耳嚢 巻之十 酒宴の席禁好物歌の事
酒宴の席禁好物歌の事
何人(なんぴと)のざれ歌なるや、配席禁好物の歌とて人の咄しけるが、聊(いささか)其理(ことわり)もあれば爰にしるしぬ。
酒は燗肴は火とり酌はたぼ狆猫婆々子も出ぬがよし
□やぶちゃん注
○前項連関:狂歌連関。「燗酒」の「燗」は底本では「火」+「間」で私はずっとそう書いてきたのであるが、「燗」が正字で、この字はそもそもがネット上のコード字体としては表記出来ないことも分かった。「広辞苑」も「間」なのに! びっくらこいた!
「配席禁好物の」「はいせききんかうぶつのうた」と読むか。「配席」は酒の席での手配りや当座の出席者の選び方という風に取ればとれぬこともないが、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「酒席」で、この方がすんなり分かる。「酒席」で訳した。
「洒は燗肴は火とり酌はたぼ狆猫婆々子も出ぬがよし」底本の鈴木氏注には、『この歌は諺化している。「肴は火とり」は、「肴は刺身」という方が普通。火とりは意味不明。火加減の意か、或いは独りか』とある、半ば俚諺化している割には、私は聴いたことがないし、そもそも不祥な「火とり」の語が混入していては、諺とはなりにくい気がする。江戸時代に既に意味不明の「火とり」が消えて、
酒は肴は刺身酌はたぼ狆猫婆々子も出ぬがよし
という戯れ歌として流行っていたということか。岩波版の長谷川氏注では、『酒を飲む最上の境地をいう。「さかなは火とり」は「さかなは気どり」(魚は趣向によってきまる)の誤りか』とある。しかし連続性を重視するならば、
――「酒は」ぬる「燗」が一番――酒の「肴は」「独酌」こそが最上じゃ。……しかしそれが淋しいとならば「酌」で許せるのは――「たぼ」(髱。女性の結髪で後方に張り出した部分を言うが、概ね派手なそれをしていた若い女性の称となった)――若い女性(にょしょう)に限る。……狆やら猫やらは無論のこと、婆(ばばあ)や子なんども酒席には出ぬがよい――
というのが、私には腑に落ちる。「狆」は日本原産の愛玩犬の品種。ウィキの「狆」から引いておく(アラビア数字を漢数字に代え、注記号は省略した)。『他の小型犬に比べ、長い日本の歴史の中で独特の飼育がされてきたため、体臭が少なく性格は穏和で物静かな愛玩犬である。狆の名称の由来は「ちいさいいぬ」が「ちいさいぬ」、「ちいぬ」、「ちぬ」とだんだんつまっていき「ちん」になったと云われている。また、『狆』という文字は和製漢字で中国にはなく、屋内で飼う(日本では犬は屋外で飼うものと認識されていた)犬と猫の中間の獣の意味から作られたようである。開国後に各種の洋犬が入ってくるまでは、姿・形に関係なくいわゆる小型犬のことを狆と呼んでいた。庶民には「ちんころ」などと呼ばれていた』。『祖先犬は、中国から朝鮮を経て日本に渡った、チベットの小型犬と見られる。詳しくはわからないが、おそらくチベタン・スパニエル系統の短吻犬種(鼻のつまった犬)であり、ペキニーズとも血統的なつながりがあると考えられる。』『『続日本紀』には、「天平四年、聖武天皇の御代、夏五月、新羅より蜀狗一頭を献上した」とある。天平四年は奈良時代、西暦では七三二年だが、このときに朝鮮(新羅時代;三七七年―九三五年)から日本の宮廷に、蜀狗、すなわち蜀(現在の中国四川省)の犬が贈られたという記録である。これが狆に関連する最古の記録である』。『現在では、すべての短吻種(たんふんしゅ)犬の祖先犬はチベットの原産である事が知られているがこの時はおそらく、この奇妙な小型犬の原産地は、西方奥地の山岳高原地帯というだけで、はっきりとは知られていなかったのだろう』。『なお、『日本書紀』には、天武天皇の章に、六七二年、新羅から「駱駝、馬、狗」などの動物が贈られたという記載がある。この「狗」が短吻犬種であったとすれば、狆の歴史はさらに遡ることになる』。『次いで『日本紀略』には、「天長元年(八二四年)四月、越前の国へ渤海国から契丹の蜀狗二頭来貢」とある。『類聚国史』では、この件を「天長元年四月丙申、契丹大狗ニ口、㹻子ニ口在前進之」としており、この「㹻子」(小型犬)も狆の祖先犬であろうと言われる』。『天武ないし天平期からこのころまでの前後百年余の間に、「蜀狗」と呼ばれた短吻種犬が何度か渡来した。因みに「高麗犬(こまいぬ)」という意味は、本来は朝鮮から入ってきた犬の呼称であった。また、文献によっては、日本から中国(唐時代;六一八年―九一〇年)並びに朝鮮(渤海時代;六九八年―九二六年)に派遣された使者が、直接日本に持ち帰ったとも記されているという』。『しかし実際には、これらの犬が現在の狆の先祖とは考えにくく、シーボルトの記述によると、戦国時代から江戸時代にかけて、北京狆(ペキニーズ)がポルトガル人によってマカオから導入され、現在の狆に改良されたという。いずれにしても室町時代以降に入ってきた短吻犬や南蛮貿易でもたらされた小型犬が基礎となったと思われる。承寛雑録(雑=衣編に集)には江戸時代一七三五年(享保二〇年)に清国から輸入された記録がある』。『狆の祖先犬は、当初から日本で唯一の愛玩犬種として改良・繁殖された。つまり、狆は日本最古の改良犬でもある。とは言うものの、現在の容姿に改良・固定された個体を以て狆とされたのは明治期になってからである。シーボルトが持ち出した狆の剥製が残っているが日本テリアに近い容貌である。つまり小型犬であれば狆と呼ばれていたことを物語る』。『江戸時代、「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれた五代将軍徳川綱吉の治世下(一六八〇年―一七〇九年)では、江戸城で座敷犬、抱き犬として飼育された。また、吉原の遊女も好んで狆を愛玩したという』。『香川大学神原文庫に所蔵されている『狆育様療治』によると、狆を多く得るために江戸時代には今で言うブリーダーが存在し、今日の動物愛護の見地から見れば非道とも言える程、盛んに繁殖が行われていた。本書は繁殖時期についても言及しており、頻繁に交尾させた結果雄の狆が疲労したさまや、そうした狆に対して与えるスタミナ料理や薬についての記述がある。近親交配の結果、奇形の子犬が産まれることがあったが、当時こうした事象の原因は「雄の狆が疲れていた為」と考えられていた』。『一八五三年にはペリー提督によって数頭がアメリカに持ち帰られた。そのうちの二頭は(一頭とも)、同年、イギリスのビクトリア女王に献上されたという。ビクトリア女王は愛犬家として知られ、ペキニーズ、ポメラニアン、マルチーズなどを犬種として固定した』。『江戸時代以降も、主に花柳界などの間で飼われていたが、大正時代に数が激減、第二次世界大戦によって壊滅状態になった。しかし戦後、日本国外から逆輸入し、高度成長期の頃までは見かけたが、洋犬の人気に押され、今日では稀な存在となった』。『英語でのかつての名を「ジャパニーズ・スパニエル (Japanese Spaniel)」というが、スパニエル種の血統とは無縁であり、混同を避けるために現在では「ジャパニーズ・チン (Japanese Chin)」と改名されている』とある。
■やぶちゃん現代語訳
酒宴の席の禁物のもの好物のものを詠んだる狂歌の事
何人(なんぴと)の詠みし戯れ歌なるものか、酒席での禁物のもの好物のものの歌と申し、人の話して御座った狂歌のこれ御座ったが、聊かそれ、肯んずる理(ことわり)もあったればこそ、ここに記しおくことと致す。
酒は燗肴は火とり酌はたぼ狆猫婆々子も出ぬがよし
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