橋本多佳子句集「命終」 昭和三十一年 奥美濃
奥美濃
[やぶちゃん注:底本年譜の昭和三一(一九五六)年の十月の条に、奥美濃の上牧(かみまき)の紙漉きを見るとある。美濃市乙狩(おとがり)。]
子の母がここにも胸濡れ紙を漉く
紙砧をりをり石の音発す
[やぶちゃん注:「紙砧」「かみきぬた/かみぎぬた」。紙を作るために原料の楮(こうぞ)の皮を台に載せて木づちで敲くこと、また、その台のことをいう。画像を検索してみるとこの台は木製の他に石製もあることが分かった。]
顎に力をとめ紙漉く脚張つて
働く血透きて紙漉くをとめの指
漉紙に漉紙かさぬ畏るる指
紙しぼる赤手(あかて)の上を水流れ
紙しぼる流れの端に鍋釜浸け
隆き胸一日圧(お)して紙しぼる
水照りて干紙に白顕(た)ち来る
干紙の反射に遊ぶ茶目黒目
紙を干す老いの眼搏つて鵙去れり
若き日の如くまぶっしき紙干場
死なざりし蜂干紙にいつ死ぬる
峡より峡に嫁ぎて同じ紙を漉く
遠燈点くはつとして紙漉場点く
紙漉女「黄蜀葵糊(ぬべし)」ぬめぬめ凍てざるもの
[やぶちゃん注:「黄蜀葵糊」の「黄蜀葵」はアオイ目アオイ科トロロアオイ
Abelmoschus manihot のこと。ウィキの「トロロアオイ」に、『オクラに似た花を咲かせることから花オクラとも呼ばれる。原産地は中国。この植物から採取される粘液はネリと呼ばれ、和紙作りのほか、蒲鉾や蕎麦のつなぎ、漢方薬の成形などに利用される』とあり、『主に根部から抽出される粘液を「ネリ(糊)」と呼び、紙漉きの際にコウゾ、ミツマタなどの植物の繊維を均一に分散させるための添加剤として利用される。日本ではガンピ(雁皮)という植物を和紙の材料として煮溶かすと粘性が出て、均質ないい紙ができたといわれ、それがネリの発想の元となったという説がある』。『根を十分に洗い、打解し、水に一昼夜漬けておくと粘性分である多糖類が出てくるので、濾して塵などを除去して使用する。抽出したネリは保存がきかず、腐りやすいため冬の気温が低い時期に紙漉きが行われる。紙漉き場などに行くとクレゾール臭がしていることがあるが、これはトロロアオイを防腐処理のためクレゾールなどに漬けているからである。トロロアオイを乾燥させて保存しておく事も可能だが、粘性が落ちると感じる人もいるようである』。『現在、機械抄き和紙はもちろん、手すき和紙の中でも古来の方法でネリを使用しているところは少なく、ポリアクリルアミドなどの化学薬品を合成ネリとして使用しているところが増えている』とある。こちらの「和紙製造の特徴」という頁(引用らしい)に、江戸時代のこの「ネリ」の方言として、「ネベシ」(美濃)・「ノリ」(土佐)・「タモ」(駿河)・「オウスケ」(九州)とし、『ほかに、ニレ、ニベ、ヌベシ』とある。]
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