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2015/02/11

耳嚢 巻之九 方言奇談の事 ―― 耳嚢 巻之九 完結!

「耳嚢 巻之九」100話の訳注をこれを以って完結。
 
2009年9月22日に始動以来、5年5ヶ月で遂に900話を終え、残すは最終巻「巻之十」1巻100話のみとなった。ゴールが遂に見えた。感慨無量である――




 方言奇談の事

 

 四ツ谷邊輕き御家人の方に、僕(しもべ)ともなく、又譯あつてや、仙臺の在所出生(しゆつしやう)の者居(ゐ)たりしが、文化五辰年の春、節分に豆を蒔(まく)ものなかりし故、右仙臺ものを賴(たのみ)ければ、安き事とて、頓(やが)て煎豆を升に入(いれ)、さて大聲をあげて、鬼の目(め)だなんの目だ福はうち福はうちと、はやしける故、いづれも珍(めづら)しとどよみ笑ひけるとなり聞馴(ききなれ)ぬ言葉笑ふもむべならずと、原田翁かたりける。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。これを以って「耳嚢 卷之九」全百話が終わる。これで九百話までの電子化訳注を終わった。

・「文化五辰年の春」文化五年は戊辰(つちのえたつ)。「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏である。

・「鬼の目だなんの目だ福はうち福はうち」「とうほく復興カレンダー」の加美山氏の「鬼は外!福は内!鬼の目ん玉ぶっつぶせ! ―秋保神社節分祭―」の二〇一四年二月の記事に、宮城県仙台市太白区秋保町長袋清水久保北にある秋保(あきう)神社の節分祭の様子が語られてある中に、豆まきのの掛け声が『「福は内、鬼は外ーー鬼の目ん玉ぶっつぶせー」』であるという記載がある。また、ウィキの「節分」の節分会(え)で知られる寺院の中に千葉県長南町報恩寺が挙げられてあるが、そこにも『「福は内、鬼も内、鬼の目玉ぶっ飛ばせ!!」』とある。同ウィキにある通り、節分は『宇多天皇の時代に、鞍馬山の鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷をし鬼の穴を封じて、三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたという故事伝説が始まりと言われ』、『豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある』とあり、豆は鬼の目を潰すことに意味がある訳で、この掛け声は頗る理にかなったものなのである。それを失笑した者どもは、これまた、大笑いと、申すことにて、御座ろうぞ!……呵! 呵! 呵!……

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 方言奇談の事

 

 四ッ谷辺の軽(かろ)き御家人の方に、下僕と申すのでもなく、また、何か、訳の御座ったものか、これ、仙台在所の出生(しゅしょう)の者が居候致いて御座ったが、文化五年辰年の春のこと、節分に豆を蒔く者が、これ、たまたま御座らなんだによって、この仙台出(で)の者に頼んだところ、

「へえ! 安きことじゃ!」

と、やがて煎豆(いりまめ)を升に入れ、さても、大声を張り上げて、

「――鬼の目(め)だ! なんの目だ!! 福は内! 福は内! 鬼の目だ! 鬼の目だ!! 福は内! 福は内!!!――」

と、囃して御座ったゆえ、孰れの家内の者も、これ、

「珍らしきことじゃ! は、は、はッツ!」

と、これ、どよみ笑(わろ)うて御座った。……

 

「……聞き馴れぬ、その言葉に笑うたも、これ、故ならぬことで御座る。……」

と、原田翁の語っておられた話で御座る。

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