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2015/03/21

耳嚢 巻之十 豪傑怪獸を伏する事

 豪傑怪獸を伏する事

 

 名も聞(きき)しが忘れたり。去る下屋敷の稻荷の狐なる由、下屋敷守(しもやしきもり)の家來へ、別貮人扶持給(たまは)り、毎朝右家敷守食事をこしらへ片木(へぎ)にのせて右稻荷の脇へ差置(さしおけ)ば、いづ方よりか出て喰盡(くらひつく)しける事なりしが、然るに右家敷守替りて、新敷(あたらしき)屋敷守になり、新家敷守は豪傑なるものにて、主人より扶持まで賜(たまは)る事なれば、稻荷の供御(くご)、又は社頭の修復入用(いりよう)には可致(いたすべし)、聊(いささか)私(わたくし)の用にはたてんにはあらず、何ぞや、畜類に食を與ふるに、折敷(をしき)を淸め與ふるなど沙汰の限りなりとて、飯を地上にをきて片木(へぎ)などいさゝか不用(もちゐざ)りしが、喰殘(くらひのこ)し、又はくわざる事もありし故、前々にはかくかくなりと申(まうす)人もありしが、食(しよく)す食さぬ迄の事とて地上に置(おき)あたへけるが、上屋敷に居(をり)ける彼(かの)もの兄弟の女とやらの夢に一疋の狐來りて、御身の弟なる者、前々より片木(へぎ)にてあたへし飯を、砂の上へ直(ぢか)にこぼし置(おく)故、砂交りて甚(はなはだ)難儀なり、片木(へぎ)に不及(およばず)、古膳古椀、あるいは板の上へ成共(なりとも)、置(おき)たまはる樣に傳へたまはるべしと賴(たのみ)ける故、それは何故(なにゆへ)直(す)ぐに不申(まうさざる)哉(や)、我(われ)申しても誠(まこと)になすまじきと、夢心に答へければ、かく豪氣(がうき)のおの子なれば、我れ等(ら)など夢にも難立寄(たちよりがたし)と申(まうし)ける故、翌の日申遣(まうしつかは)し、強(しい)て賴み、それよりは、いかやうの物にのせてあたへても給盡(たべつく)し、夫(それ)迄は火のあしきもの抔のあたへしとて祟り事などありしが、其後は絶へてなかりしとなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:怪異譚で連関。登場するのが怪物――モンストロム――怪しき獣(けだもの)という点でも強く連関している。

・「貮人扶持」以前に注したが、「扶持」は扶持米のことで、蔵米や現金の他に与えられた一種の家来人数も加えられた家族手当のようなものであって、一人扶持は一日当たり男は五合、女は三合換算で毎月支給された。ここは、屋敷守をしている家来の主人(「下屋敷」とあるからこの武士は藩の家士と思われる)で、その主は今一人、自身の妻か下人を持っていたということであろう(扶持米は特別手当であって家禄(先祖の功により家に対して供された俸禄)・職禄(与えられた職務を遂行するに家禄の不足を補うために供された加算給与がまずあるので注意。しばしば参考にさせて戴いている清正氏のサイト「武士(もののふ)の時代」の「武士の給料」を参照のこと)。或いは、この新旧二人の屋敷守がその「貮人扶持」の二人であったのかも知れない。

・「片木」本来はへぎ板、檜・杉などの材を薄く削いで割った板を指すが、この本文ではこれを以下に出る「折敷」(注を必ず参照されたい)と同義語として用いている。

・「折敷」実は底本は「新敷」となっている。「あたらしき」と読んで全く意味が通じないでもないが、どうも不自然である。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版を見てみると、ここは『折敷』で、これなら如何にもしっくりと来る。書写の誤りと断じて例外的に訂した。「折敷」は析(へぎ。前注の「片木」の原義。)を折り曲げて縁とした角盆又は隅切り盆のこと。足を付けたものもあり、神饌の供えや通常の食膳としても用いた。

・「供御」「ぐご」「くぎょ」「ぐぎょ」とも読む。原義は天皇の飲食物であるが、後に上皇・皇后・皇子の飲食物をいう語となり、武家時代には将軍の飲食物から広く貴人の神饌の食事をも指すようになり、飯(めし)を指す女房詞ともなった。

・「砂の上へ直にこぼし置」実は底本は「こぼし置」が「ひぼし置」となっている。「ひぼし」は「陽干し」と読めなくはないが、如何にも不自然で、直後と意味が通じない。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版を見てみると、ここは『こぼし置』で、これなら如何にもしっくりと来る。書写の誤りと断じてこれも例外的に訂した。

・「火のあしきもの」底本の鈴木氏注に、『死の忌、産の忌などがかかっている者。けがれにより神を祭る資格のない者である』とある。所謂、血の穢れと同義である(岩波の長谷川氏注ではこれらに加えて『また月経中の女など』と附言しておられる)。実は民俗社会では、火は神聖であると同時に穢れやすいものと考えられており、そこから穢れは火によって感染するものとされ、穢れの伝播のシンボルともなった(その点では「血」と通底する)。ここでの「火」もそうした「穢れ」の象徴表現であって実際の火を指しているのではないので注意されたい。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 豪傑には怪しき獣(けもの)も伏するという事

 

 名も聞いたが、忘れてしまった。

 さる下屋敷の稲荷の狐の話であるという。

 その下屋敷の屋敷守(やしきもり)をしておる家来――その藩士たる主人は、これ、別に二人扶持(ににんぶち)を給わっていた――があった。

 この家敷守の毎朝の勤めの一つに、食事を拵え、折敷(おしき)に載せ、その屋敷内にある稲荷の脇へ差し置くことであった。

 そうしておくと、何処(いずく)よりか、狐の出でて参り、これを喰らい尽くすを常としていた。

 しかるに、この家敷守が交替となって、新しい屋敷守となり、その新しい男、これがまた、なかなかの豪傑であった。

 されば、さても前の者より引き受けた、その翌日のこと、

「……いみじくも御主人さまより我ら、扶持まで給わってなしおる仕事。……稲荷に捧げ奉るところの、これ、正しき供物の供御(くご)、或いは社頭の修復や修繕に入り用のものなればこそ、かくは念を入れて致すべけれど――いや。いささかも私(わたくし)の用として倹約なし、小金(こがね)を貯えんとする、小さき料簡からの謂いにては、これ、ない。が、それにしてもじゃ……何が、これ、畜生の類いに食い物を与えんに、折敷なんどを清めて与えねばならという法、これ、あろうかい! このような下らぬ心遣い、これ、以ての外! 言語道断じゃッツ!」

と、炊いた飯(めし)を地面に直かに置き、折敷などは、これ、一切、用いずに供するように変えた。

 すると、飯は食い残されたり、或いは、全く手がつけられぬまま、まるまる残るようにさえなった。

 たまたま、それを見た昔から下屋敷に出入りする町方の者の中には、これ、心配して、

「……以前は、折敷に載せて出されて御座ってのぅ。……このようなことは、とんと御座いませなんだが。……ここの、お狐さまは何ですが、これ、祟ると評判のあれで御座んしてのぅ……」

などと、忠告致す者もあったが、屋敷守は、

「――食(しょく)さぬとなれば、食さぬまでのこと。――我らの知ったことでは御座らぬ。」

と、ぴしゃりと申し、そのまま、飯はこれ、ずっと地面の上に置き続けた。

   *

 さてここに、この藩の上屋敷の方(かた)に、実は、この下屋敷守の姉に当たる者が勤めて御座ったが、その女のある日の夜(よ)の夢に、これ、一疋の狐が来った。

 そうして、

「……御身ノ弟ナル者……前々ヨリ折敷ニテ与エクレタル飯ヲ……コレ……砂ノ上ヘ直カニコボシテ置クユエ……飯粒ニ……コレ……砂粒ノ交ッテノゥ……ハナハダ難儀致イテオル……サレバソナタヨリ……新シキ折敷ナンドハ用イルニハ及バヌニヨッテ……ソウサ……古キ壊レタル膳ニテモ……欠ケタル古椀ニテモ……イヤイヤ……或イハ板ノ上ニテモ宜シュウ御座ルニヨッテ……ナンナリトモ……ソノ……何カノ上ヘ飯ヲ置イテ供シ下サルヨウ……コレ……ソナタヨリ……宜シュウニ……オ伝エ給ワランコトヲ……コレ……切ニ相イ願イ上ゲ奉リマスル……ドウカ……一ツ……」

と、これまた妙に、妖狐のくせに、下手(したて)に出て頻りに頼むのである。

 されば、この姉なる女も妖狐という恐ろしさよりも、その態度の不審なるの気になって、

「……その儀ならば、なにゆえに我が弟に直かに申さぬのじゃ?……我れらが弟にかく伝えたとしても、これ、本気には致さぬと思うぞぇ?」

と夢心地に反問したところが、

「……メ……メ……メ……滅相モナイ……アノヨウナル……剛毅ノオノ子ナレバ……我レラナド……コレ……夢ニモ……立チ寄リ難キコトニテ……御座ル……」

申した――と思うた――ところで、目が醒めた。

 さても翌日、夜の明くるを待ちかね、下屋敷の弟が許へ姉自ら訪ねて、かくかくの夢告のあった旨、伝えたが、

 折しも、例の狐への供物の飯を炊いておった弟は、

「……そんな馬鹿な!……」

と取り合わなかったものの、姉がしいて、さらに懇請致いたところ、彼もまた、妖狐の、己れがことを――剛毅ノオノ子――と賞したことに気をよくしたものか……その日より、それなりの物の上に載せて飯を供するように致いたところ、その日よりはずっと、供すれば必ず、きれいに残らず食べ尽くされるようになったと申す。

 それどころか、風聞によれば、この狐、かつては、その下屋敷に関わる者の夢枕なんどに、

――……火ノ悪シキ不浄ノモノナンド……コレ……与エタナァ!……――

と、恨み言を垂れては、何やらん、祟るようなることもあったと申すが、これ以来、そうしたことはこれ、一切、絶えてなくなった、ということで御座る。

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