耳嚢 巻之九 ものもらい呪の事
ものもらい呪の事
眼ぶちに出來る腫物を、俗にもの貰ひといふ。是を直すに、障子につばを以(もつて)指にて穴を明(あ)け、右穴へ出來ものある目をおし付(つけ)、庭の方を見出し、右目のとまる所へ、三火(さんび)づゝ灸をすゆれば、其夜より快(こころよき)事奇妙の由、平田翁のかたり給ひし。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。なかなかモロ呪(まじな)いらしい民間療法呪(まじな)いシリーズの一つである。底本の鈴木氏注に、『三村翁曰く「ものもらひの咒、江戸には色々あり、知れる家へ行きて、結飯一ツ貰ひて軒下にて食す、又井戸のへりへ、味噌漉笊を半分出し、此腫物愈し給はゞ、皆見せ申すべしと井戸神様へ掛合ふ也、又紙捻を眼の寸法にきり、腫物のある処へあてがひ、墨にてしるしをつけ、そこへ灸をすえる。尚あるべし。」』とある。また、ネットを検索すると、患部の目の近くで糸を結び(患部に触れるという意味ではないので注意されたい)、それを水に流して捨てるという呪(まじな)いがあるというのが散見される。
これは「結(むす)びの呪(しゅ)」或いは「結び切り呪(しゅ)」と呼ばれる呪術で、病気や災厄を糸で結び、それを水に流すことによって疾患の身体との縁を切ろうとするものという解説が正統陰陽師第二十七代とする安倍成道氏のブログのこちらにあった。フレーザーの言う感染呪術の一種であろう。
・「ものもらい」眼瞼(目蓋)にある特殊な皮脂腺の一つであるマイボーム腺(Meibomian gland:目蓋の縁にあって目の涙液膜の蒸発を防ぎ、涙が頬にこぼれ落ちるのを防止したり、閉じた目蓋の内側を気密にする働きを持つ油性物質(皮脂)の供給を掌る。瞼板腺(けんばんせん:tarsal glands)とも称する。)やまつ毛の根元の脂腺に発生する細菌性の急性化膿性炎症である麦粒腫(ばくりゅうしゅ)のこと。マイボーム腺に生じた炎症を内麦粒腫、睫毛の根元に出来たものを外麦粒腫という。マイボーム腺の出口が詰って中に分泌物が溜まった非急性で細菌感染を伴わないものは区別して霰粒腫(さんりゅうしゅ)と称し、こちらは通常、痛みや掻痒感は伴わない。但し、これに感染を伴う場合もある(急性霰粒腫)。地方によってはこれらを総称して「物貰い」の他に「めばちこ」「めいぼ」などとも呼ぶ(以上は眼科医や各種ウィキの記載を参照した)。
・「平田翁」不詳。
■やぶちゃん現代語訳
ものもらいの呪(まじな)いの事
目蓋に出来る腫物を、俗に「もの貰い」という。
これを直すには、昼の内に、家の庭に面したる部屋の障子に唾を以って指で穴を空け、この穴へ出来物のある目を押し付け、そこから障子の外、庭の方を見通し、その視線の止まったる箇所(複数で構わぬ)をよく覚えおき、それよりすぐに庭に降り、その先ほど眼の止まった場所に、これ三度ずつ、灸を据えれば、これ、その夜より、まさに文字通り、瞬く間に快方へ向かうこと、これ、奇々妙々の由、平田翁の語られて御座った。