「いとめ」の生活と月齢との関係――附・「いとめ」精虫及び卵、并びに人類の精虫電気実験に就きて―― 新田清三郎 (Ⅷ)
又パロロの生活する場所は淡水に關係なし。故に我が國の「いとめ」の生活とは反対に流れて食鹽濃度の多き場所へ達する必要がない。即ち流れざる方が受胎に便である。故に潮差少く且つ流れの最も少き弦月時を選ぶのであらう。之が適者存續の條件に一致してゐる。朝顏の花が朝に開き夕顏の花が夕に開が如く、パロロも一定時に群游するものもあれど、兩者の間に甚だしき差異がある。朝顏夕顏は開花期間を通じて毎日咲くもので、「いとめ」の如く第一、第二、第三、第四と期間を置いて群游するのでもなく、パロロの如く下弦のみに出づるものでもない。
或年の十月の下弦より其翌年の十月の下弦に至るまでの日數は年々同一ではない。故に若しパロロが發育して生殖するに至るまでに一定の日數を要するものとすれば、其生殖群游の日を年々繰りかへなければならぬ。然るにパロロは必ず下弦の前夜、若しくは當日群游すると云ふことは月齡に關係あるので、これは何人も否定することは出來まい。(卷末參照)
地球上の生命に對する總ての月の影響を單に俗間の迷信なりとして棄つるが如き見解は、パロロや「いとめ」の現象を全く説明し得ざるものにして了ふのである。
大正三年以來の觀察によれば「いとめ」の群游時は年々粗同一なれば之を省き、茲には唯大正十四年のバチの群游と朔望との關係につきて東京附近に於ける實例を擧ぐれば
千住に於ては九月十九日及び二十日、十月三日及び四日に二回群游、但し九月十八日は朔、十月二日は望。
深川及び小松川に於ては十月十九日大群游。但し十月十八日が朔。
羽田に於ては十一月十三日大群游、但し十一月十六日が朔に當る。即ち朔若しくは望の翌日に群游することが多かつた。
[やぶちゃん注:大正一四(一九二五)年の九月・十月・十一月の朔望は、私が文理あらゆる電子テクストでお世話になっているかわうそ@暦氏の「こよみのページ」の「月齢カレンダー」で確認されたいが、新田氏の記載は正確である。]