甲子夜話卷之一 30 有德廟、老女衆願向有之とき老中方へ上意の事
30 有德廟、老女衆願向有之とき老中方へ上意の事
德廟の御政務に御心を盡させられしことども多く聞し中に、大奧の老女、緣引の人出身のことを内願申上し時、善ほどに仰聞らるれども、女のことゆゑ時には迫りて申上ることも有れば、其時の仰には、總じてケ樣なることは我らの身分にも自由にならぬことあるものよ。老職の所存も聞かざれば協はずと上意ゆゑ、さらば老職え申聞候ても苦からずやと申上れば、少しも苦からずとの上意故、又申上るは、もし老職共異議申候はゞ、何如仕べきやと申上れば、其ときは、内々申上たれば、老職え申聞よと有しと申べしとの仰なり。その後老職召出のときの上意には、此ほど老女ども何々のことを内願したり。夫故ケ樣に答置たり。然ども件のことは然るべからず。其方共嚴正に挨拶すべし。假令上意と申とも承知いたすまじとの仰なり。果して老女衆より件の云云に及びし時、老職の答に、夫は然るべからずと有るとき、老女衆推かへし申さるゝには、内内言上に及たるに、上意にも左有らば、老職え申聞候へとの御旨なり、と言へば、老職衆答には、假令上意に候とも其ことは然べからずと強て申故、老女もせんすべなく、又々其ことを言上すれば、老職申旨は重きこと也と御諚有り、遂に其事停廢して行はれざりしと云。
■やぶちゃんの呟き
「有德廟」「德廟」徳川吉宗。
「緣引の人出身のことを内願申上し時」「内願」は「ないぐわん(ないがん)」と音読みしておく。大奥勤めの自分の、その縁故の者を特別に大奥奥女中として取り立てて戴くことを内々に将軍自身に願い出た時。本話から、こうした縁故採用の非公式の言上やそうした実際が、大奥では過去現在(静山の執筆当時)しばしばあったことがこの話柄から逆に窺える。後で「衆」と複数形となるから、大奥の老古参女房衆複数が関わっている事例であることが分かる。
「善ほどに仰聞らるれども」「よきほどにおほせきかせらるれども」。適当にあしらって聴き流しておられたけれども。
「迫りて」親しげに間近に寄ってきて、ことさらにしつこく何度も懇請する。
「老職」老中職の者ら。
「協はず」「かなはず」。叶はず。
「何如仕べきや」「いかがつかまつるべきや」。――「どう致しましたらよろしゅう御座いまするか?」――漢文の用法としては正確には正しくない。「何如」は「何のごとく」で状態・性質を問い、「如何」は「~のごとくするは何をかせん」で手段・方法を問う。本邦では慣用として早くから混同されて用いられた。
「共」「ども」敬意のない複数形。
「其ときは、内々申上たれば、老職え申聞よと有しと申べし」「老職へ申聞(まうしきこえ)よと有(あり)しと申(まうす)べし」で、吉宗の老女への再応。「申し聞こえ」は吉宗の自敬語。――「その時は、『これを将軍様に内々に申し上げたましたところ、「その件はまず老中職へ申せ」との仰せであられました』と申すがよい。」――
「何々」不適切な私的内容の記載を期した意識的伏字。ここは取り敢えず、前段の縁故採用の件ととってよい。具体的な人物が挙げられていたはずである。
「夫故ケ樣に答置たり」「夫(それ)故(ゆえ)ケ樣(かやう)に答置(こたへおき)たり」。
「然ども件のことは然るべからず」「件」は「くだん」。ここは前記の具体的な縁故採用の慫慂を指す。――「しかし私(話者の吉宗)は、この一件に関しては、実は正当にして妥当なる懇請とは思うておらぬ。」――
「假令上意と申とも承知いたすまじ」「假令」は「たとひ(たとい)」。たとえ。仮に。「承知いたすまじ」打消意志、というより禁止である。文脈としては分かるし、この個別事由に於いてはそのような対応をせよという個別事例過ぎないのであるが、しかそ、この驚くべき「上意」は、これ、一人歩きすれば吉宗個人を越えて将軍職にある総ての個人に及ぶ謂いとなってしまう発言でもあり、しかも「上意への絶対的服従を禁じた上意」に服従するかどうかというトートロジ的な論理矛盾をも孕む面白いものである。静山が記した意図には私はそうした面も含まれているのではないかと思っている。ともかくも、吉宗は自分が退屈で不快な遣り取りの表に立つのが馬鹿馬鹿しいと感じ、双方に、面白い一芝居を打ったという雰囲気が本話の眼目。直接話法の台詞(特に吉宗のそれ)が非常にリアルな吉宗の変幻自在の演技を感じさせて上手い。さらに言えば、大奥の老女パワーは将軍も辟易するほど、モーレツなものだったわけである。
「諚」「ぢやう(じょう)」で、貴人・主君の命令。仰せ。
「停廢」「ちやうはい(ちょうはい)」。「ていはい」と読んでもよい。予定していた事柄をとりやめること。