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2015/03/09

耳嚢 巻之十 狼を取る奇法の事

 狼を取る奇法の事

 

 文化未の年在方より、狼の子見世ものに成(な)すとて、八王子邊の者江戸へ曳來(ひききた)りしを心ある町長(まちをさ)の者、かゝる猛獸は後の害も候間、江戸内に差置(さしおく)儀無用の旨、制し候故、早速在方へ連歸(つれかへ)り候由。然る處四ツ谷麹町邊にて、小犬等を喰殺(くひころす)もの有之(これある)儀を、右の狼の子のなす業(わざ)と巷説ありし故、よくよく聞糺(ききただ)させし候處、右犬の子を喰殺したるは病犬(やまひいぬ)の由、人など狼の怪我(けが)爲致(いたさせ)候事は曾て無之(これなき)由、上向(うへむき)より御尋(おたづね)の節も御答(おんこたへ)におよび候。夫(それ)に付(つき)、狼をとる甚(はなはだ)奇法、若(もし)巷説のごとくならば其樣を施し可然(しかるべき)由。狼は至(いたつ)て生鹽(なまじほ)を好むもの故、生鹽の中へまちんを隱し入(いれ)て、其狼の徘徊する所に置(おか)ば、好み候品故、喰之(これをくひ)て其命をおとし、不死(しなず)候へ共(ども)手取(てどり)にも成(なる)由、人の咄しける。峯岡(みねおか)小金(こがね)抔にて、馬の防(ふせぎ)に用ひ候由をも聞(きき)しが、ある醫師の神奈川邊の者に聞し由、狼は鹽水を好(このみ)、折節里方へ出候由聞しと云々。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。博物学的動物誌。

「狼」食肉(ネコ)目イヌ科イヌ属タイリクオオカミCanis hodophilax 亜種ニホンオオカミCanis lupus hodophilax 。既注であるが以下、ウィキの「ニホンオオカミ」よりの一部引用を再掲する(アラビア数字を漢数字に代え、記号や改行の一部を変更・省略した)。『日本の本州、四国、九州に生息していたオオカミの一亜種。あるいは Canis 属の hodophilax 種』。『一九〇五年(明治三八年)一月二十三日に、奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された若いオス(後に標本となり現存する)が確実な最後の生息情報、とされる。二〇〇三年に「一九一〇年(明治四三年)八月に福井城址にあった農業試験場(松平試農場。松平康荘参照)にて撲殺されたイヌ科動物がニホンオオカミであった」との論文が発表された。だが、この福井の個体は標本が現存していない(福井空襲により焼失。写真のみ現存。)ため、最後の例と認定するには学術的には不確実である。二〇一二年四月に、一九一〇年に群馬県高崎市でオオカミ狩猟の可能性のある雑誌記事(一九一〇年三月二十日発行狩猟雑誌『猟友』)が発見された。環境省のレッドリストでは、「過去五十年間生存の確認がなされない場合、その種は絶滅した」とされるため、ニホンオオカミは絶滅種となっている』。特徴は『体長九十五~百十四センチメートル、尾長約三十センチメートル、肩高約五十五センチメートル、体重推定十五キログラムが定説となっている(剥製より)。他の地域のオオカミよりも小さく中型日本犬ほどだが、中型日本犬より脚は長く脚力も強かったと言われている。尾は背側に湾曲し、先が丸まっている。吻は短く、日本犬のような段はない。耳が短いのも特徴の一つ。周囲の環境に溶け込みやすいよう、夏と冬で毛色が変化した』。『ニホンオオカミは、同じく絶滅種である北海道に生育していたエゾオオカミとは、別亜種であるとして区別される。エゾオオカミは大陸のハイイロオオカミの別亜種とされているが、ニホンオオカミをハイイロオオカミの亜種とするか別種にするかは意見が分かれており、別亜種説が多数派であるものの定説にはなっていない』とある。また、『「ニホンオオカミ」という呼び名は、明治になって現れたものである。日本では古来から、ヤマイヌ(豺、山犬)、オオカミ(狼)と呼ばれるイヌ科の野生動物がいるとされていて、説話や絵画などに登場している。これらは、同じものとされることもあったが、江戸時代ごろから、別であると明記された文献も現れた。ヤマイヌは小さくオオカミは大きい、オオカミは信仰の対象となったがヤマイヌはならなかった、などの違いがあった。このことについては、下記の通りいくつかの説がある。

 

・ヤマイヌとオオカミは同種(同亜種)である。

・ヤマイヌとオオカミは別種(別亜種)である。 ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミは未記載である。

・ニホンオオカミはオオカミであり、未記載である。Canis lupus hodophilax はヤマイヌなので、ニホンオオカミではない。

・ニホンオオカミはオオカミであり、Canis lupus hodophilax は本当はオオカミだが、誤ってヤマイヌと記録された。真のヤマイヌは未記載である。

・ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミはニホンオオカミとイエイヌの雑種である。

・ニホンオオカミはヤマイヌであり、オオカミは想像上の動物である。

 

シーボルトはオオカミとヤマイヌの両方を飼育していた。現在は、ヤマイヌとオオカミは同種とする説が有力である。なお、中国での漢字本来の意味では、豺はドール(アカオオカミ)、狼はタイリクオオカミで、混同されることはなかった。現代では、「ヤマイヌ」は次の意味で使われることもある。

 ヤマイヌが絶滅してしまうと、本来の意味が忘れ去られ、主に野犬を指す呼称として使用される様になった。

 英語の wild dog の訳語として使われる。wild dog は、イエイヌ以外のイヌ亜科全般を指す(オオカミ類は除外することもある)。「ヤマネコ( wild cat )」でイエネコ以外の小型ネコ科全般を指すのと類似の語法である』とある(私の後の「病犬」の注も参照されたい)。次に「生態」の項。『生態は絶滅前の正確な資料がなく、ほとんど分かっていない。薄明薄暮性で、北海道に生息していたエゾオオカミと違って大規模な群れを作らず、二、三~十頭程度の群れで行動した。主にニホンジカを獲物としていたが、人里に出現し飼い犬や馬を襲うこともあった(特に馬の生産が盛んであった盛岡では被害が多かった)。遠吠えをする習性があり、近距離でなら障子などが震えるほどの声だったといわれる。山峰に広がるススキの原などにある岩穴を巣とし、そこで三頭ほどの子を産んだ。自らのテリトリーに入った人間の後ろをついて来る(監視する)習性があったとされ、いわゆる「送りオオカミ」の由来となり、また hodophilax (道を守る者)という亜種名の元となった。一説にはヤマイヌの他にオオカメ(オオカミの訛り)と呼ばれる痩身で長毛のタイプもいたようである。シーボルトは両方飼育していたが、オオカメとヤマイヌの頭骨はほぼ同様であり、テミンクはオオカメはヤマイヌと家犬の雑種と判断した。オオカメが亜種であった可能性も否定出来ないが今となっては不明である。「和漢三才図会」には、「狼、人の屍を見れば、必ずその上を跳び越し、これに尿して、後にこれを食う」と記述されている』。「人間との関係」の項。『日本の狼に関する記録を集成した平岩米吉の著作によると、狼が山間のみならず家屋にも侵入して人を襲った記録が頻々と現れる。また北越地方の生活史を記した北越雪譜や、富山・飛騨地方の古文書にも狼害について具体的な記述が現れている。奥多摩の武蔵御嶽神社や秩父の三峯神社を中心とする中部・関東山間部など日本では魔除けや憑き物落とし、獣害除けなどの霊験をもつ狼信仰が存在する。各地の神社に祭られている犬神や大口の真神(おおくちのまかみ、または、おおぐちのまがみ)についてもニホンオオカミであるとされる。これは、山間部を中心とする農村では日常的な獣害が存在し、食害を引き起こす野生動物を食べるオオカミが神聖視されたことに由来する。『遠野物語』の記述には、「字山口・字本宿では、山峰様を祀り、終わると衣川へ送って行かなければならず、これを怠って送り届けなかった家は、馬が一夜の内にことごとく狼に食い殺されることがあった」と伝えられており、神に使わされて祟る役割が見られる』。最後に「絶滅の原因」の項。『ニホンオオカミ絶滅の原因については確定していないが、おおむね狂犬病やジステンパー(明治後には西洋犬の導入に伴い流行)など家畜伝染病と人為的な駆除、開発による餌資源の減少や生息地の分断などの要因が複合したものであると考えられている。江戸時代の一七三二年(享保一七年)ごろにはニホンオオカミの間で狂犬病が流行しており、オオカミによる襲撃の増加が駆除に拍車をかけていたと考えられている。また、日本では山間部を中心に狼信仰が存在し、魔除けや憑き物落としの加持祈祷にオオカミ頭骨などの遺骸が用いられている。江戸後期から明治初期には狼信仰が流行した時期にあたり、狼遺骸の需要も捕殺に拍車をかけた要因のひとつであると考えられている。なお、一八九二年の六月まで上野動物園でニホンオオカミを飼育していたという記録があるが写真は残されていない。当時は、その後十年ほどで絶滅するとは考えられていなかった』とある。

・「四五町」約四三六~五四五メートルほど。

・「渡り狼」定住せず、野山を渡り歩く狼。

・「文化未」文化八(一八一一)年辛未(かのとひつじ)。「卷之十」の記載の推定下限は文化一一年六月。

・「町長」町名主のことであろう。町の支配に当たった町役人で地域により町年寄・町代・肝煎(きもいり)などとも称した。江戸では町年寄の下に数町から十数町に一人の町名主が置かれていた。

・「四ツ谷麹町」現在の四谷一丁目(旧の尾張町・麹町十一丁目・麹町十二丁目・伝馬町一丁目・仲町一丁目)と二丁目(旧の麹町十三丁目・伝馬町新一丁目・伝馬町二丁目)及び東京都千代田区麹町(新宿区四谷に接する)一帯。

・「病犬」狂犬。これは狭義の狂犬病に罹患した犬に限定した謂いとも、狂犬病罹患に関係なく誰彼構わず嚙みつく犬の謂いもとれるが。江戸時代の狂犬病について詳述された大阪府獣医師会の公式サイト内の「日本の狂犬病の歴史」によれば、日本で狂犬病の流行が記録されているのは十八世紀以降で、『八代将軍徳川吉宗が支配した享保年間には狂犬病の大流行がみられ、イヌ、ウマ、キツネ、タヌキなどが多数犠牲になったことが記されているという』とあり、『江戸時代後期における狂犬病の実態は明らかではないが、十代将軍家治の要請で編纂された救急治療法集である『広恵済急方』(1788年完成)には「常犬に咬たるは(つねのいぬにかまれたるは)」、「やまひ狗に噛たるは(やまひいぬにかまれたるは)」と、健丈なイヌに咬まれた場合とやまい狗(たぶん狂犬病のイヌ)に咬まれた場合を別項目で扱って治療法が述べられていることから。少なくとも狂犬病発生がまれではなかったことが推測できる』とあるから、ここで根岸がわざわざ「病犬」と記しているところからは、これは真正の狂犬、狂犬病の犬であった可能性が高いか。なお、岩波版では長谷川氏は『やまいぬ』とルビされておられる。実際、「病犬」はそのようにも読まれるが、これは前の「狼」の注で示した、「ヤマイヌ」(豺・山犬)に引かれた読みの様に私には思われ、それと区別するためにも、ここでは私は上記引用の『やまひ狗』に基づいて「やまひぬ」と訓じておいた。

・「狼は至て生鹽を好む」これはオオカミに限った現象ではない。チンパンジーや家畜のウシやウマなども塩を好む。というよりも、人にとってそうであるように動物には塩(塩化ナトリウム)が必須で、寧ろ、肉食動物であるオオカミは獲物から塩を補給することが出来るが、植物には塩が殆んど含まれていないため、寧ろ、草食動物の方が塩を好むと言えよう(詳しくは橋本壽夫氏の塩学のサイトの動物飼育と塩の役割を是非、お読み戴きたい)。なお、古伝承では、妖怪図鑑を手掛けておられる tera 氏のブログ「移転跡地」の香川県仲多度郡琴南町に伝わる妖怪小便み」の解説に、『炭焼き小屋では簡易便所として設置した桶に小便をしますが、小便飲みは真夜中にこの小便を飲みに来るといいます。そのため小便桶の中身が空っぽになってしまうのだといいます』。『この妖怪の正体は狼であるとも考えられていました』。『狼は塩を好むとされ、各地に狼と塩に関する伝承が残されています』。『狼あるいは送り狼が塩気を求めて小便を飲むという話も多数確認されており、これを避けるために便所を屋内か中庭に作る、先手を打って予め塩を与えておくなどの対策が伝わる地域もあります』。『奈良県吉野郡十津川村などでは、小便を飲んだ狼は人を襲うとされました。愛媛県石鎚山地方では、狼は小便樽の底を抜いておいても樽を舐めに来るといい、和歌山県日高郡では人の小便を飲むと狼の病が治るといわれました。南部川村では病の狼が小便を飲みに来るようになったとき、祇園さんを祀って拝んでもらったところ来なくなったといいます』とあり、また平凡社の「世界大百科事典」の「オオカミ(狼)」の項には(数字・記号の一部を変更した)、『各地の伝承にも足のとげやのどの骨を抜いてやったところ、その礼としてシカの片脚を庭においていったとか山道での群狼の追求から守ってくれたと語るものがある。東北地方の一部や四国・九州では、オイヌまたはヤマノイヌは田畑を荒らす猪鹿(ちよろく)を追い、狩人にとらせてくれる益獣という考え方をしていた土地も少なくなく、草三本あれば身を隠すなどといった超能力をもつとも信じられた。山中で猪鹿がものに追われたように飛び出してきて、狩人に撃ちとられたりすると、これをオイヌがとらせてくれたとしてその肉の幾切れかを木に刺しておいてきたり、オオカミがたおしたらしい新しいシカの死体などは黙ってとってくると、あとからオオカミがついてきてあだをするといって、必ずオオカミの好む塩をひとつかみ代りに置いてくる習わしもあった』というオオカミとヒトの文化史を記す(下線やぶちゃん)。

・「まちん」リンドウ目マチン科マチン属マチン Strychnos nux-vomica ウィキマチンより引く(アラビア数字を漢数字に代え、一部の記号を変更した)。『アルカロイドのストリキニーネを含む有毒植物及び薬用植物として知られる。種小名(ヌックス―フォミカ)から、ホミカともいう』。『インド原産と言われ、インドやスリランカ、東南アジアやオーストラリア北部などに成育する。高さは十五メートルから三十メートル以上になる。冬に白い花を付け、直径六~十三センチメートルの橙色の果実を実らせる。果実の中には数個の平らな灰色の種子がある。マチンの学名(Strychnos nux-vomica)は、一六三七年にマチンがヨーロッパにもたらされたとき、カール・フォン・リンネにより命名された。種小名の“nux-vomica”は「嘔吐を起こさせる木の実」という意味だが、マチンの種子には催嘔吐作用は無いとされている』。『マチンの毒の主成分はストリキニーネ及びブルシンで、種子一個でヒトの致死量に達する。同じマチン属の S. ignatia の種子(イグナチア子、呂宋果(るそんか))にもストリキニーネ及びブルシンが含まれる。こちらはフィリピン原産。マチン科には他に、ゲルセミウム属(代表種はカロライナジャスミン)などがある』。『漢方では生薬としてマチンの種子を馬銭子(まちんし)、蕃木鼈子(ばんぼくべつし、蕃は草冠に番)、またはホミカ子と称し苦味健胃薬として用いられる。インドでは、木部を熱病、消化不良の薬に用いる。日本薬局方では、ホミカの名で収録されている。ただし、前述の通りマチンは有毒であり素人による処方は慎むべきである』とある。因みに、岩波の長谷川氏注では、本種を『フジウツギ科の常緑喬木』とするが、ウィキのチン科」によれば、『マチン科はかつてはフジウツギ科(Buddlejaceae)と一緒にされていた(学名は Loganiaceae、和名はフジウツギ科だった)が、分離された。アイナエ属は分離当初はフジウツギ科とされていた。現在でも文献に混乱が見られ』、二つの科は系統的にはかなり異なるとされている、とある。

・「峯岡小金」底本の鈴木氏注に、『峯岡・小金とも、牧場なり、峯岡は安房国、もとの長狭郡、小金は下総東葛飾郡なり。(三村翁)嶺岡牧場は安房部長狭町』とある。現在の千葉県安房郡嶺岡は日本酪農発祥の地とされ、古くは馬の放牧地として戦国時代(千五百年代)に国守里見氏が軍馬を育てる目的で「嶺岡牧(みねおかまき)」を創った。その後江戸幕府が嶺岡牧場を直轄とし、第八代将軍吉宗は馬の改良に力を入れ、外国産の馬を輸入、その際に印度の白牛三頭がここに入ってきたと、牧場施設千葉県酪農のさとにある。ウィキも参照されたい。それによれば、当時の長狭郡・朝夷郡・平郡の三つの郡に跨った嶺岡山地一帯に周囲十七里、反別千七百六十町余りに及ぶ広大な牧であったとある。現在の千葉県鴨川市・南房総市の一部にあたる。また、小金は「小金牧(こがねまき)」と称して、江戸幕府が現在の千葉県北西部の北総台地に軍馬育成のために設置した、やはり広大な放牧場であった。ウィキ小金が非常に詳しい。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 狼を生け捕る奇法の事

 

 文化未(ひつじ)の年、在方より、狼の子を見世物になしたとて、八王子辺りの者が江戸へ、この狼の子を繩を附けて曳き来ったを、心ある町名主の者、

「――かくなる猛獣は、もし逃げ出だいて、成長なしたりしたとなれば、これ、大きなる害の元凶ともなるによって、江戸御府内にさし置く儀は、これ、罷りならぬ。――」

との旨、諭し制したによって、早速、在方へと連れ帰った、とのことで御座った。

 ところが、ちょうどその頃、四ッ谷・麹町辺りにて、小犬なんどを喰い殺す怪しき獣のあるとの専らの噂、それをまた、

「――かの狼の子、実は八王子に戻さず、面倒になって途中にて繩を解いて、追い放ちやったんじゃ。されば、これも、その狼の子の成せる業(わざ)じゃて。――」

という巷説のあったによって、私の部下の者を四ッ谷・麹町辺に遣わし、よくよく聞き糺させてみたところが、この、犬の子を喰い殺したものと申すは、これ、病い犬であったことが判明致いた、とのことで御座った。

 その報告には、そもそもが、狼が人なんどに噛みついて怪我させた、などと申す例(ためし)は、これ、かつて一度も聴いたことがない、とも言い添えられて御座った。

 お上(かみ)の筋より、狼の害なるものに就き、御不審のあられ、御尋ねのあられた折りにも、私から、かように御答え申し上げて御座った。

 さて、この一件に関わって、狼を捕獲する非常に変わった奇法のあり、もし巷説の如く、件(くだん)の子犬の噛み殺されたと申すこと、これ、狼の仕業であったとならば、以下のように罠を仕掛けて捕まえるがよろしい、との話のあったによって、以下に記しおくことと致す。

 狼は至って生塩(まなじお)を好む性質(たち)ゆえ、生塩の中へ、馬銭子(まちんし)を砕いたものを隠し入れて、その狼の徘徊致す場所に置いておけば、大好物なる品なればこそ、これを貪り食いて、その命をおとし、或いは死ななんだとしても、暴れることものぅ難なく素手にて捕獲することの出来ると、とある者の話して御座ったと申す。

 峯岡牧(みねおかまき)や小金牧(こがねまき)などにては、飼育しておる馬が狼に襲わるるを防ぐため、この罠を用いておる、と聴き及んでおる。

 因みに、狼は塩水を好み、里方へ潮水を舐めんがため、しばしば出没致すと聴いて御座ると、とある医師が神奈川辺(へん)の者より聴き及んだ、とも述べて御座った。

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