耳嚢 巻之十 假初の滑稽雜話にも面白き事有し事
假初の滑稽雜話にも面白き事有し事
大久保邊に神宮の社ありて、文化九年九月祭禮に、俗に地口行燈(ぢぐちあんどん)とて燈籠をとぼす繪に、禪門と一老人と燈下に碁を圍みいる所を畫(ゑが)き、又側(そば)に若き女居眠り居(をり)、壹人の女子手を揚げて伸(のび)をなす所を認(したた)め、行燈いづれも百人首の上句をとり、
かささぎの渡せる橋のおく霜の棕櫚箒を見れば夜ぞ更にける
と歌を書(かき)しが、此歌しろきをしゆろきにかへ、主人の碁にこりしにあき果(はて)たる所、おもしろき趣向なり。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。狂歌シリーズ。これを見ると、根岸自身、かなり狂歌が好きだったことが窺われる。彼自身、作ってないのかしらん? あったら、これ、とっても読みたい!
・「大久保邊」現在の新宿区大久保と旧東大久保村のあった新宿区新宿の一部。
・「神宮の社」不詳。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『神明の社』(天照大神を祭神とする神社)とあるが、現在の大久保や旧東大久保(さらには旧大久保百人町や西大久保村等の鎮守社には高田馬場にある神社もある)などに複数の神社があるものの、神宮或いは神明社を見たす神社は見当たらない。識者の御教授を乞う。
・「文化九年九日」西暦一八一二年。「卷之十」の記載の推定下限は文化十一年六月。
・「地口行燈」底本の鈴木氏注に、『ぢぐちあんどんといふ、地口とは、耳なれし言葉の、語音の相似たるを用ひて、一語に二様の意味を含まする戯れにて、これを行燈に顕して下に疎画を添へ、初午等に街上に立て、賑を添へるもの。(三村翁)』とある。
・「伸(のび)」は底本の編者ルビ。
・「かささぎの渡せる橋のおく霜の棕櫚箒を見れば夜ぞ更にける」は、
かささぎのわたせるはしのおくしものしゆろはうきをみればよぞふけにける
或いは、本文通り、
かささぎのわたせるはしのおくしものしゆろきをみればよぞふけにける
と読む。言わずもがなであるが、これは「百人一首」第六番の大伴家持の歌(「新古今和歌集」冬之部・六二〇番歌)、
かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける
のパロディで、底本の鈴木氏注には、「棕櫚箒」について、『長尻の客を帰らせるまじないに、下駄に灸をすえるとか、箒を逆さに立てるなどがある』とする。本文にあるように、長っ尻の碁の対戦相手を早く追い返すための、妻の「逆さ箒」の呪(まじな)いである(が、それが一向に効果を示さないことをこの戯画が示しているところが、またまた面白いのである)。ネットの質問サイトの答えなどによれば、箒は古えの神道の祭祀に用いた神聖な道具で(竃神(かまどがみ)のいる竃の清掃に用いる荒神箒のように稲霊(いなだま)の宿る稲の穂の芯を材料にして作られている点や、物を掃くという挙止動作に特別な霊力をイメージしたのであろう)、「箒を跨ぐと罰が当たる」とか、妊婦の枕元に置いて安産のお守りとなるといった、さまざまなジンクスが残るが、この逆さ箒は、「無用な残溜物を掃き出す」「邪悪なものを祓う」という箒の民俗的機能からの連想であり、逆さに立てるという動作は古代の神事の際の捧げ持ち方に通ずるものであるという説が示されてあった。私の知れるそれ(漫画「サザエさん」で見た)は、この箒の掃く部分に手拭いをかけて客がいる襖の向こう側にこっそりと立てるというものであった。この狂歌は碁石の「白」石に加えてその「白」手拭いの色をも「棕櫚」の「逆さ箒」にイメージとして「白き」に掛けているように私には読めたが、如何?
■やぶちゃん現代語訳
ちょっとした滑稽の雑話にも面白きことのある事
大久保辺りに神宮の社(やしろ)のあり、俗に「地口行燈(じぐちあんどん)」と申して燈籠を灯し、その紙に戯画と、ちょっとした戯れ言を記す風俗の御座るが、その文化九年九月の例祭にて、
――町屋の主人が、禅門の僧と思しい一老人と燈下に碁を囲んでおる所
を描き、また、側には、
――若き女の居眠り居り、今一人の女子(おなご)は手を挙げて伸びを致いておる
所を認(したた)めた行燈のあった。
また、この折りは、居並ぶ行燈、これ、その地口、百人一首の上の句を取った狂歌仕立てで御座ったが、その絵には、
かささぎの渡せる橋のおく霜の棕櫚箒を見れば夜ぞ更にける
と歌を添え書きして御座った。
この歌、「しろき」を「しゅろき」に変え、主人が碁に凝るのに飽き果てた妻子(つまこ)を掛けた、如何にも面白い趣向である。