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2015/03/21

耳嚢 巻之十 怪窓の事

 怪窓の事

 

 中川家領□州の城下に候哉(や)、又其家中長屋に候哉、崇り有(あり)とて、右窓の處、圍(かこ)いたし置(おき)候處、文化九年七月の頃の由、右邊(あたり)修復有し節、作事方(さくじがた)勤(つとめ)ける役人、かの窓は不用にて、塞ぎ候て可然(しかるべき)旨申(まうさ)けるに、夫(それ)より上(うへ)だちし役人、有來(ありきた)る窓にて、怪異ありとて年久しく差置(さしおき)たる儀、何れ城地(じやうち)の事に候得(さふらえ)ば、江戸表主人へも申立(まうしたて)、其時宜(じぎ)によりて公儀へも伺(うかがひ)有(ある)べき事なりと答へけるを、右六ケ敷(むつかしく)のたまふ故難成(なりがたく)、普請(ふしん)の模樣がへに候間、貴殿と我等内談心付(こころづき)にて直(なほ)し置(おき)て可然(しかるべし)と申(まうす)故、頭立(かしらだち)し人も其心にまかせ右窓を塞(ふさぎ)しに、其夜怪しき小さなるもの、頭は大きく眼(まなこ)すさまじき怪物出て、右作事奉行の頭(かしら)並(ならび)咽(のど)へ喰付(くひつき)、右疵(きず)にて無程(ほどなく)相果(あひはて)、其譯(わけ)江戸表へも聞えて、元の如く窓を取付(とりつけ)し由。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:凶宅の怪窓(かいそう)譚二連発。

・「中川家領□州」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『豐州』とあるから、これは豊後国(現在の大分県の一部)にあった外様七万四百石の岡藩である(大野郡(現在の豊後大野市)・直入(なおいり)郡(現在の竹田市)・大分郡(現在の大分市)を領し、豊後国内にあった藩の中では最大の藩であった)。訳では豊後を出した。文化九年七月は第十代藩主中川久貴(ひさたか 天明七(一七八七)年~文政七(一八二四)年)の治世である(以上はウィキの「岡藩」及び同リンク先に拠った。なお、「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年六月であるから、凡そ二年以前の出来事である)。ウィキの「中川久貴」によれば、寛政一〇(一七九八)年に第九代藩主中川久持の末期養子として家督を継ぎ、文化元(一八〇四)年に『豊後一国の地誌である『豊後国誌』を編纂して幕府に献納し、岡藩の学問水準の高さを知らしめ』、文化四(一八〇七)年からは『横山甚助による藩財政再建を中心とした「新法改革」が実施されたが、専売制や領民に対する重税のために反感を買い』、文化八(一八一一)年には『岡藩において大規模な一揆が発生する。しかもこの一揆は臼杵藩や府内藩にも飛び火した。このため、久貴は農民の要求を受け入れ、横山を罷免することで』文化九(一八一二)年に一揆を鎮めている、とある。また『久貴には実子がいたが、正室の満から娘・育に婿を娶らせて藩主とするよう強要され、譜代大名の名門である井伊氏から久教を養子として迎え』、文化一二(一八一五)年六月に家督を譲って隠居したとある。しかも HIROSAN GOODS 氏のサイト内の「三佐の歴史」の「文化の一揆」を見ると、この勝手方御用掛(藩の財務・民政を掌った役職)横山甚助の行った『新法改革』(文化の新法)が農民にとって苛烈なものであったことが窺え、この何気ない怪異発生の背後に実は、藩自体の病んだ実態も見え隠れするように思われる。もしかすると、この「夫より上だちし役人」――作事方の上司とは、そのずっと上役の勝手方御用掛らしくも見える。いわばこの、後からしゃしゃり出て権力を握っては、旧来の定式(窓)を排して新たに苛政を敷いた、この憎っくき張本人横山甚助なる男に絡めて、仮託したところの創作怪談のようにも、これ、見えてはこないだろうか?――怪異の影に真実が潜んでいる――調べるうち、そんな気もしないでもなくなってきたのであった。……

・「作事方」木工仕事を専門とし藩庁の大工・細工・畳・植木などを統括した役人。後に「作事奉行」と出るが、藩によっては実際に作事奉行を置いていた。

・「城地」岩波の長谷川氏注に、『城に手を加えるなら幕府に断る要あり』とある。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 怪窓(かいそう)の事

 

 中川家久貴(ひさたか)殿御領分、豊後国の御城下の、その城内のことにて御座ったか、或いは中川家御家中に御座った長屋での話であったか、ともかくも――崇りのある――と称して、とある建物(たてもの)の窓のある一箇所を、奇怪なることに、厳重なる塀にて囲みおいてあったと申す。

 ところが、文化九年七月の頃のこととか、その辺り一帯に就き、大きな修復を加うることとなった。

 折りから、作事方(さくじがた)を勤めて御座った役人が、一巡実見の折り、その奇体に封ぜられたる窓を見かけて、

「――かの窓は不用のものなれば、塞いでしまうのがよかろう。」

と判断の上、取り敢えず、作事方支配の上司へ言上致いたところが、

「……あれは……見た目これ、ありきたりの窓にてはあるが……かねてより――怪異のある――と専らの噂のもの。……されば、年久しゅう塞いだままに放置して参ったものじゃ。……しかも孰れ、これ、城地内(じょうちうち)の修繕に相当致す仕儀なれば、江戸表の御藩主様へも、これ、しかと御伺い申し立て、相応の時宜(じぎ)を見計らった上にて、御公儀へも、公に修復の御伺いを致さねばならぬところの案件なればのぅ。……」

との答えで御座った。

 ところが、作事方の者は、

「……お畏れながら、そのように杓子定規に難しゅう仰せにならるればこそ、成し難くなるもの申せませぬか?……これは申さば、普請(ふしん)の――単に――模様替え――で御座いまする。謂わば、とるに足らぬ――ちょっとした修繕――とり繕いにて御座いますれば。……ここは一つ、あなたさまと我らとの、内々の相談の上での分別にて、直しおいて、これ、何らお咎めの、これ、御座ないものと存じまするが?……如何で御座いましょう?……」

と慫慂致いたによって、その上司の者も、

「……そうじゃ、の。……謂わば、それも一理。そなたに任せた。よきに計らえ。」

と、許諾致いて御座った。

 されば、その翌日、作事方、自ら出向いて人夫を指図致いて、かの窓を、これ、なんなく塞ぎ終えたと申す。

 ところが、その夜(よ)のことである。

 その作事奉行が屋敷に、これ……

――怪しき小さなる……

――頭の大(だい)にして……

――真っ赤な眼(まなこ)の爛々と耀いた……

――言うもおぞましき、凄まじき化け物!

――これ、出で!

――屋敷内(うち)を恐ろしい勢いにて駆け巡る!……

と!

……主人が寝間より、恐ろしき叫び声の致いた!

……されば家来の者、押っ取り刀で駈けつけてみたところが……

――かの化け物……

――主人の頭と咽喉(のんど)のところへ

――喰らいついては離れ――

――喰らいついては離れ――

――御家来衆の一人が一太刀、化け物へ加えんとしたところが……

「シャアアッツ!」

と雄叫びを挙げたかと思うと、

ふっ!

と、脱兎の如く、外へ走り去って、これ、姿を消してしもうた、と申す。……

 作事方は、これ、その傷(きず)がもとで、ほどのぅ身罷った、と申す。……

 以上の顛末は、これ、結局、江戸表へも伝えられ、藩主より厳命の下って、元の如く、かの窓を取り付け直した、との由にて御座る。

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