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2015/02/07

耳嚢 巻之九 藝道執心のもの玄妙ある事

 藝道執心のもの玄妙ある事

 

 吉田一帆齋とて、鑓劍(さうけん)の指南なせる人語りけるは、前田大和守領分上州の生れのものにて、大和守屋敷に料理人の下を勤(つとむ)る輕き板の間といえるなりしが、一方齋が稽古場の近所にて、鑓(やり)の稽古を見て頻りに執心し、稽古致度(いたしたし)と願ひしに、中間(ちうげん)體(てい)のもの鑓を遣ふ事、いらざる事と人々嘲りしが、いやさにあらず、鑓の利(り)面白かるべしとて、家中の同門に指南を請け、やがて一方齋が弟子となり、律儀一遍に鑓をつかひ覺え、ある年(とし)給金を請取(うけとり)しが、漸く其年の給金一兩貮分を取りて、妻もありけるや、家内の衣類等を求めんと糀町(かうじまち)邊へ出しに、古道具屋に立(たて)かけ有(あり)し十文字の鑓を見て、頻りに懇望(こんばう)に思ひ、與風(ふと)直段(ねだん)の相談なして、右給金の内、過半右償(あがな)ひに拂(はら)ひ、衣類を不調(ととのへず)して鑓を提(さげ)て戻りけるに、妻なるもの大(おほき)に驚き、身命(しんみやう)ありての道具なり、かゝる了簡違ひもあるものかと憤りけるを、我(われ)此道に執心なれば、一度は是を可持(もつべき)身となるべし、心ゆかずば出(いで)て行(ゆく)べしとて、夫婦申爭(まうしあらそ)ひしを、其隣長屋なる留守居聞て是を制し、事のやうを尋(たづね)けるゆゑ、斯々(かくかく)の事なりといひしが、留守居も可笑(をか)しき事に思ひて、先(まづ)其鑓見せよと取寄(とりよ)せ一覽なせしに、何とやら燒刄(やきば)のやうす常ならず、兼て目利(めきき)も心得たるや、妻の申(まうす)所も道理あれば、此鑓我に得させよ、代金は餘計に拂(はらは)んとて、右金子に倍(ばい)してあたへければ、何分得心(とくしん)せざりしを色々教諭(をしへさと)して、右鑓を留守居方(かた)へ調(ととの)へ代料(だいりやう)をあたへしが、中(なか)か子(ご)も改めぬれば、銘は忘れたり、一向つたなきものにもあらず、柄(え)もまた一通りならざれば、尚追(おつ)て價(あた)への増しをもあたへけれど、不請(うけざる)よし。かゝる剛氣朴訥(がうきぼくとつ)の男なれど、段々取立(とりたて)られて今は鑓を爲持(もたせ)候身分に昇進し、一帆齋が方(かた)にても鑓術(さうじゆつ)の皆傳(かいでん)を請け、當時上州の陣屋に住居(すまゐ)し、藩中其外、鑓の弟子も百人に餘りぬるとかたりぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。変格武辺物。

・「吉田一帆齋」「巻之八 一刀齋知見の事」や続く「剛氣朴質の人氣性の事」などに既出。ブログ「無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)」の「広島の剣術流派 3」で、「一帆斎流」を挙げ、『天明~寛政期に吉田一帆斎という浪人が広島城下で剣・槍・長刀を教え、時の藩主、浅野重晟もその業前を見たという』という「広島県史 近世2」からの引用がある。

・「前田大和守」上野甘楽郡(現在の群馬県富岡市七日市)にあった七日市(なのかいち)藩一万石余。小藩で、本家加賀藩の財政援助を受けて漸く存続しているといった状況であったが、歴代藩主の多くは駿府城・大坂城の守備役を務めている。因みに、「卷之九」の執筆推定下限である文化六(一八〇九)年当時は、第十代藩主前田大和守利和(としよし)であった。以上はウィキの「七日市藩に拠った。

・「板の間」武家の雑役をこととする下男の中でも最も低い身分の呼称かとも思われる。後では武家の下級奉公人を指す「中間體」とも称している。因みに、これは当時は「不良博徒仲間」を指す隠語でもあった。

・「一方齋」底本では右にママ注記がある。

・「一兩貮分」一両は二十万円から三十万円見当で、二分金は一両の半分の価値があったから、総計で三十万~四十五万円相当と考えられる。十文字鑓にはその「過半」を支払ったとあるから、この鑓の値段は最低でも十五万強、二十五万弱と考えてよいか。

・「糀町」千代田区公式サイトの「町名由来板:麹町一丁目」によると、当時の麹町の『沿道には武家屋敷の御用を調達する商家が並んでいた。江戸の町屋ではもっとも古い地区の一つで、幕府の麹御用を勤めた麹屋三四郎が一丁目の堀端に住んだことから「麹町」の名が起こったといわれている。ほかに竹屋、魚屋、西瓜(すいか)屋、乗物屋、太物(ふともの)(綿・麻布)屋など有力な店もあって、日本橋の商家に対抗する勢力を誇ったといわれる』とあるから、この男、ちょっといい品を妻に奮発しようとしたことが分かる。また、『江戸城の守りとなるこのあたりは、半蔵門から見て右手に番町(ばんちょう)の旗本(はたもと)屋敷、左手に但馬(たじま)豊岡藩(兵庫)京極家や播磨(はりま)明石藩松平家、近江(おうみ)彦根藩井伊家などの大名屋敷があった』とあるから、彼が古道具屋で掘り出し物の鑓を発見するというのもおかしくない。

・「償(あがな)ひ」と一応、読んでおいたが、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版はここが『価ひ』(價ひ)となっており、「あたひ」で自然である。書写の誤りではなかろうか。

・「中か子」「茎」とも書く。刀剣類の柄(つか)や柄の内部に入る部分。

・「段々取立られて今は鑓を爲持候身分に昇進し、一帆齋が方にても鑓術の皆傳を請け、當時上州の陣屋に住居し、藩中其外、鑓の弟子も百人に餘りぬるとかたりぬ」これはどう考えても「板の間」の身分のままではあり得ないから、所謂、根岸同様、御家人株を買って武士となったのだと思われる。さればこそ題名の通り、「玄妙」とも称する奥深い不思議なものがそうした本物の「執心」には隠れているのだというのであろう。「上州の陣屋」は七日市藩の現地の役所。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 武芸の道に執心せる者には相応の不思議に奥深き玄妙のあるという事

 

 吉田一帆齋(いっぽさい)殿と申す、鑓剣(そうけん)の指南をなさるる御仁の語られたことで御座る。

 この男は本来、前田大和守殿領分、上野国(こうずけのくに)の生れの者にて、大和守殿江戸藩邸の料理人の、そのまた下働きを勤めておった、如何にも軽き身分の、「板の間」と申す、下の下の役方で御座った。

 ところが、この男、一帆齋殿の稽古場の近所に住んで御座って、彼の鑓(やり)の稽古を見るうち、頻りに鑓術(そうじゅつ)への執心を起こし出だし、

「稽古を致しとう存じまする。」

と願ごうて参ったと申す。

「中間体(ちゅうげんてい)の者なんどが鑓を遣うことは、これ、いらざることじゃ!」

と周囲の者どもはしきりに嘲笑して御座ったが、

「――いや! さにあらず! 鑓術より得らるる魂(たましい)の利面(りめん)は、これ、我らにはまっこと、面白う存ずる。」

と、御家中の、一帆齋殿が同門の者に、これ、指南を受け、やがて、一帆齋殿の直弟子となって、まっこと、律儀にその鑓術の仕儀を覚えて御座った。

 ある年のこと、主人より給金を受け取った。

 その前の年の一年分の給金にて、これ、一両二分、御座ったが、これを携え、この男には妻もあったれば、

『……たまにはこれ、家内の衣類なんどをも求めてやろうか……』

なんど思うて、麹町(こうじまち)辺りへと出でた。

 うろついておるうち、一軒の古道具屋の前にて、足が止まった。

 男は、その店の奥に立て掛けて御座った十文字鑓を見て、何か、ぴんとくるものの御座ったと申す。

 その瞬間、頻りに

――あの鑓――これ、欲しい!

と思うて矢も楯も鑓も堪らず、即座に店に飛び込むや主人と値段を交渉なし、かの給金のうち、なんと、その過半に当たる金子(きんす)をその鑓を買(こ)うのにすっかり払ってしまい、衣類を買い調えることも忘れ、喜び勇んで、鑓一本を提げて、これ、家へ戻った。

 それを見た妻なる者、これ大きに驚き、

「――あんた! 戦さもなきこの太平の世に、そんな、鑓なんぞッ!……しかも、何ものもこれ、己(おの)が身命(しんみょう)あっての道具でしょうがッ!……そんなに鑓に執心して、これ、何かの間違いのあって、その鑓に命を落としたとしたら、これ、どうなさいますッ?!……そんな了簡違いも、これ、甚だしいこと、ありますかッ!……」

ともの凄き剣幕で憤り始めた。しかし、男も負けずに、

「――我れら、この鑓の道に執心しておるんじゃ!……一度はこれを持ち得る身分とならんとこそ、思うておるッツ!……納得出来んとならば!――出ていけッツ!……」

と、売り言葉に買い言葉、罵詈雑言の応酬と、これ、派手な夫婦喧嘩と相い成った。

 と、その隣り長屋に住んで御座ったが、江戸留守居役を勤めて御座った御仁。この騒ぎを耳にし、

「……まあまあ……」

と中に入ってこれを押し留め、

「……しかしまあ……何がどうして御座ったじゃ?……」

と訊ねたによって、かくかくのことでと、それぞれが申し述べたところが、

「……ふむ……む、は、は……」

と女子(おなご)の衣が鑓に変じたるこの話に、留守居役の御仁も、これ、思わず失笑致いて御座った。

 しかし、ふと、

「……その鑓とやら――まず我らに見せてみよ。」

と命じ、それをとらせて、手にすると、一瞥なした。

 すると、何にやら、

――十文字の穂先の刃(やいば)の様子なんど

――これ

――尋常のものにては、御座ない。……

 かねてより、槍術執心の男なれば、鑓の目利(めき)きをも心得て御座ったものか、なかなかの名物と見た。

 されど、「板の間」の分際にて鑓持ちたらんとの法外なる望み、これ、妻の申すところも道理のあればこそ、

「――一つ、この鑓、我らに譲れ。代金は……そちの払った金額より余計に払おうぞ。」

とて、

「――その買い取ったる金子の二倍で、どうじゃ?」

と男に告げた。

 留守居役なる、この男よりみれば、雲の上のようなる御仁なれば、はっきりとは拒まなんだものの、せっかく手に入れた己れの鑓、なかなか得心(とくしん)致さず、首を縦に振ろうとせなんだが、それでもいろいろと教え諭して、結局、その鑓を留守居役が方(かた)へ譲り渡し、御留守居役はその申した通りの代金を与えたと申す。

 さて、留守居役の御仁、その十文字鑓の茎(なかご)をも改め見たところが――銘は、これ、失念致いたが――確かなる相応の職人の名物にて、柄(え)の材や塗りなんども、これまた、尋常ならざる業物(わざもの)で御座ったによって、追って相応の代金の増しをも与えんとしたが、鑓を奪われたと内心、臍を曲げてでも御座ったものか、これ一切、受け取らなんだと申す。

 

「……この「板の間」、かかる剛毅(ごうき)にして朴訥(ぼくとつ)なる頑固者で御座ったれど……その後(のち)、槍術の腕を見込まれ……だんだんに取り立てられて、今や、晴れて鑓を持つることの出来る身分にまで昇進致いて……我らが方(かた)にても、遂に鑓術(さうじゆつ)の皆伝(かいでん)を授けまして、の……近頃は、本国上州の陣屋に住いなし、藩中や、その外にも、これ鑓の弟子も百人に余るほどの鑓手の名手と相い成って御座る。……」

と、一帆齋殿の語って御座った。

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