係 「いとめ」精蟲及卵、竝に人類の精蟲電氣實驗に就きて』の全電子化である。
「いとめ」は環形動物門多毛綱サシバゴカイ目ゴカイ亜目ゴカイ超科ゴカイ科 Tylorrhynchus 属イトメ Tylorrhynchus heterochaetus (本文注の学名とは異なる。それについては本文の私の注で考察してみたい)で、ここで主に語られる遊泳群体はバチと呼ばれ、特に最上クラスの釣り餌として知られるものである。本書はそのイトメの生活史と生態から説き起こし、天体現象である月齢とそのライフ・サイクル内の特異な生殖群泳現象の実在を証明せんとしたもので、後に同種の精子と卵子の電気泳導を含む実験の報告が附されてある。「人類の精蟲電氣實驗」ともあるが、その記載は実際には極僅かである。これは科学実験に於ける比較対照実験として配されているとまずは読めるが、発行団体の関係から医学論文の体裁をとる必要もあったのかも知れない。
筆者の新田清三郎は恐らく、あみたん氏のブログ「門仲STYLE」の『「新田橋」と木場の赤ひげ先生』で語られる新田清三郎氏と同一人物である。一つは本作の著述の中で「著者の居所は深川の木場にある」とあること、同じく、ここに記した月齢と「いとめ」の群泳現象の関係性の研究の成果を前年に行われた「日本醫專内科小兒科集談會」の場で初めて行っていると述べていることから、木場で医師の新田清三郎という同姓同名同業者の確率は極めて低いと考えるからである。記事よれば、清三郎新田氏は岐阜生で、大正時代に上京して現在の江東区木場の地に医院を開業、『人望厚く、「木場の赤ひげ先生」的な存在で、町会長』も務めたとあった。その死は、昭和二〇(一九四五)年三月十日の東京大空襲によって突然齎され、『新田医院に避難していた人たちも全員亡くなり、先生もその時に亡くなった』と記されてあった。
そこでさらに調べると、庄司菊江氏の作になる「心がつたわる新田(にった)橋」(中野俊章氏・絵)というネット上で読める本に行き着いた。そこには、新田清三郎は明治一七(一八八四)年岐阜県加茂郡に生まれで、日本医専で医師の資格を得、後に東京帝国大学で医学博士の学位を受けたとあり、木場で開業、同地の町会長・警防団長・裁判所調停員・民生委員を務めたとある。本文によれば、大正一二(一九二三)年九月一日の関東大震災の折りには、新田は押しかけてくる多くの負傷者のために自宅の畳を総て道路に出して敷きつめ、そこで治療に当ったが、地震後の火災が広がってきたため、傷病者と家族を連れて洲崎の埋立地へ逃れ、翌朝には彼の妻が辛くも持ち出してきた金で食料を調達、負傷者や避難民に分け与えたといったエピソードが綴られてある。新田はその後も木場で医院を続けたが、貧しい患者からは診察料をとらず、逆に「滋養のあるものを摂りなさい」と食物や金を渡し、さらには同郷の失業者や生活困難者を家に住まわせたりして、新田家の台所は火の車であったともある。また、昭和六(一九三一)年には地上三階地下一階屋上附きの当時としては珍しいコンクリート製の新医院を建てたが、自らはこれを「借金コンクリート」と呼んでいたという。ところがその年、夫妻で『帰省する途中で、列車事故に遭(あ)い、妻が亡く』なってしまう。『鉄道会社からは多額の弔慰金(ちょういきん)が支払われ、近隣住民からも香典が寄せられた』が、新田は医院の借金に苦しんでいたものの、『医院のために尽くし、自分を支え続けてくれた妻を偲んで、医院の裏を流れる大横川(旧大島川)に橋を架け』ようと決意し、これを元手に町内の募金も加え、翌昭和七(一九三二)年に橋が完成、木場の人々の生活の足となった。しかし昭和二〇(一九四五)年三月九日、警防団長として防災に務める一方、医師として負傷者の救護に当たっていたが、洲崎の掘割の付近で空襲に遇い、落命、享年六十と記されてある。戦火を潜り抜けて残った新田橋はその後平成になって全面改修されて今もある。
この「木場の赤ひげ先生」の名はネットの他の記載でも確認され、事故で亡くなった最愛の妻の追善に架けた新田橋の話とともに随所に橋の画像とともに語られてある。まさに下町の仁者であったことが窺われる。
なお、底本とした国立国会図書館の「近代デジタルライブラリ―」の同書の書誌データに於いても『インターネット公開(保護期間満了)』とあるので著作権の消滅は間違いない。
また以上の通り、国立国会図書館の以上の保護期間満了の標記があるので、同書に挿入されている各種写真(顕微鏡写真を含む)とそのキャプションも、テクスト・データの途中に総て配しておいた(昨年より以上の引用元を明記すれば国立国会図書館の著作権満了の画像データは許可を必要とせずに使用可能となっている)。
この論文は題名からもお分かりの通り、完全な体裁を整えた学術論文で、本文(標題・奥付ページを含まず、図版ページを含め)十七ページ、縦書(途中に挿入される各種数値データ等の一部は横書)である。キャプションは《 》で挟み、一部に私の注を附した。
さて、何故、私がこの電子化をするのか?
一つは、国立国会図書館の「近代デジタルライブラリ―」内の好きな海産動物関係の画像データを渉猟しているうちに、たまたま昨日、本書を発見、その記載全体に私の食指が(というよりフリーキーな私の妖しい無脊椎動物的な好奇心の触手が)動いたこと、また、以前に私のものした『博物学古記録翻刻訳注 ■10 鈴木経勲「南洋探検実記」に現われたるパロロ Palola
siciliensis の記載』で描かれてあったのと全く同じ、多毛綱ゴカイ類の仲間である『南洋に住む深海動物の一種なるパロロ蟲即ち
Eunice viridis 』(Eunice viridis は斜体にはなっていない)にという記述を見つけて、思わず、心躍ったからではある。
そうしてまた、その著者を調べるうち、それが愛妻家の「木場の赤ひげ先生」と慕われた素晴らしいお医者さんであったことを知り(私は実は医師になりたかったのである)……きっと、このバチ(イトメ)の群泳を楽しみにしていた、釣好きの先生だったんだろうなどと勝手に想像したりし……そして……関東大震災を体験され、あの十万人以上の死傷者を出した東京大空襲によって亡なられたということを知るに至って――俄然――これは私が電子化しなくてはならない――強く思ったから、なのである。【二〇一五年二月十二日始動】]
新田淸三郎著
「いとめ」の生活と月齡との關係
附「いとめ」精蟲及卵、竝に人類の精蟲電氣實驗につきて
「いとめ」の生活と月齡との關係
「いとめ」精蟲及卵、竝に人類の精蟲電氣實驗に就きて
新田淸三郎 稿
目次
一、「いとめ」の群游
二、「いとめ」の生活要件
三、「いとめ」成熟時の活動狀態
四、食鹽水及び淡水による「いとめ」の精蟲及び卵の實驗
五、電氣による「いとめ」の精蟲と卵及び人類の精蟲に關する實驗
六、結論
一 「いとめ」の群游
「いとめ」Ceratocephale Osawai は日本に特産する環形動物 Annelida 中の毛足類 Chaetopoda 多毛目 Polychaeta の「ごかい」科 Lysoride に屬する蟲で、幼時は水中に浮游し間もなく水底の沙泥中に潜匿して棲息し、成熟さうれば體の前半部即ち生殖物の充滿する部分が、後體部を脱落せしめて、浮遊と生殖物排泄とに都合よき狀態となり、毎年一定の期間に水面に浮かび出で、大群游をなして盛んなる生殖作用を行ふ。漁夫等は之を「バチが拔ける」と稱してゐる。バチとは「いとめ」の成熟したものを指す俗名である。
《「いとめ」成熟して「バチ」となり、生殖の爲に盛んに群游する光景 著者撮影》
[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館の「近代デジタルライブラリ―」のものを補正して示した。写真上部中央から右手にかけてある四角い痕跡は、前頁の国立国会図書の蔵書印が透けたものである。]
[やぶちゃん注:以下、生物の学名は底本では一貫して斜体になっていない。
『「いとめ」Ceratocephale Osawai は日本に特産する環形動物 Annelida 中の毛足類 Chaetopoda 多毛目 Polychaeta の「ごかい」科 Lysoride に屬する蟲』冒頭注で記した通り、現在の「イトメ」は、
環形動物門 Annelida 多毛綱 Polychaeta サシバゴカイ目 Phyllodocidaゴカイ亜目 Nereidiformiaゴカイ超科 Nereidoidea ゴカイ科 Nereididae の Tylorrhynchus 属イトメ Tylorrhynchus
heterochaetus
で、目以下が激しく異なっている。以下、細かく見る。
・「Chaetopoda」は現在は正式な分類タクソンではなく、恐らくは博物学時代からの続くゴカイやイバラカンザシなどを含む多様性の高い総称分類名で、一般に「ゴカイ類」と呼ぶ謂い方と等しいものと判断される。辞書類では新田氏の叙述されるように「毛足類」(「けあしるい」と読んでいるようである)と訳されて載る。所謂、多毛類(現行の正式タクソンの多毛綱 Polychaeta に属する生物)は、胴部の体節の側面から突出する肉質の付属肢である一対の疣足(いぼあし)を持ち(但し、退化している種もある)、爪はないが、剛毛束があって、これを運動に使うことから、「毛足類」と呼んだものと思われる。但し、新田氏の記載の仕方からは当時は現在の「多毛綱 Polychaeta」の相当タクソンを「毛足類 Chaetopoda」と呼び慣わしていた節が窺われる。
・「多毛目 Polychaeta」実は現在の(ということはそれ以前から)国際動物命名規約には、上科から亜族までは使用すべき語尾が指定されているものの、それより上位の分類群名に対しての統一語尾の規定は存在しない(藻類・菌類・植物命名規約は異なり、規定があるものが多いので注意)。そこから分かるようにこれが現在の「多毛綱」と綴りが同じでも実は、異様なことではない。恐らく、新田氏がこれを書いた前後か、そう遠くない時点で環形動物の綱( classis )以下の分類が大きく変わったものと思われる。当然のことであるが、「Polychaeta」は現在、「多毛綱」であり、「多毛綱」には当然「Polychaeta」という「目」はないし、和名の「多毛目」という「目」も存在しない。ウィキの「多毛類」(これは実質上の多毛綱の記載)を見ると、『多毛綱は1960年代ごろまでは、固着性の定在目 Sedentariaと自由生活をする遊在目 Errantiaの2目に分類されていたが、この分類法は従来から人為的な側面が強いと指摘されていた。その後、口器の形状、剛毛や疣足の構造などからScolecida・Canalipalpata・Aciculataの3群に分ける分類が提唱されたが、分子系統解析によってこれらも多系統群であることが分かっている。現在、かつてのSedentaria・Errantiaの2群に分ける分類法に、系統解析により得られたデータによる修正を加えた分類が提案されている』とあって、定在目と遊在目の分類は私などは非常に慣れ親しんでしまった目分類なのであるが(実際、つい口にしてしまう)、本多毛類の分類は今も頗る流動的であることが分かる。
『「ごかい」科 Lysoride』不詳。ネット検索ではたった一つしか検索に掛からず、しかもラテン語原書なので意味不明。さらに気になるのは語尾で、国際動物命名規約では科は原則、「-idae」でなくてはならない。識者の御教授を乞うものである。
「Ceratocephale Osawai」検索を掛けると、明治以降昭和初期までの「イトメ」に関わる複数の邦人の学術論文(英文を含む)に、この綴りで「イトメ」の学名として記載がある。例えば、大正一四(一九二五)年のクレジットを持つ岡山医科大学生理学教室所属の生沼曹六氏の論文『「いとめ」 Ceratocephale Osawai ノ定期的群游ニ就テ』(PDFファイル)などがそれである(これも学名を斜体化していない。どうもこの頃は学名斜体化というコンセンサスが未だとられていなかったようである。なお、この人物と発表の内容は後で新田氏の本文に登場する)。少なくともこの頃は「イトメ」はこの Ceratocephale Osawai に同定されていたものらしい(Ceratocephala Osawai と綴るものもある)。私が管見し得た「イトメ」に関する古屋康則・恩地理恵・古田陽子・山内克典名義の学術論文「イトメ Tylorrhynchus heterochaetus(環形動物:多毛類)の人工受精法および発生過程の観察」(岐阜大学教育学部研究報告(自然科学)第27巻第2号・85―94・2003年3月)(PDFファイル)でも標題や本文にかくあり、私が最も愛用する保育社の内海富士夫著「原色日本海岸動物図鑑」(昭和五一(一九七六)年刊)でもイトメは Tylorrhynchus heterochaetus である(不思議なことに最新の同社の大著西村三郎編「原色検索日本海岸動物図鑑」にはイトメが単独項目として載らない。頗る不審)。但し、「第21回海洋工学シンポジウム」(二〇〇九年八月六/七日開催)の日本海洋工学会・日本船舶海洋工学会の「羽田空港再拡張工事に伴う環境アセスメント調査で明らかにされた環形動物多毛類の多様性」(西他十一名の連名論文)では他に東京湾羽田沖で採取された「イトメ」を Tylorrhynchus osawai (Izuka, 1903) と記載してあり(ネット上からPDFファイルでダウンロード可能)、他に、「海岸地域の無脊椎動物類」という相応に新しい学術用エクセル・ファイル・データ(ネット上からダウンロード可能。但し、製作年次不詳)にも「イトメ」をTylorrhynchus osawai (Izuka, 1903) とするものを発見したが、やっとこちらの英文の海洋生物種データベースによって、これがTylorrhynchus heterochaetusのシノニムであることが判明した。されば私はここでは取り敢えず Tylorrhynchus heterochaetus を現在のイトメの学名として使用することとする。
以下、その内海版「原色日本海岸動物図鑑」のイトメの記載を以下に引用しておく(図示記号を省略し、「堀」を「掘」に訂した)。
《引用開始》
イトメ
Tylorrhynchus
heterochaetus (Quarefages) [Nereidae]
環節数は300近く、前方は青褐色で、後方に進むにつれて紅味をます。まだ成熟しないものはイトメと呼ばれ本邦各地の海辺、河口あるいは汽水湖の泥の中にすむ。成熟期に達すると、水面に出て群泳する。この時期のものはバチと呼ばれ、雄は淡紅色、雌は淡黄色を呈し日光にあたると緑色にかわる。東京付近では、バチの群泳は10月~11月の間の4回の大潮時に起こる。群泳の際は全長の約2/3後方が失われる。バチが泳ぎ出たあとの泥を掘ると、前方節を失った虫、いわゆるホリバチが得られる。共に釣餌として最上。分布:本州の北部よりインドシナに及ぶ。
《引用終了》
参考のために、先に示した古屋康則・恩地理恵・古田陽子・山内克典「イトメ Tylorrhynchus
heterochaetus(環形動物:多毛類)の人工受精法および発生過程の観察」の冒頭記載も示しておく(一部のピリオド・コンマを句読点に代えた)。
《引用開始》
イトメ Tylorrhynchus
heterochaetus は環形動物門、多毛綱に属するゴカイ類の一種で、日本各地の河川下流の汽水域の砂泥中に生息している。本種は極めて顕著な月齢周期性を持った生殖群泳を行い(Izuka,1903;山本,1947;Okada,1950)、旧暦の10月および11月の新月および満月の日に続く3日の日没後の満潮すぎの時刻に、生殖型(体の前方約1/3がちぎれて遊泳型になったもの)となった個体が無数に水面に浮き上がり、海域へと遊泳しながら流されてゆく。これらの生殖型個体の体内には生殖細胞が充満しており、やがて海域で放精・放卵を行うと考えられている。
《引用終了》
グーグル画像検索「Tylorrhynchus
heterochaetus」をリンクしておくが、ワーム系に免疫のない方は見ない方がよろしいかとは存ずる。結構――きます。少々キツいと想像される方は単品画像の「河川・水辺の生物図鑑 底生動物 イトメ」でやめておきましょう。
なお、多毛類の概説はウィキの「多毛類」が比較的簡潔によく書けてあるのでそちらを参照されるのがよいと思うが、他に私の「生物學講話 丘淺次郎 第九章 生殖の方法 五 分裂 ゴカイの横分裂」をお読み頂くのも有益かと思われる(ここで主題となっている生殖群泳の注記もしてある)。序でに、やはり以前に栗本丹洲「栗氏千蟲譜 巻十(全)」の「土蟀」(多毛綱 Polychaeta ゴカイ類。なお近年、単一種としてのゴカイという概念は修正されたため、サシバゴカイ目ゴカイ超科ゴカイ科カワゴカイ属ヤマトカワゴカイ
Hediste diadroma 、又はヒメヤマトカワゴカイ Hediste atoka 、又はアリアケカワゴカイ Hediste japonica (これが旧来の和名「ゴカイ」の学名であった)が狭義の「ゴカイ」の種となる)の私の注に附した、廣川書店平成六(一九九四)年刊の永井彰監訳 Thomas M.Niesen“ The MARINE BIOLOGY COLORING
BOOK ”「カラースケッチ 海洋生物学」の「海産環形動物:多毛類」のレジュメと私が二十数年前に彩色した図も以下に掲げてゴカイ類の生態を示しておく。
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