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2015/02/08

耳嚢 巻之九 心有武夫の事

 心有武夫の事

 

 平野家の家士かたりける由。芝(しば)切通しの酒抔うる料理茶屋にやすらひ、一盃を飮(のみ)て暑欝(しようつ)をはらしけるに、遙か向ふに侍壹人酒飮て以前より暫くあり。價ひ抔算用して、扨(さて)帶を締直(しめなほ)し候迚、大小を脇にぬきゆるりと着替(きがへ)て、右脇差を立(たち)ながらとるとて取落(とりおとし)、隣に酒飮居(さけのみをり)し境の小衝立(こづいたて)を越して、右脇差隣の客の方へ落(おち)候故、右侍大きに驚き、扨々怪我(けが)ながら麁相(そさう)至極なり、怪我にても仕玉(したま)はずやと、念頃(ねんごろ)に式禮詫(しきれいわび)しけれど、右隣の客は町人と見えしが、無作法至極、危きめに逢(あひ)しと、侍へは挨拶もいはず、右脇差を己が膝元に引付(ひきつけ)て、空(そら)うそむきて對(こたへ)なし。彼(かの)侍もいろいろ詫(わび)けれど、不取用(とりもちひざる)故、全(まつたく)ゆすり事なすよと思ひければ、彌(やや)言葉をいやしくして、何分(なにぶん)許用(きよよう)あるべし、何ぞ詫の趣意も付度(つけたく)候へども、爰元(ここもと)には持合(もちあは)せなし、宿元へ立歸(たたいかへ)り、いくへにも詫事(わびごと)可致(いたすべし)と申(まうし)ければ、少しく許用の樣子なれば、然る上は脇差を返し可給(たまふべし)といふ。此品を返す事は、何分難成(なりがたし)とて、得心なさゞる體(てい)なり。然るに其鄽(みせ)にて、年頃少しおとなびたる侍、是も最前(さいぜん)より酒飮て右樣子を見請居(みうけをり)けるが、亭主を呼(よび)て、あの侍と町人、先刻よりの始末、其方(そのはう)は見請居(みうけゐ)て、何故(なにゆゑ)詫言(わびごと)も致不申哉(いたしまうさざるや)と申ければ、亭主も最前より度々(たびたび)なだめ候得(さふらえ)ども、とく心(しん)無之(これなき)故、いたし方にこまり候由を答へければ、夫(それ)は了簡違ひなるべし、今一應行(ゆき)て事濟(すみ)候樣可被扱(あつかはるべし)、若(もし)相手の侍勘忍不致(いたささざる)になり候はば、其方も難儀成(な)るべしと申(まうす)ゆゑ、亭主も尤(もつとも)と存(ぞんじ)、又候(またぞろ)罷出(まかりいで)て、侍へも譯(わけ)を申(まうし)、相手の町人へも、何(いづ)れ了簡有(あり)て、脇差を御返し可然(しかるべし)と申(まうし)けれど、何分得心せざるゆゑ、せん方なく最前助言の侍へ其譯申(まうし)ければ、右侍大きに怒り、武士は相互也(あひたがひなり)、不屆成(ふとどきなる)素町人(すちやうにん)、此上は相手の侍は事を忍ぶとも、我等合點(がてん)難成(なりがたし)と、刀引提(ひつさげ)可打果(うちはたすべき)仡相(きつさう)なれば、右に驚きしや、彼(かの)奪押(うばひおさ)えし脇差も捨置(すておき)、其外草履(ざうり)をもはき違ひ候程(ほど)にて、いづ地へ赴(おもむき)けん、かげも見えず迯去(にげさ)りければ、彼(かの)侍は酒食の價(あたひ)を拂ひなどして立歸(たちかへ)らんとせし頃、最前町人に不法の目に逢(あひ)し男、彼侍の前に至り、誠に御影(おかげ)故、時の災難を免れたり、某(それがし)は誰(だれ)家來にて何某と申者なり、先刻よりの始末、不甲斐性(ふがひしやう)とも思召(おぼしめ)されん、今日内々にて罷出(まかりいで)、主人の名前を出さん事何とも歎(なげかは)しく、何卒事穩(おだやか)にと存(ぞんじ)、未練の振舞(ふるまひ)とも思召されん、然るに誠に再生の恩を請(うけ)候故、御禮にも參り度(たき)間、御名(おんな)御宿所(おんしゆくしよ)も承度(うけたまはりたく)と、再應尋(たづね)けれど、いや御禮にも可及(およぶべき)筋に無之(これなし)とて、何分名前所ども不申(まうさず)。然上(しかるうへ)は是(これ)にて御酒(ごしゆ)一つ進上致度(いたしたし)迚、亭主を片脇に呼寄(よびよ)せ、屋敷へ内々人にても遣し候樣子にて、酒食を才覺致(いたし)候内、いづ地へ行けん、彼(かの)武士不相見(あひみえず)。立歸(たちかへ)りて茶屋のものにも聞(きき)けるに、雜式町(ざふしきちやう)の方へ參られし由申ければ、則(すなはち)直(ぢき)に追駈(おひかけ)て、道七八丁にて漸(やうやく)追付(おひつき)、何卒立歸り、一盃を汲み給へかしと申ければ、彼(かの)武士不思議なる顏色(かほいろ)にて、不存(ぞんぜざる)御方成(な)るが、如何成(いかなる)儀に候哉(や)、定めて人違ひに候らん、我等茶屋へ寄りて酒給(たべ)候事もなし、御身は一向しらざる御方なりと、さらに取合(とりあは)はざれば、いや脇差を隣座舖(となりざしき)へ取落し候事に付(つき)、御身の御影にて、危難を遁れし物をと申ければ、我等は不存(ぞんぜざる)事ながら、脇差抔御取落(おんとりおと)しと申(まうす)も、餘り御物語り不出來(ふできに)に付(つき)、何れ不存(ぞんぜざる)御方なれば、くわしく御答(おこたへ)もいたしがたし迚、立別(たちわか)れ行(ゆき)しが、遖(あつぱ)れの武士なりと咄しけると也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:孝心の貞女より、遖れ武士の鑑で連関。

・「平野家」大和国十市郡田原本(現在の奈良県磯城郡田原本町田原本)を領有した平野氏か? 豊臣秀吉の腹心で「賤ヶ岳の七本槍」の一人に数えられた平野長泰に始まる(秀吉への忠誠が災いして、江戸になっても七人中、唯一、大名となれなかった)。大和国内に五千石を与えられたが、これは交代寄合(こうたいよりあい:参勤交代を行う格式の旗本。)表向御礼衆であった平野家の知行地であって正式な藩ではなかった。幕末期、当時の当主であった平野長裕が佐幕派と尊王派の間を巧みに立ち回ったことから、慶応四(一八六八)年七月に新政府の計らいによって実高に高直しされ、一万石で大名に列し、ここに田原本藩を立藩、後に藩知事となったが、明治四(一八七一)年七月の廃藩置県により免官となっている。事実上、藩であったのはこの明治維新期の三年間だけであった(以上はウィキの田原本藩平野長泰「平野長裕」などを参照した)。

・「芝切通し」切絵図で見ると、現在の神谷町駅を南東に登った港区芝公園三丁目にある正則高等学校と、その北にある青龍寺の間を指す。

・「扨々怪我ながら麁相至極なり、怪我にても仕玉はずや」前の「怪我」は思いがけない偶然の過失の意。後の「怪我」は不通に、不注意から自他の身体を傷つけること或いはその傷、意。

・「仡相」気っ相・吃相で、感情が顔に現れること。顔つき・表情・顔色。

・「再生の恩」岩波版長谷川氏注に(( )は私の補足)、『脇差を取返さなかった時』(例えばこの脇差が主君よりの拝領品だったりすれば切腹ものとなることも考えられる)、『相手を斬った時』(条件が条件なだけに脇差を落した武士には重過失があり、しかも殺害してしまい、しかもそれが無礼討ち(所謂、切捨御免。これが適用されるには厳格な条件があった。参照したウィキの「切捨御免」を読まれたい)として認定されなかった場合には、切腹どころか斬首刑を受け、御家御取り潰しや財産没収が行われてしまう可能性さえもあった)『ともに、自分の身分』(生命に)『かかわる』とある。

・「いづ地へ行けん」底本は「いつ地へ行けん」であるが、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版で濁点を補った。

・「雜式町」岩波版長谷川氏注に、『麻生坂下町の俗称。港区麻布十番の内』とある。『麻生』は誤りではなく、江戸時代までは阿佐布・麻生・浅府・安座部などと多様に書き表されていた。麻布の地名語源についてはここで私が参照した「麻布の由来」が面白い。必見。なお「雜式」の呼称は現在の麻布坂下町沿いの通りの呼称に「雑式通り」として生き残っている。

・「七八丁」約七百六十四~八百四十二メートル。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 心ある武士(もののふ)の事

 

 平野家の家士の語った話の由。

 

……我ら、先般、芝(しば)切通しにある、酒など売る大きな料理茶屋にて一服致いて、酒を一盃を吞んで暑気払いなどして御座ったところ、かなり離れたる向うに、侍が一人、やはり酒を吞んで御座って、拙者が入る以前よりおられ、暫く、そこで同じきように御座られた。

 さてもその侍、勘定など頼みおいて、一つ、帯を締め直さんとし、腰の大小を脇に抜いて、ゆっくりと身繕いなどなし、徐ろにその脇差を立ったままに取ろうとして、思わず、取り落としてしまわれたの御座る。

 その脇差、これ、境の小衝立(こづいたて)を越して、隣で酒を吞んでおった客の方へと落ちてしもうたによって、かの侍、これ、大きに驚き、

「――さてさて、思わぬ失態乍ら、沮喪千万で御座ったの。怪我など、これ、なさってはおられぬか?」

と、丁重に挨拶なし、詫びも入れて御座った。

 ところがこの隣の客、見るからに町人と見えて御座ったが、

「――てやんでえ! 無作法至極たあ、このことでえ! 下手すりゃ、こいつがぶっすりだっ! あ~あっ! 危ねえ目(めえ)に、遇ったもんだ、ぜえぃ!!」

と、大声を挙げて叫び、侍へは挨拶もせず、かの武士の脇差を己(おの)が膝元にひっしと抱きかかえて、空(そら)っとぼけた風情のまま、侍に答えんとする様子も、これ、一向に御座ない。

 かの侍もこれ、いろいろと詫びを入れて御座ったれど、この町人、どこ吹く風と、一向相手にせぬ。

 我ら――これ、全く、所謂、強請(ゆす)り集(たか)りの手合いに違いない。悪い相手にぶつかったものじゃ――と思いつつ、そのまま眺めて御座ったところ、かの脇差を落したる侍、これ、少しく下手(したて)に出て、

「……何分(なにぶん)、お許しあられたい! 何ぞ、詫びの趣意(しゅい)もこれ、添えてお渡し致したく存ずれども……茲許(ここもと)には、これ今、持ち合はせが御座らぬ。……されば一つ、これより屋敷へたち帰って、再応、応分の謝礼を携えて立ち戻って参り、幾重にもお詫び、これ、致さんと存ずればこそ。……」

と申したところ、かの、町人、これ、少しく許容を示したる様子になったれば、侍、

「……しかる上は、どうか、その脇差、これ、お返し下さるよう御願い申し上ぐる。」

と請うて御座った。

 ところが、それを聴くや、かの町人、色をなして、

「ただでこいつを返すってえことは、の! なんとしても出来ねえ、相談だぜえ!!」

とほざいて、またしても頑なになって、元の、一向、得心せぬ体(てい)へと逆戻りしてしもうたので御座る。

 ところが、その店に、今一人、少し年配の侍が別に――拙者の近くにて、やはりその騒動の辺りが、これ、よう見える近くに――居られて、この御仁も最前より酒を吞みながら、黙って、かの武士の難儀を見かけて御座ったが、

「おい――亭主――」

と店の主人を呼ぶと、

「――あの侍と町人――先刻よりの始末、その方(ほう)は見かけておきながら、何故(なにゆえ)、中に割って入(い)り、詫び言など致そうとはせんのじゃ?」

と静かに申すのが聴こえた。

 亭主も如何にも蒼い顔をなし、

「……いいえ! 実は最前より我らもたびたび宥(なだ)めかけて御座ったのですが、かの町人が、これ、一向、得心致しませんで……へぇ……されば……我らも、これ、どう致いたらよいものかと……正直、困っておるので御座いますぅ……」

と、心もとないことを申して御座った。

 するとその侍、

「――それは了簡違いと申すものじゃ。今一度、亭主たるそなたが割って入って、ことを納めらるるが、これ、よろしかろうぞ。――もし、かの相手の侍、これ、勘忍致ささざる仕儀と相い成って御座ったれば――その方(ほう)が方(かた)にとっても、これ、難儀となるは必定(ひつじょう)じゃ。」

と、やはり穏やかに、しかし、ぴしゃりと、はっきり告げたによって、その亭主も、

「……曰く、ご尤も!」

と、直ぐに、またぞろ、かの二人の間に割って入り、進退窮まって御座った、かの侍が方(かた)へも、

「……お心、これ、お静めを……」

と平身低頭致いて、相手の町人方へも、

「……あんたも、言い分はあろうが、孰れにせよ、まずは我慢辛抱なしての。さ、早うに、脇差を、これ、お返し申せ!……」

と穏やかに慫慂なしたれど、この不良町人、やはり、一向、得心せず、脇差をしっかと膝に抑えたまま、口元には妙な笑みさえ浮かべて御座った。

 されば亭主、せん方のぅ、最前、助言し呉れた侍が元へと参って、

「……どうにも……これ……へぇ……なりませなんだ……」

と、不首尾を告げた。

 と、それを聴いたるその侍、これ、

「――なんじゃとッ!」

と大音声(だいおんじょう)を挙げて怒り心頭に発し、

「――武士は相身互(あいみたが)いで御座る! そこな、不届きなる素町人(すちょうにん)! この上は! そこにまします相手の侍は無礼を堪え忍ぶとも! 我ら! 合点なり難しッツ!」

と、太刀をひっ提げ、かの二人が前へ

――ザッツ!

と進んで、今にも町人の首を斬らんずる勢いにて、柄(つか)に手を掛けたるその顔は! これ

――仁王か! 閻魔か!

 これに驚いたか、かの町人、奪い押えておった脇差もその場に放り出し、その外の持ち物も皆、これ、忘れ、草履(ぞうり)さえも他人が物を履き違(たが)えるといった慌てようにて、韋駄天か脱兎の如く、店の裏からでも一目散に逃げ去ったものか、影も形も見えずなって、とんずら致いて御座った。

 されば、いきり立ったかの侍、穏やかなる表情に戻って、くるりと身を翻すと、酒食勘定を亭主に申し付け、払(はろ)うてしまうと、そのまますぐに、たち帰らんと致いた。

 そこで、最前、町人により無法の目に逢うたかの侍、救うて呉れたこの侍の前へと至り、

「……まことに、貴殿の御蔭によって、さし迫って生じたる災難を免るること、これ、出来申した! 某(それがし)は△△家家来にして□野〇兵衛と申す者にて御座る。……先刻よりの始末、武士として不甲斐なき性(しょう)の輩(やから)とも思し召されんが、……今日は私事にて罷り出でまして、酒なんども嗜んで御座ったによって、ここにて、かの大身の我らが主人の名前を出ださんことも、これ、何とも嘆かわしきことかとも思われ、何卒、こと穏やかに納めんものと存じ、……下手に出でての挨拶、……これもまた、侍にあるまじい未練なる振る舞いとも思し召されて御座ろうほどに、……しかるに。まことに、命を繋いだる再生の恩を、これ、貴殿より請け申した。――されば、御礼(おんれい)にも参りたく存じますれば、どうか、御名(おんな)及び御宿所(おんしゅくしょ)をも承りたく存じまする。」

と、名と住所を頻りに訊ねて御座ったが、かの侍、

「――いや。――御礼(おんれい)に及ぶべき筋のものにては、これ、御座らぬ。」

とて、何としても、名も住まいも告げず御座った。

 されば、件(くだん)の脇差の侍、

「……しかる上は……せめて、こちらの店にて、改めて一つ、御酒(ごしゅ)を進上致したく存じまする。」

と、かの亭主を片脇に呼び寄せ、どうやら、自身の屋敷をも告げ、裏より店の者にてもそこに遣わすべき手筈――かの武士への礼の用意と調達――を、これ、成しおる様子で御座った。

 亭主とその脇差の侍が、かく二人して酒食の品なんど、あれこれ、うち合わせておるを拙者の眺めて御座った、その、かの侍より目を離したる一瞬のうちに――これ、何処(いずこ)へ参ったものか――かの壮年の武士――店内からは姿の見えずなって御座った。

 脇差の侍が、入口の辺りにおったる茶屋の小僧に質したところ、

「――そのお侍さまなら、さっき、足早に雜式町(ぞうしきちょう)の方(かた)へと下って参られました。」

と申したによって、即座にその後を追い駈け、七、八町も道下ったところでようやく追いついたによって――さてもここから先は、この後(のち)に、茶屋へたち帰って参った、件の脇差の侍が、亭主に語って御座るを耳にした話にて御座る――、

「……何卒、おたち帰りになられ、一献を汲み給えかし!……」

と再応、請うたところが、かの武士、如何にも不思議そうな表情をなして、

「……貴殿は、これ、我ら、存ぜざる御方で御座るが?……さても、その見知らぬ者に、これ、如何なる仕儀にて候うや?……いやいや、これは、きっと、御人違いにて御座ろうぞ。……何?……切通しの茶屋に、酒を吞んで御座ったとな?……我ら儀、今日は茶屋へ寄って酒など呑んで御座ったこと、これ、御座ない。御身は一向知らざる御方(おかた)にて御座る。」

と、さらにとり合う様子も、これ、御座らなんだと申す。さればなおも、

「……い、いや……拙者が、これ、この脇差を、隣りの座敷へ取り落して御座って、不良の町人に言いがかりをつけられ、難儀致いておりましたところを……かくかくの仕儀なされ……御身の御蔭にて……かくも……その危難を免るること、出来申したので御座いまする……」

と分かり切ったること乍ら、再応、改めて訴えてみたところが、

「……いや、それ、我等は一向、存ぜざることじゃ。しかも、存ぜざることながら……その今の……脇差などを、お取り落しになられ、奇体なる騒動に巻き込まれて、そこに拙者が『狼藉者、許さじ』となん、乱入致いたと申すも、これ……あまりに不出来な、世にもあり得ぬ御物語(おんものがたり)にては御座いませぬか?――孰れ、貴殿がことは、先刻より申して上げております如く、これ、一向、存ぜざる御方なれば――その不審と申さるるにつき、これ、詳しくお答えも致し難い。――では――御免――」

と、踵(きびす)を返し、足早に立ち去ったと申す。…………

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