耳嚢 巻之十 房齋新宅怪談の事
房齋新宅怪談の事
文化の頃、下町にて房齋(ばうさい)といへる菓子屋、色々存付(ぞんじつき)の菓子を拵へ殊外(ことのほか)はやりしが、數寄屋橋(すきやばし)外へ、同九年八月の頃引越して、召仕(めしつか)ひの小もの二階の戸をあけるに、半分明(あき)て何分(なにぶん)不明(あかざる)故、手に強く敲(たた)きて明(あく)るに明(あか)ず。右音を承り、何故かく手あらくいたし候や、損ずべしとて、亭主上りてあくるに、聊かとゞこほらず。又たてる時も、外(ほか)召仕ひ上りてあくるに不明(あかず)、漸くして強くをしければあきぬ。あけの日又右戸を明(あく)るに明(あか)ざれば、嚴敷(きびしく)押(おし)て建(たて)ぬれば、戸袋の間より女壹人顯(あらは)れ出て、右の男に組付(くみつ)く故、驚周章(おどろきあは)て突退(つきのけ)しに消失(うせ)ぬ。其明けの日、亭主二階にて、右召使一同見たる、きのふ顯れし女のひとへ物、軒口(のきぐち)に引張(ひきは)りありし故、取退(とりのけ)んとするに消失ぬ。先に住ひしものも、かゝる怪異ある故、房齋にゆづりしならんかと、人の語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。五つ前の「怪倉の事」に続く本格凶宅物。これ、三分の二が経過して初めて二種の怪異が出来(しゅったい)、しかもその一つは安倍公房的な二次元的妖女の出現(この平面状の女が膨れ上がって厚みを以って一個の女へと実体化して襲いかかってき、突きのけた瞬時に、空気に溶け込んで消失するシーンは頗る絶品である)という、なかなかにシュールな上質の一篇である。数少ない「耳嚢」中の怪異譚の中でも私が偏愛する佳品なれば、訳には細部に臨場感を出すための翻案を施してある。悪しからず。
・「文化の頃」「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年六月であるから、文化一年(享和四(一八〇四)年二月十一日に文化に改元)から、ここは九年八月引っ越すまでのまでの八年を閉区間とする。
・「下町」ウィキの「下町」によれば、『歴史的に江戸時代の御府内(江戸の市域)で、高台の地域を「山の手」と呼び、低地にある町を「下町」と呼称されたという。東京における下町の代表的な地域は、これもばらつきがあるが日本橋、京橋、神田、下谷、浅草、本所、深川である』。『徳川家康は江戸城入城後、台地に屋敷を造ったのち、低湿地帯を埋め立てて職人町等を造ることにし、平川の河口から江戸城に通じる道三堀を造ったのを手始めに、掘割が縦横に走る市街地の下町を造成していった。芝居小屋や遊郭などの遊び場も栄え、江戸文化が花咲いた』。『東京の下町は運河や小河川が縦横にあり、橋を渡らないと隣町に行けないところという見解がある。この地域には道路や川を越した先を「むこうがし(向こう河岸)」という表現がある』とある。
・「存付」「存じ付く」という動詞は、思いつくの意であるから、考案したオリジナルの趣向のものを指す。
・「數寄屋橋外」数寄屋橋は寛永六(一六二九)年に江戸城外濠に架けられた橋。現在の晴海通りにあり、周辺の地域も数寄屋橋と呼ばれる。JR有楽町駅の南直近で、「外」とあるから現在の中央区銀座四丁目か五丁目付近に相当する。
■やぶちゃん現代語訳
房齋(ぼうさい)新宅の怪談の事
文化の頃、下町にて房齋と申す菓子屋、これ、いろいろ自ずと考案致いた菓子を拵え、殊の外、流行って御座った。
かの房齋、数寄屋橋(すきやばし)外へ、同九年八月の頃、引っ越して御座った。
*
その引っ越した翌朝のこと、召し使っておる小者(こもの)が、その二階の雨戸を開けんとしたところ、半ばまでは開いたものの、建て付けでも悪いものか、それ以上、いっかな、動かぬ。されば、拳でもって、
――ドン! ドン! ドドン!
と、戸の上下を強く叩いて開けんとしたが、やはり、これ、開かぬ。
ところが、この音を聴きつけ、
「――こりゃ!! お前さん! どうしてかくも手荒きことを致すんじゃ! 壊れてしまうではないか!」
と叱りつつ、亭主房齋が二階へ自ずと上って参り、召し使いを払いのけると、手ずから、開けようとした。
すると、
――すうーっ
と開いて、いささかも、これ、滞ることのぅ、戸袋へと収まって御座った。……
*
その日の暮れ方、雨戸をたてる折りには、亭主房齋、
「……乱暴な、あ奴には任せられん。これ、そこの、お前。行って、たてておいで。」
と、先とは別の召し使いが命ぜられて、二階へと上ぼって行き、さても戸袋から戸を引き出さんと致いたが、これ、今度は、引き出そうとしても引き出せず、暫く何度もぐいぐい引いた末、
――逆に強く押すや否や、間髪を入れずまた
――ぐっ!
と強く引いたところが、
――すうーっ
と出でて参り、これ、戸をたつることの出来て御座った。……
*
さても、翌朝こと、先夜に戸をたて得た殊勲によって、かの召し使いがこれまた、房齋に命ぜられ、かの戸を戸袋に仕舞わんと致いた。
ところが、これまた、戸袋へ半ば入ったところで、いっかな、動かずなった。
されば昨日の塩梅にて、逆に、
――ぐっ!
――と強く引いては即座に押しこんで
戸袋に突き込んだ。
――と!
――戸袋の間より!
――女が一人!
――現われ出で!
――その召し使いの男に組みついた!
――男はこれ! 驚き慌て! その女を強く突く退けた!……
……と!……
……女は……これ……消え失せて御座った…………
*
房齋は、その召し使いの者より、奇体な女の出現を聴いて、半信半疑ながらも、その日はこれ、不気味に覚え、二階は戸をたてさせずにそのまま放っておかせた。
さても、そのまた翌朝のこと、房齋は召し使い一同を引き連れ、その二階へと上がって、恐る恐る、かの窓の方(かた)を覗き見た。……
……と……
――軒口に
――これ
――女の真っ赤な単衣(ひとえ)物が
――これ
――引っ掛かって
――獣の臓物の如く
――朝の風に
――靡いておった……
と、それを恐る恐る房齋の背の後ろから覗き見た、かの召し使い、
「……ご、ご、主人さま!……あ、あれ! 昨日、戸袋より現われ出でたる、あの、あやかしの女が! き、着ておったものこそ、あ、あれで! 御座いましたぁッツ!!……」
と申したによって、房齋、ここは一つ気を強ぅ持たずんばならず、と、自ずと窓へと近づくと、軒の方へ顫える手を伸ばして、
――バタバタ――バタバタ――バタバタ――……
と、妙に癇に障る音を立てておる、その、単衣を、これ取り払わんとした。……
……と!……
……今あったはずの単衣……これも……消え失せて御座った…………
*
「……先(せん)にこの家に住もうて御座った者も、かくなる怪異を同じく体験致いて御座ったれば、気味(きび)悪るうなって、そうした怪異のあるを一切告げることのぅ、かの房齋にかくも体(てい)よく、この家を譲ってででも御座ったものか?……」
と、以上は、さる御仁の語って御座った話である。