耳嚢 巻之十 大黑を祈りて福を得し事
大黑を祈りて福を得し事
淺草福井町に、元祿の頃とや、至(いたつ)て窮迫せし善五郎といへる、常に正直成(なる)ものにて、大黑を信じけれど共(ども)しるしもなく、或年の暮に甚(はなはだ)難儀なる儘、夫婦寄合(よりあひ)て、かく困窮に成る事誠に活(いき)し甲斐もなし、所詮命繼(つぐ)べき手段なければ、身を捨て、此邊福者(ふくしや)の方へ盜(ぬすみ)に入(いり)、聊(いささか)なりとも金銀盜取(ぬすみとり)て成共(なるとも)、年を可取(とるべし)と申(まうし)ければ、其妻をし止(とど)めて、食盡(つくれ)ば飢死(うゑじ)ぬべし、かゝる事な思ひ、止(とどま)りねと諫めける故、其妻寢入りし後、さるにても如何せんと潛(ひそか)に忍び出で、近邊富家(ふけ)の家を覗(のぞき)しに、板塀ありて物の透(すき)よりこれを見るに、燈火照りかゞやきし儘、いかなる事やと右塀の透へ手を懸□ひありしに、折節雪の後ゆゑすべりて踏外(ふみはず)し下へ落(おち)て絶入(たえいり)りしが、夢心に大黑天顯(あらは)れ、傍に金銀珠玉夥敷(おびただしく)ありしを見て、大黑にむかひ、此年月信仰祈念致(いたし)候に、夫程(それほど)多き金銀を我に少しも惠みたまはざるやと、うらみければ、其金銀にはぬしあり、其方(そのはう)にあたへたけれど、其方にて與福分なし、此金銀の主(ぬし)へかり請(うけ)候樣のたまふゆゑ、右主(ぬし)は如何成(いかなる)人哉(や)と尋(たづね)しに、此邊いづ方の木戸際(きどぎは)に野臥(のぶせ)りせし非人なり、右の者故、我(わが)望む程の金高(かねだか)を證文にいたし相渡(あひわたし)、かり請(うく)べしとありし故、ゆめさめ直(ぢき)に其足にて所々尋(たづね)しに、いかにもきたなげなる無宿、薦(こも)を冠(かぶ)り臥(ふせ)り居(をり)しをおこし、我に金三百兩かしくれ候樣(やう)賴みければ、無宿驚きて、三百兩の金持(もつ)べき謂(いはれ)なし、三文も持(もた)ざる由を答へける故、大黑天の示現(じげん)をこまかに語り、扨(さて)證文を認(したた)め、右の者へ相渡(あひわたし)、出生(しゆつしやう)等を聞(きき)しに、是又謂(いはれ)ある者なれば、我(われ)心の儘に成りなば取立得(とりたてえ)さすべしとて、彼(かの)置文を渡し、兄弟契約(きやうだいのちぎり)なして立分(たちわか)れ歸り、妻へも有(あり)し次第を物語り、夫婦にて大黑天もし授けたまふやと、家のくまぐまを搜し根太(ねだ)を上げ搜しけるに、小高き所有(ある)故掘返(ほりかへ)し見しに、金三百兩ありけるとや。是を元手として夫婦稼ぎける故、無程(ほどなく)身上(しんしやう)宜敷成(よろしくなり)、彼(かの)無宿をも尋出(たづねいだ)し相應に分配して、兩家共(とも)相應に暮しけるが、彼(かの)掘えしおのこは子供なく、無宿のかたには子孫ありて、右本屋は無宿の方にて相續なせし由。何(いづ)れ身分に請(うくる)貨福(くわふく)は、無理成(なる)事にては難成(なりがたし)事と、人の語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。こりゃもう、落語である。
・「大黑天」辞書では、まず、三宝を守護して戦闘を掌る神とし、通常は三面六臂逆髪青黒の忿怒相に作る。中国・日本では食物の神として寺などの厨房に祀られたとあり、更に七福神の一神とも挙げ、狩衣に似た服を着て大黒頭巾を被り、左肩に大袋を背負って右手に打ち出の小槌を持ち、米俵の上に座る像に作る。日本では大国主神(おおくにぬしのみこと)と習合して福徳の神として民間の信仰を集めたと載る。以下、「寺社関連の豆知識」(個人サイト?)の「七福神(大黒天)」がよく纏まっているので、これを参照して今少し細かく概説しておく。サンスクリット語では「マハーカーラ」(「摩訶迦羅」と漢訳する)で、もとはヒンドゥー教の主神の一つシヴァ神の化身にして青黒い身体に髪の毛を逆立てた忿怒相の破壊神・軍神であった(「マハー」は「大」、「カーラ」は「黒色」を意味する)。本来の大陸経由の大黒天は厨(くりや)の神として伝教大師最澄によって日本に伝えられて、比叡山を中心とした天台宗寺院では庫裏(厨房)に守護神として祀られた。比叡山に最初に祀られた大黒天は「三面大黒」と呼ばれ、正面に大黒、向かって左に毘沙門天、右に弁財天を配した一風変わったものであったという。その後、この「大黒」と「大国」が同じ音であることから、大黒天と日本神話の大国主命が習合、本邦の福神としての「大黒さま」像が形成されることとなった。これは神仏習合を経て、真言宗を中心とした仏教側からの本地垂迹説などに基づくアプローチの一環と考えられ、十四世紀に書かれたとされる「三輪大明神神縁起」によると、最澄の前に大黒天に姿を変えた三輪大明神が現われた、とある。『さらに、大黒天の信仰の普及に一役かったのが大黒舞と呼ばれるもので、大黒頭巾をかぶり、手には打出小槌を持って、大黒天に扮して舞う祝福芸である。中世の中頃から行われていたらしいが、「一に俵を踏まえて、二ににっこり笑って、三に盃を頂いて、四に世の中良いように~」という目出度い数え歌を歌いながら、毎年正月に各地の家々をまわり、大黒天の福を分け与えるのである』。『大黒天の信仰が広がると、台所の神様としての側面は、台所の中心となるカマドを守ってくれる神様ということで、カマド神の側面も持ち始めた。大黒天が踏む米俵に象徴されるように、農村では田の神との役割もはたし、商家では商売繁盛の神様という役割もはたすようになる』。『他の七福神がそうであるように、福をもたらすという御利益は如何ようにも解釈できるものである。大黒天の背負う袋は、まさに福袋であり、そこから出てくる御利益は尽きないように見え』たのであろう。なお、『日常生活でよく使われる「大黒柱」とは、家のなかで中心となる柱のことで、そこから転じて、家族を支えて中心となる人のことを指す。なぜ「大黒柱」』かと言えば、かつて『家を建てるとき、土間と座敷の間に中心となる柱が立てられ、そこに大黒天を祀ったからである。この柱は台所にも隣接しており、台所の神という条件もみたしてくれる。そこから「大黒柱」という名前がついたのである』と記す。(この後に『小学館「東京近郊・ご利益散歩ガイド」東京散歩倶楽部編著から転載』と注記がある)。
・「淺草福井町」台東区浅草橋一丁目の内。福井藩松平家がJR浅草橋駅東北直近にある銀杏岡八幡神社一帯を元和四(一六一八)年に屋敷地として拝領したことに由来する。
・「元祿の頃」西暦一六八八年から一七〇四年。「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年であるからえらい古い都市伝説である。
・「透(すき)」は底本の編者ルビ。
・「手を懸□ひありしに」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、『手を掛け這上(はひあが)りしに』となっている。これで採る。
・「與福分なし」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、『可與福分(あたふべきふくぶん)なし』となっている。因みに、福分とは善行・修行の結果が現世でそのまま利益となるものの形を取ったものを指す。
・「木戸」町の境や要所に、保安上の目的から設けられた門。夜間や非常時には閉鎖された(木戸番がいたりしたが、市中の小さなものは、実際には脇の小さな通用口から比較的自由に通り抜けられた)。
・「非人」これは狭義の被差別階級のそれではなく、貧しい人、乞食の謂いである。
・「野臥り」野宿。
・「根太」床板を受ける横木。
■やぶちゃん現代語訳
大黒を祈りて福を得た事
ちと、古き元禄の頃の話で御座る。
浅草福井町に、至って困窮致いた善五郎と申す者の御座った。
常日頃より正直に馬鹿がつくような男にて、これが、昔より大黒さまを厚く信心して御座ったと申す。
されど、これ、その信心の験(しる)し、一度として御座らなんだ。
とある年の暮れのことである。これまた善五郎、はなはだ窮迫致いて、夫婦、薄着にて煎餅蒲団一枚に身を寄せ合っては暖をとりつつ、
「――カ、カ、カッ!……か、かく、貧乏になっては、よ、……ま、真正直に……生くる甲斐も、これ、ナイ!……し、し、所詮……命を、つ、接ぐべき……て、て、手段(てだて)も、これ、な、なければこそ!……コ、ここは一つ……身(みぃ)を捨てて……コ、この、あ、辺りの金持ちが方へ……ぬ、ぬ、ぬ、盜みに入(はい)って……こ、これ……い、いささかなりとも……金銀、ぬ、ぬ、ぬ、盜み取ってでも!……年をば、越そうぞッツ!――カ、カ、カッ!……」
と、余りの寒さと悪事の後ろめたさから、歯をうち鳴らし、言葉も震わせ、かく女房に囁いて御座った。
すると、その妻、これ押し止(とど)め、
「……食べる物の尽きたら……これはもう、飢死にしましょう!……よもや、そのようなこと、するも、思うも、恐ろしきこと!……決して、なりませぬ!」
と諫めた。
されど、しばらく致いて、やっとその妻の寝息を立て始めたによって、
『……そうは言うても……さても……どうしよう……いや!……やっぱ、何とかせずんば、これ、なるまい!……』
と、善五郎、こっそり長屋を忍び出でて、近き所の裕福なる家を品定め致いて、ここぞと思うた屋敷の、その板塀の透き間より、これ、中を覗き見てみた。
すると……何やらん……まぶしいぐらい、異様な燈火(ともしび)の、これ、照り耀いて御座ったによって、
「……何じゃあ? こりゃあ?……」
と、思わず、その塀の透き間へ手を懸けて這い上らんしたところが、折から、雪の降った後のことなれば、足を滑らし、塀の廂よりすってんころりん、外側に踏み外して、下へ落ち、道っ端のごろた石に、したたか頭を打ちつけて気絶してしもうた。……
……さても……
……その夢心地の中にて……
――大黒天
これ、示現(じげん)致いて、その、傍らには、これ
――金銀珠玉
夥しゅう、積まれて御座った。……
……されば、善五郎、大黒に向い、
「……この年月(としつき)、ずーぅっと信仰祈念致いて参りましたに!……それほど多きに溜め込んだる金銀、これ、どうしておいらに、少しも恵んで下さらなんだ?!……」
と、恨み言を申した。すると大黒、
「……その金銀には……これ……持ち主(ぬし)のおるのじゃ……その方に与えたくは思うが……その方には与えらるるべき福分(ふくぶん)が……これ……全く……ない。……ないが……しかし……一つの法はある……この金銀が主より……その福分を借り受くれば……よい……」
と大黒天の仰せられたによって、善五郎、
「――そ! そ! その主ちゅうんは、これ如何なるお人で、ごぜえやすかッ?!……」
と泡食って訊ねたところ、
「……この辺りの……どこぞの木戸際(きどぎわ)に……野臥(のぶ)せ致いておる乞食である……その者こそがこの宝のまことの主なればこそ……そなたが望むだけの金高(かねだか)を……これ……証文に致いて相い渡し……それを借り受くればよい……」
と聴こえた――と――思うたら、善五郎、泥雪の冷たさに目の醒めた。
されば、善五郎、その足で所々の木戸という木戸を尋ね歩いてみたところが、これ、
――いかにも汚げなる無宿者
薦被(こもかぶ)りして道っ端に横になって寝て御座ったれば、この者を揺り起こし、
「――わ、わ、わ、我らに! かの! お宝より! これ! 金三百両! お貸し下されぇいぃッ!!……」
と、突然頼んだからたまらぬ。
無宿者、これ、大きに驚き、
「……なぁん?……儂(わし)が……さ、三百両の金子?……そんなもん! 持っとるはずないやろ?!……このなりをよぅ見い!……儂ゃ、三文も持っとらんわいッ!……乞食なればとて、ひ、人を馬鹿にするのも、ほどがあるわッ!!……」
とえらい剣幕で怒ったによって、善五郎は、先に見た大黒天示現(じげん)の奇瑞をこと細かに、大真面目で、その男に語って御座ったと申す。
無論、乞食は、これを聴いても、一向、訳も何も分かららんだによって、
『……こりゃあ……ちいと……頭のいかれとるんかも知れんな……』
と思い、乞食ながらも何やらん、この大黒狂いを哀れに思うたによって、
『……もともとないものなれば……惜しむべくもないわ、の……』
と、
「……よっしゃ!――三百両!――貸したろう!!」
と、半ば面白がって請けがって御座った。
さて、歓喜雀躍致いた善五郎、その場にて何度も使(つこ)うてばりばりになった鼻紙をとり出だし、その辺りにあった木端を筆とし、泥水を墨と致いて、
――三百両借入の証文
これ、認(したた)め、その無宿者へ渡さんと致いた。
その折り、とりあえず、その乞食の出生(しゅっしょう)なんどを訊いたところ、これまた、普通ならば、凡そ、そのようなる境涯に堕つるべき者にては、これ、御座らぬ者で御座ったれば、
「……おいらが、この三百両にて、心の思うがままの暮らしを成せるようなったならば、これ、きっと! お前さんに三百両、これ、耳を揃えてお返し申す! 約束しょうぞ!!」
と請けがって、かの証文を、これ確かに引き渡した。
そうして最後に、善五郎、
「――あんたとおいらは――これで――兄弟(はらから)じゃ!」
と義兄弟の契りまで交わした上、これ、たち別れたと申す。……
さても夜半も過ぎて長屋へ戻った善五郎は、件(くだん)の不思議なる出来事の仔細を妻へ物語って御座った。
すると妻も、これ、信心深き優しき者にて御座ったによって、夫婦して、染みだらけの天井を拝むと、
「――大黒天さま! もしや! ほんに、三百両! これ、お授け下さいまするか?!」
と、夫婦二人、狭い家の内、隅々まで、これ、その三百両の顕現しておらぬかと、捜しまわって御座った。
さても、畳を上げ、床板もへり剥がし、根太(ねだ)なんどまでおっ外して捜したところが……
……床下のど真ん中の……
……埃だらけの地面に……
……これ……少しばかり……
……盛り上がったる所……
これ、御座った。……
されば善五郎、板切れを以ってそこを掘り返して見てみたところが……
――油紙に包んだる
――金三百両
これ、御座ったと申す。……
さても、これを元手として、夫婦して本屋を始め、これがまた、大きに繁昌致いて、相応に稼いで御座ったによって、ほどのぅ身上(しんしょう)もよろしゅうなって御座ったと申す。
されば、正直者の善五郎なれば、かの無宿者をも尋ね出だいて、それまでに儲けた金子を相応に分け与え、ともに、それなりの暮らしを立つることの出来て御座ったと申す。
さて、その後(のち)のこと、この善五郎夫婦には子供がおらなんだが、元無宿者の方(ほう)には子や孫の御座ったによって、かの本屋は、元無宿者の方にて、これ、相続なしたと申す。……
「……いやさ……それぞれの身分の者の、受くるところの貨福(かふく)と申すは、これ、盗みなんどの非道無理なる振る舞いにては、これ、成りがたきものにて、御座るのでありましょうのぅ……」
とは、とある御仁の語った話で御座った。
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