「いとめ」の生活と月齢との関係――附・「いとめ」精虫及び卵、并びに人類の精虫電気実験に就きて―― 新田清三郎 (Ⅲ)
二 「いとめ」の生活要件
「いとめ」は東京附近に於ては小松川、笠井、千住、及び深川方面の、淡水と海水との混交し易きところに生存する。これは後段に委しく述べるが「いとめ」の生存には河水に鹽分の含有することが極めて必要なる條件であるからである。
先年四月及び五月の半頃「いとめ」を掘出しで見たことがあつた。ところが未成熟のものばかりで肉眼的には雌雄の別が困難であつた。同年の八月下旬に至つて發堀して見たところが雌雄の別が明瞭であつた。「いとめ」の未成熟のものは其長さ一定しゐないが通常二百乃至二百四五十ミリメートル、幅三四ミリメートルで、環節數二三百ある。成熟するに從つて新環節が增加する。
[やぶちゃん字注:「發堀」はママ。]
《大正十四年十月五日採集せる「いとめの」種類》
《A、日光にあたりて變色せる雌蟲
B、矢バチと稱するもの
C及びD、まだ「バチ」にならぬ「いとめ」
F、後體部の離斷せられしもの
G、雌 蟲
H、雄 蟲》
[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館の「近代デジタルライブラリ―」のものを用いた。以上の「C及びD」の後には読点がないが補った。]
「いとめ」は比較的淸潔にして引しまつた沙泥中に住んでゐる。即ち軟弱なドロドロしたキタない所には住まないやである。沙泥の引しまつてゐると云ふことは漲潮時及び落潮時に流されざることゝ、「いとめ」が成熟してバチとなり自然に前後兩體に區分せられんとする際、後體部を引きちぎるに必要なる條件と見るべきであらう。後體を引きちぎる時は前體部をグルグル回轉して切るのであるから、此場合沙泥が引きしまつてゐなければ甚だ困難な仕事である。尤も後體部がチギレずに浮游するものも稀にはある。漁夫等は之を「矢バチ」と呼んでゐる。
九月以後に於て「いとめ」が成熟して所謂バチと稱せらるゝに至れば雌は帶黄色となる。若し日光に當る時は淡綠色に變ずる。これは皮膚の變色ではなく、卵子の變色である。俗に之を「風を引く」と云つてゐるが、之は再び暗室に入るゝも元の帶黄色の還ることはない。
成熟したる雄蟲は淡紅白色であるが、之も亦皮膚の色にあらずして精蟲の色である。惟は日光に當るも更に變色しない。
[やぶちゃん注:最終段落の冒頭は一字下げがないが、補った。
「笠井」これは他の地域名の位置から考えて現在の荒川右岸の江戸川区南部の現在の葛西臨海水族園の北部分一帯を包括する呼称「葛西」であろう。東葛西では旧江戸川に接している。但し、「笠井」という漢字表記はその由来である葛飾郡の西で、古くから「葛西」と書いたから、これは作者の誤り(新田氏は岐阜出身で江戸っ子ではない)の可能性も考えられる。]
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