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2015/02/28

耳嚢 巻之十 嵯峨釋迦利生咄の事

 嵯峨釋迦利生咄の事

 

 或町家に甚だ六ケ敷(むつかしき)老婦ありて、家督の者も愁ひけるが、別段に住居(すまゐ)をしつらひ、一人の下女を付(つけ)て朝晩のかしづきとなしけるが、此下女至(いたつ)て直實なる性質(たち)にて能(よく)つかえ、朝夕の食事等も餘所(よそ)より早くいとなみて、彼(かの)はゝ敷老女につかへしに、文化七年嵯峨の釋迦開帳ありしに、此女(をんな)如何成(なる)願(ねがひ)有(あり)しや、又佛を信ずる心強かりしや、はゝ敷主嫗(しゆおう)はとても承知もいたすまじと、毎朝七ツ起して主嫗の目覺(めざめ)まへに參詣して歸り煮焚(にたき)して姥(うば)にあたへしに、有(ある)朝如何(いあかが)間違ひしや遲くなりて、いつもの刻限よりは半時餘(あまり)も歸り遲かりしかば、定めて主姥の怒りも有(あら)んと、取急(とりいそぎ)かへりて、宵には懸け置きし釜の下(した)焚付(たきつけ)んと見しに、いかがしけん、竃(かまど)の下の火を引消(ひきけし)して有り。釜中(かまうち)は飯も熟(じゆく)し、汁鍋(しるなべ)の下には火殘りてあたゝかなりける故、かの主姥の右の通(とほり)なし置(おき)しや、寢所をうかゞひ見しに、未(いまだ)目覺(めざめ)ざれば驚きて、これ全く釋迦の利生(りしやう)ならんと、あけの日かくかくの事ありし、釋迦如來のきどく難有(ありがたし)と、主姥(しゆぼ)へ語りければ、これも大きに驚き、早速開帳へ參詣なし、夫(そ)れより後生一三昧(ごしやういちざんまい)にて、主姥甚(はなはだ)善心に立歸(たちかへ)りしとぞ。これは本家の主人と、又下代の内、彼の下女の日々參詣なせしを知りてかく謀りしや、いづれ愚姥(ぐぼ)の節(せつ)を改(あらため)しは釋迦の利益(りやく)なるべし。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:怪異譚から霊験譚であるが、最後の根岸の簡潔な真相解明の一文はトンデモ都市伝説の鮮やかな論理的推理として美事である。

・「利生」仏神が人々を済度し、悟りに導くこと。祈念などに応じて利益(りやく)を与えること。または、その利益(りやく)そのものを指す語。

・「はゝ敷」底本には右に編者のママ注記がある。「六ケ敷」で訳した。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版も『彼(かの)六ケ敷主姥(しゆぼ)』とある。

・「文化七年」「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年六月。

・「嵯峨の釋迦」底本の鈴木氏注に文化七(一八一〇)年の『六月十五日より、両国回向院にて、嵯峨清涼寺釈迦如来開帳、例年より参詣多しと、武江年表に見えたり。(三村翁)』とあり、岩波の長谷川氏注には開帳は六十日間であった旨記載があるから、八月十二日までとなる。因みにグレゴリオ暦では開帳初日は七月十六日で最後は九月十日に当たる。嵯峨の清涼寺(せいりょうじ)は正しくは清凉寺と書き、京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に現存する浄土宗寺院で山号は五台山、「嵯峨釈迦堂」の名で知られ、中世以降、融通念仏(融通念仏宗。浄土教の宗派の一つで大阪市平野区にある大念仏寺を総本山とする。平安末期の永久五(一一一七)年に天台僧聖応(しょうおう)大師良忍が大原来迎院にて修行中に阿弥陀如来から速疾往生(阿弥陀如来から誰もが速やかに仏の道に至る方法)の偈文「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 十界一念 融通念仏 億百万編 功徳円満」を授かり開宗した。大念仏宗とも称する)の道場としても知られている(宗派は初め華厳宗で後に浄土宗となった)。本尊は釈迦如来、開基は奝然(ちょうねん)、開山はその弟子の盛算(じょうさん)。参照したウィキの「清凉寺」によれば、現在、国宝である本寺の釈迦像は十世紀に『中国で制作されたものであるが、中世頃からはこの像は模刻像ではなく、インドから将来された栴檀釈迦像そのものであると信じられるようになっ』て、こうした信仰を受けて元禄一三(一七〇〇)年より、『本尊の江戸に始まる各地への出開帳が始まる。また、徳川綱吉の母である桂昌院の発願で、伽藍の復興がおこなわれた』とある。

・「はゝ敷主嫗」前に準ずれば「六ケ敷主嫗」である。それで訳した。

・「七つ」午前四時前後。

・「有朝」底本では「有」の右に『(或)』と訂正注する。

・「半時」約一時間。

・「きどく」奇特。神仏の齎す不思議な効力・霊験。この謂いの場合は「きどく」と濁る。

・「後生一三昧」来世に於いて極楽往生出来るように一心に願うこと。

・「主姥甚善心に立歸りしとぞ」という叙述からは、この老婆が、もとは非常に優しい人柄であったことが窺われる。推測するに、気質的に神経質な部分があった上に、何か、家督を継いだ子やその嫁その他主家親族に纏わる事件や出来事の積み重ねによって、心理的なストレスが溜まり、一種のノイローゼや強迫神経症となった可能性が窺える。偶然であるが、一種の擬似的な宗教的奇蹟がセラピーとして成功した例とも言えよう。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

  嵯峨の釈迦の利生話(りしょうばなし)の事

 

 とある町家に、はなはだむつかしき性根(しょうこん)の未亡人の老婆のあって、家督を継いだる者も、この老婆の扱いの面倒なれば、はなはだ困惑致いて御座ったと申す。

 されば、別に住いを設(しつら)え、下女を一人付けて、朝晩の身の回りの一切の世話をさせて御座ったが、この下女、至って篤実なる性質(たち)にして、朝夕の食事も、凡そ余所の町屋よりも早うに賄(まかな)いして、かの口五月蠅(うるさ)き老婆にもよぅ仕えて御座った。

 ところが、文化七年の六月十五日より、回向院にては、京は嵯峨の清涼寺御本尊釈迦如来の出開帳の御座って、この下女、如何なる願いのあったものか、または仏道への信心のはなはだ厚く御座ったものか、この出開帳の間、欠かさず日参致いたく思うたらしい。されど、

「……かのむつかしき老女主人(おばあさま)にては、とてもものこと、参詣、これ、お許し下さるまい。……」

と思うて、毎朝、暗き七つ時に起きて、老主(あるじ)の目醒める前に参詣致いては飛んで帰り、それより直ちに煮炊き致いては、平素に変わらず老主(あるじ)に朝餉(さげ)を供して御座った。

 ところが、ある朝のこと、何をどう間違えたものか、帰りのえろう遅うなって、いつもの刻限よりは、これ、半刻近くも遅れて戻ったによって、

「……これでは、朝餉が間に合わぬ。……されば、老女主人(あるじさま)のお怒りも必定(ひつじょう)、この参詣がこともお話申さねばなるまい。……これでお参りも……最後か……」

と呟きつつ、ともかくも急いで立ち帰って、いつもの通り、宵のうちに米を研いで懸け置いたる釜の下を焚きつけんとして、見てみたところが、一体どうしたものか、竈(かなど)は既に一度、焚きつけられた後(あと)、ついさっき、火を消したばかりの様子にて御座った。

 釜の飯も炊けて、ほど良ぅ蒸らされており、一方、もう一つの、やはり下準備致いて御座った竈の上の汁鍋の下には、やはり既に火のおこって御座って、こちらはこちらで残り火となっており、汁もまたこれ、ちょうど良きほどに温まって御座った。

 されば、下女は、

『……こ、これは!……さてもかの女老主人(あるじさま)が、かくも支度なされたものか?……』

と仰天し、そっと老主(あるじ)の寝所を覗いて見たが、これ、いまだ目醒めておらなんだによって、またまた仰天なし、

『……こ、これは全く! かのお釈迦さまのお恵みに違い、ない!!』

と思うた下女は、その直後に起き出して参った老主(あるじ)に、

「――我ら、ずっと黙っておりましたれど……信心ゆえに、かの六月十五日よりずっと、回向院の嵯峨清凉寺さまのお釈迦さまの出開帳に、かくなして、払暁の参詣をさせていただいておりました。……ところが、今朝方、かくかくの出来事の、これ、御座いましたれば……これはもう!……釈迦如来さまの奇特(きどく)にて座いまするぅ! ああっ! ありがたや! ありがたや!……」

と、総ての事実を、これ、有体(ありてい)に老主(あるじ)に語った。

 すると流石に、かの因業婆あも大きに驚き、

「……そ、それは!……ま、まっこと、お釈迦さまの利生(りしょう)ぞっ!」

と、下女を伴のうて、それより直ちに回向院が出開帳へと参詣なしたと申す。

 そうしてそれよりは、この主人が老婆、後生一三昧(ごしょういちざんまい)の信心に専心致いて、はなはだ善心にして優しき人柄へと戻ったと申す。

 

□根岸附記

 按ずるに、これは、本家の主人或いはその手代や下々の内の誰かが、かの下女が日々、出開帳に参詣しておることを秘かに知り、たまたまこの日、かの下女の時刻に間に合わぬを何かで見知ったによって、かく、下女に分からぬように、蔭で手助けを成したものではなかろうか?

 いや――孰れにしても――愚かな老婆の所行、これによって改められたとならば、これ、確かに――釈迦の利益(りやく)――と申すべきものでは、ある。

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