耳嚢 巻之十 犬に性心有事
犬に性心有事
牛込榎町(えのきちやう)栃木五郎左衞門組御先手與力矢野市左衞門祖父、隱居にて三無と稱し、文化十酉年、行年(かうねん)八拾九才にて健成(すこやかなる)老人の由。常に食事なす時に、飼犬(かひいぬ)と申(まうす)にも無之(これなく)候得共、暫(しばらく)右三無が屋敷へ來ける故、朝夕右犬にも食事を與へけるが、卯月の比(ころ)、三無いたわる事ありて二三日打(うち)ふしけれど、食事の節犬來ればわけあたへけるが、或日三無彼(かの)犬に向ひ、なんぢたへず食事の節は來る故、則(すなはち)食を與へぬれど、我等無程(ほどなく)煩(わずらは)しきが極老(きよくらう)なれば死(しな)ん事も計(はかり)がたし、我(われ)死なば汝に食事を是迄の通り與ふる事も覺束なし、此上は外に憐む心ある家へ便り候へかしと申諭(まうしさと)しけるが、不思議なるかな、其明けの日よりいづちへ行(ゆき)けん、右犬たへて來らざりしとなり。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。動物綺譚。
・「性心」人の心に比すべき、高度な心情といったニュアンスの謂いであろう。いや!これ、「趙州狗子」か!?(リンク先は私の「無門關 全 淵藪野狐禪師訳注版」の当該章ブログ版。猛毒注意!)
・「牛込榎町」現在、東京都新宿区榎町(えのきちょう)として名が残る。地下鉄牛込天神町の西直近。
・「栃木五郎左衞門」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『朽木(くつき)五郎左衞門』とあり、長谷川氏は『徳綱(のりつな)。寛政七年(一七九五)御小性組頭、文化三年(一八〇六)御先手鉄炮頭』と注されておられる。これは底本の書写の誤りであろう。訳は「朽木」で採った。
・「文化十酉年、行年八拾九才」西暦一八一三年であるから、生年は享保一〇(一七二五)年である。因みに「卷之十」の記載の推定下限は翌文化十一年六月で、根岸は元文二(一七三七)年生まれである。「行年」の「行」は「経(ふ)る」「経歴」で、これまで生きてきた年数を言う。現行では亡くなった年齢を指すが、原義からはこうした用い方も誤りではない。
・「卯月」文化十年四月。同年同月はグレゴリオ暦で五月一日から五月二十九日まで。
・「便り」底本には「便」の右に『(賴)』と訂正注する。
■やぶちゃん現代語訳
犬にも相応の仏性のあるという事
牛込榎町(えのきちょう)朽木(くつき)五郎左衛門殿の組の御先手与力を勤めた矢野市左衛門殿の祖父は、隠居されて「三無」と称し、文化十年酉年、八十九歳にていまだ矍鑠(かくしゃく)となさっておらるる老人の由。
いつも食事をせんとする折りから、これ、飼い犬と申すわけでもない、まあ、所謂、野良犬が、その三無殿の御屋敷へと、ふらりと参るを、これ、常と致いて御座ったによって、朝夕、この犬にも三無殿、手ずから、食事を分け与えておられた申す。
ところが、今年の卯月の頃おい、三無殿、これ少しばかり、病いを患(わずろ)うことのあって、二、三日の間、うち臥しておられたと申す。
その間もこれ、食事の折りになると、やはり、かの犬が参るによって、いつものように餌を与えて御座ったが、三日目の暮れ方のこと、三無殿、この犬に餌を与えながら、
「……汝は、これ、食事の折り折りにきっと来たるによって、拙者も則ち、糧食を与えて参ったが……我ら、見ての通り……ほどのぅこれ……お迎えも参りそうな……病い勝ちなるところの……年も取るに取ったる老いぼれなればの……いつ何時、これ、死なんとも限らぬ。……我らの死なば、汝に食事をこれまでのように与うると申すことは、これ、出来ぬ相談じゃての。……この上は……そうさ、どこぞ外に……汝を憐んで呉るる心ある家を捜し……これに頼って参るといったような方途をも……これ、捜さねばなるまいて。……」
と、とくと冗談交じりに語り諭したと申す。
……すると……不思議なるかな……その明けの日より……この犬、何処(いずこ)へ参ったものか……絶えて来ずなった……と申す。……