耳囊 卷之十 蛇の遺念可恐事
蛇の遺念可恐事
本所に住居(すまひ)ありし芦澤(あしざは)某といへる人の門に、年々燕(つばめ)巣をなしぬ。芦澤或年勤仕(ごんし)に出し留守、三四尺も有(ある)べき蛇右の燕の子を睨ひて、やがて門の柱をつたひ既に巢にちかよらんとせしを、芦澤の僕見付(みつけ)て蛇を打殺(うちころ)し、前なる割下水(わりげすい)へ投捨(なげすて)ぬ。しかるに日數(ひかず)五七日過(すぎ)て、蟻(あり)夥敷(おびただしく)燕の巢に入(いり)て、終(つひ)に燕の子斃(たふれ)ける故、右蟻の來(きた)る道を尋(たづね)しに、右門より割下水の方へ群步行(むれありく)故、其出る所を見ければ、彼(かの)打殺したる蛇全身朽(くち)て、右より夥敷出て右芦澤の門へ行通(ぎやうつう)なせしは、全(まつたく)蛇の遺念、蟻と化して、終に燕の子を取(とり)しなるべしと、芦澤直噺(ぢきばなし)なり。
□やぶちゃん注
○前項連関:「卷之九」の最終話との連関は認められない。既に述べている通り、根岸は実は「卷之九」で「耳嚢」を打ち止めにする積りであったから(更にその前は「卷之三」で完結する予定でもあった)、連関性がないのは寧ろ自然と言える。「卷之九」の執筆推定下限は文化六(一八〇九)年夏であるから、九巻で擱筆という決意が、凡そ四~五年は続いていたことが分かる。また、「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年六月で(根岸は文化十二年十一月四日(グレゴリオ暦一八一五年十二月四日没)、根岸は結局、没する前年まで「耳嚢」の筆を執っていたことも分かる。「耳嚢」の起筆は根岸が佐渡奉行として佐渡島に現地在任していた天明五(一七八五)年頃と考えられるから(「卷之一」の記載の推定下限は前年の天明四年)、休止を含めて実に延べ三十年の永きに亙って書かれたものであったのである(以上は主に底本の鈴木氏の冒頭解題を参考にして記した)。
・「芦澤某」底本の鈴木氏注に、『芦沢姓は寛政譜では一家。正永であろう。寛政二年(十八歳)家督。八年関東郡代支配留役より勘定奉行支配に移る』とある。寛政二年は西暦一七九〇年。実は岩波のカリフォルニア大学バークレー校版の同話(同版は巻之九と十が誤って書写されているので、そこでは巻之九の冒頭である)では冒頭が『本所割下水』と明記されてある。そこで切絵図を虫眼鏡で拡大して調べてみると、南割下水の、現在の亀沢三丁目の南東の角、JR総武本線の高架下西北角辺りに「芦沢富次郎」という名を見出だせた。この人物であるとすれば、その門前から北にあった割下水(現在の亀沢四丁目交差点付近)は大きく見積もっても百メートルほど、最短で六十メートル余しか離れていない。私はこれを「前なる割下水」と言って何らおかしいと感じない。切絵図から蟻の行列の実景が見えてくるのが、これ、私には頗る面白いのである。
・「三四尺」約九十一センチメートルから一メートル二十一センチほど。
・「睨ひて」底本では「睨」の右に『(覗)』と編者による訂正注が附されてある。
■やぶちゃん現代語訳
蛇の遺念の恐るべき事
本所に住いしておる芦澤(あしざわ)某(ぼう)と申す御仁の屋敷の門に、これ、年々、燕が巣を作って御座ったと申す。
ある年のことで御座る。――芦澤は勤めに出でて留守にて御座ったが――これ、三、四尺もあろうかという蛇(くちなわ)の出でて、この巣の中の燕の子を覗(うかご)うて、やがて
――シュルシュルッツ
と、かの門の柱を伝い登り、今にもその巣に近寄らんと致いておったを、これ、芦澤の下僕の見つけ、この蛇(へび)を散々に打ち殺し、前にある割下水(わりげすい)へ、その骸(むくろ)投げ捨てたと申す。
しかるにそれより、日数(ひかず)、そうさ、五日か七日ほど過ぎてのこと、これ、蟻が夥しゅう、その燕の巣に入り込んで、終には燕の子らは皆、その蟻に食われて、死んでしもうたので御座った。
されば、かの下僕、よう辺りを見てみたところが、かの折りに、蛇の登った筋と同じきところに、これ、点々と黒々としたる蟻の列の、これ、出来ておるを見出した。
されば、その蟻の来ったる道を、そこから元へと尋ねみたところが、かの芹澤家が門より、これ、かの割下水が方へと、
――ウネウネッツ
と、その蟻の行列の続いて御座ったによって、さても、だんだんに辿って参ったところが、その蟻の群れ出でたる所……これ……見出だした。……ところが……そこには……
……かの打ち殺したる蛇の……
……全身、これ、朽ちて御座って……
……その遺骸より……この蟻どもが……これ……夥しゅう生まれ出でては……そのまま……かの芦澤が方(かた)の門へと……これ――蛇の如(ごと)――黒々と――うねうねと……行列なして御座った。……
「……これ、全く――死したる蛇の遺念――蟻と化して――遂に、かの燕の子を取り喰(くろ)うたに、これ、違い御座らぬ。……」
とは、芦澤某(ぼう)の直談(じきだん)にて御座る。
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