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2015/03/12

耳嚢 巻之十 賤夫狂歌の事

 賤夫狂歌の事

 

 文化申の夏の事とや、江都(かうと)好事(かうず)の者集(あつま)り、淺草柳橋の邊(へん)料理茶屋にて、狂歌の會をなせしが、いかにも鄙(いやし)むべき田舍人、旅宿の者連立(つれだつ)て來りしが、何の會にやと尋(たづね)し故、狂歌の會也、御身も詠み出たまへといひしに、狂歌はいかやうによむものにやと申(まうす)故、心に思ふ事、何成(なんなり)ともよみたまへと、少しあざみて人々申(まうし)ければ、しばし考へて、

  五右衞門が公家のかたちをするときは

と申出(まうしいで)、かきてたまはるべしと云(いひ)し故、つどひし者もあざみ笑ひて、下の句は何とやよみたまふといゝしに、

  雲ゐにまがふおきつしら浪

と讀(よみ)し故、始(はじめ)に笑ひし者も大いに恥(はぢ)、おそれけるとなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:一つ前の「油煙齋狂歌の事」で狂歌シリーズ直連関。

・「文化申の夏」文化九年壬申(みずのえさる)。西暦一八一二年。「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年六月であるから丁度二年前の比較的ホットな話柄。

・「淺草柳橋」岩波の長谷川氏注に、『神田川が隅田川に入る川口辺にかかる橋。またその周辺地。代表的な花街の一。台東区柳橋。中央区東日本橋』とある。ウィキの「柳橋」によれば、現行の柳橋は台東区の南東部に位置し、中央区(東日本橋)・墨田区(横網・両国)との区境に当たる。『江戸時代には奥州街道の旅館街として神田川対岸の両国(現在の東日本橋周辺)と共に、江戸最大の繁華街として繁栄を築き上げてきた』。現行でも『旧浅草区に属していたことから「浅草柳橋」と呼ばれている』。『地名の由来は神田川と隅田川の合流点近くに「柳橋」と称する橋があったことに因んだもの』とある。またウィキの「東日本橋」には、『現在の東日本橋にあたる区域は、江戸開府以来交通の要所として栄え、歓楽街であった。歴史的名所も数多く残る。明治時代までは薬研堀があり、その大川口には元柳橋が架けられていた。古典落語などに度々登場する伝統的な区域である』とある。またウィキの「柳橋(花街)」を見ると、『かつて東京都台東区柳橋に存在した花街』で、現在の台東区柳橋一丁目付近で、『新橋の花街が明治にできたのに対し、柳橋は江戸中期からある古い花街であ』たとあり、『柳橋に芸妓が登場するのは』まさにこの話柄の文化年間(一八〇四年~一八一七年)で、上田南畝の記録によると十四名が居住していた。天保一三(一八四二)年に『水野忠邦による改革で深川などの岡場所(非公認の花街、遊廓)から逃れてきた芸妓が移住し、花街が形成される。やがて洗練され江戸市中の商人や文化人の奥座敷となった。幸いにも交通便にも恵まれ隅田川沿いに位置していたため風光明媚の街として栄えてくるようにな』り、安政六(一八五九)年には芸妓は百四十名から百五十名に増加している。『明治期には新興の新橋と共に「柳新二橋」(りゅうしんにきょう)と称されるようになる。大学生にも人気の盛り場として賑わ』うこととなる。明治時代には、『柳橋芸者のほうが新橋より格上で、合同した場合は、新橋の者は柳橋より三寸下がって座り、柳橋の者が三味線を弾き始めないと弾けなかった』と記すが、昭和三九(一九六四)年の『東京オリンピック以後、衰退していき、特に隅田川の護岸改修(カミソリ堤防)で景色が遮断され、花街にとって大きな致命傷となった。それでも、花街は世間に迎合せずその伝統を守り通し』、平成一一(一九九九)年一月、最後の料亭「いな垣」が廃業、二百年近くの歴史に終止符が打たれた。『現在はマンションやビルが立ち並び、一部の場所で花街の痕跡が残っている』とある。

・「あざみて」元は自動詞「浅(あさ)む」で、意外なことに出遇って驚きあきれる、の謂いであったが、近世以後、濁音化して「あざむ」となると、一部が他動詞化して、侮る・低く評価するの意を持つようになった。

・「五右衞門が公家のかたちをするときは」「五右衞門」は言わずと知れた石川五右衛門(? ~文禄三(一五九四)年)。ウィキの「石川五右衛門」をリンクさせておく。彼を公家の姿に見立てたら、これ、何と解く? といった下句を「その心は」という、ありがちな謎解き型の狂歌である。

・「雲ゐにまがふおきつしら浪」岩波の注で長谷川氏は、『沖の白波を雲と見まごうと盗賊(白浪)を』「雲ゐ」(雲井)、雲上人(殿上人)と『見まごう』と釈されておられる。「しら浪」は盗賊の意で、中国で黄巾(こうきん)の賊張角の残党が西河の白波谷に籠り、白波(はくは)賊と呼ばれたが、その訓読から盗賊のことを指す語となった(なお、歌舞伎に於ける盗賊を主人公とした一連の世話物の通称である「白浪物」というのは本話柄よりも後の二代目河竹新七作の「都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)」(安政元(一八五四)年上演)以降の語である)。これは考えてみると、五右衛門が処刑される前に詠んだとされる「石川や濱の眞砂は盡くるとも世に盗人の種は盡くまじ」という辞世の一首をも射程に入れているように思われる。隠れた「濱」或いは「眞砂」(まさご)が「沖つ」「白波」と縁語となるように仕組まれていると私には思われるからである。そう考えると、この

  五右衞門が公家のかたちをするときは雲ゐにまがふおきつしら浪

の一首、「濱」「眞砂」「雲ゐ」「沖つ白波」と公家の白塗りの化粧を連想させる白の配色が徹底的に計算し尽くされていることも分かるように思うのである。さればこそ、諸人も舌を巻いたのではなかろうか? 和歌嫌いの私乍ら、蛇足として附記しおく。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 賤夫の狂歌の事

 

 文化申の年の夏のこととか申す。

 江戸の好事家(こうずか)の者が集まり、浅草柳橋の辺りの料理茶屋にて、狂歌の会を催した。

 その店に、これ、如何にも賤しい感じの田舎者が、旅宿の者を連れだって立ち寄って御座ったが、

「……これは何の会でごんす?……」

と訊ねたによって、

「これは狂歌の会にて御座る。よろしければ一つ、御身もお詠みなされよ。」

と酔狂に水を向けたところが、

「……狂歌ちゅうもんは……これ、どげな風に……詠むもんでごんすか?……」

と申したれば、

「……はぁ?」

「いやいや!……それはもう、心に思うこと、なんなりとも、これ、詠みなさればよろしいのじゃ。」

「おうさ! どうぞ! どうぞ! 遠慮なさらず、お詠みになられよ!」

と、座の者ども皆、内心、

『……狂歌も知らん田舎者じゃて。……』

と、これ、少し侮って慫慂致いた。

 するとその男、しばし考えて、

 

  五右衛門が公家のかたちをするときは

 

と、上の句を詠んだ上、

「……すまんけんど、そこんとこにある、短冊に、まんず、書いては下さらんかのぅ。……」

と乞うたによって、集うて御座った者ども、

「……とんだカモの舞い込んで参ったわ。……」

なんどと陰口を叩いては、嘲り笑いつつも、神妙な顔をして、水茎を執り、かの句を認(したた)めた上、

「――さても。その下の句は? これ、何とや、詠まるる?」

と、如何にも意地悪くにやついて問うたところが、かの男、

 

  雲ゐにまがふおきつしら浪

 

と続けて詠んだ。……

 ……されば、初めに笑(わろ)うておった者どももこれ、大いに恥じ入り、畏れ入って、思わず居住まいを正した――とのことで御座る。

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