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2015/03/11

耳嚢 巻之十 婚姻奇談の事

 婚姻奇談の事

 

 神田邊に□□といへる小料理茶屋ありしが、壹人の娘あり。容色も才力も相應にて、何ひとついかゞの事もなかりしに、不思議に、緣組をなして婚禮を四五度もなしけれども、不緣にて戻りけるに、近き比(ころ)、雛人形を拵(こしらへ)候事に妙を得し秋月(しうげつ)といへるも、女房を持(もち)て差戻(さしもど)しける事是も五六度なりしに、懇意なる者共(ども)、是はよき夫婦なるべしとて秋月に話しけるに、至極可宜(よろしかるべし)と承知しけれども、容儀も不見(みず)候てはいかゞの由、秋月好(このみ)に付(つき)、先方へも咄しけるに、これ又承知にて、日柄を極め明神の茶屋にて見合(みあひ)の積(つもり)、秋月も仲人せ話(わ)する者同座にて右茶屋へ罷越(まかりこし)、酒食等申付(まうしつけ)、仲人(なかうど)を振舞(ふるまひ)、料理茶屋の方にても親をつれ親幷(ならびに)仲人打交(うちまぢ)り、其際(そのさい)座敷に酒肴(しゆかう)取(とり)ちらし、醉(よひ)も半(なかば)に、彼(かの)秋月襖(ふすま)の透(すき)より彼(かの)娘を見しにことに氣に入(い)れば、可貰(もらふべき)由を申(まうす)。娘の方(かた)にても承知の由ゆゑ、双方の仲人手を打(うつ)て尚又酒を吞(のみ)けるが、酒も長し、氣に入候上は間の襖をはづし可然哉(しかるべきや)、當世風に可致(いたすべし)とて襖をはづし、互(たがひ)に盃を取かわし諷(うた)ひ睦(むつ)びし上(うへ)、かく相談も調ふ上は直(ぢき)に此處(ここ)を祝言の席となし、今晩婚禮可然(しかるべし)として、夫(それ)より秋月宅へともなひ終(つひ)に夫婦となしけるとかや。文化七年の十二月二十三四日の事にて、里びらきは年内済(すみ)しや春に成しや、これは未(いいまだ)不聞(きかざる)由。或人かたりける。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。旧来の保守的な見合いの形式がよく分かる。それにしても一体、この娘も秋月も、何がどうして何度も不縁であったものか? 正直、そっちの方が私は気になっている。最後の部分も、これ、それを暗に匂わせている、と私は思う。

・「秋月」底本の鈴木氏注に、『江戸買物独案内、万木彫細工、御雛師、本町二丁目木戸際、原舟月、とあり、此の人にや。(三村翁)』とある。これである(リンク先は「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」の「江戸買物独案内」の当該箇所画像)。「本町」は日本橋本町(にほんばしほんちょう)で現在の中央区日本橋本町。この頃は江戸本町或いは単に本町と呼称し、江戸を代表する町として名高かく、老舗の商店が数多く軒を連ねていた。

・「文化七年の十二月二十三四日」グレゴリオ暦では一八一一年一月十七、十八日に当たる。この十二月は大の月で、大晦日までは六、七日しかない。これが最後の「里びらき」云々の絡みとなるのである。因みに「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年六月である。

・「里びらき」里帰り。「ひらき」は「かえり」を忌んだもの。妻が結婚後に初めて実家に帰ること。一般的には結婚の後三日目或いは五日目に夫が妻を妻の実家まで送り、夫は婚家に帰って妻は自分の実家に宿泊し、翌日、妻の母が妻を夫のいる婚家に送り届けるという形式をとった(主にウィキの「里帰り」に拠る)。これはプラグマティクには、暗に肉体関係を終えた妻の様子を心配し、確認する意味合いが古くはあったものと考えられる。ここでは、そうした性的交渉が「さとびらき」という語音と密接に絡みついており、話者のエロティックな想像が伝わるように仕組まれている――と私は大真面目に思っている。それは私が猥褻だからだ! と指弾されるかも知れぬ。結構毛だらけ猫灰だらけ粋な姐ちゃん立小便っテぇんだ! おいらは確かに猥褻ってもんよ! 確信犯ってぇ奴さね! ♪ふふふ♪……

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 婚姻奇談の事

 

 神田邊に××と申す小料理茶屋があるが、ここに一人の娘が御座った。容色も才力も相応に御座って、見た目、これ、非の打ちどころない娘であったが、にも拘わらず、不思議に、縁組をなして、婚儀も四、五度も挙げたれども、悉くうまく行かず、出戻って御座った。

 一方、これ、本町(ほんちょう)辺りに、雛人形を拵える生業(なりわい)に妙を得て御座った「秋月(しゅうげつ)」と申す職人の御座ったが、これ、女房を持っては気に入らず実家へ差し戻すことの、これもた、五、六度に及ぶ男の御座った。

 さてもこの両家ともに懇意にしておる者どもが、これまた、たまたま何人か御座ったによって、

「――出戻り妻と――差し戻し夫(づま)――これは……きっと! よき夫婦(めおと)となろうぞ!」

とて、ある時、秋月に水を向けると、

「……いや……出戻りだろうが何だろうが、これ、よき女(じょ)なれば、至極、宜しゅう御座る。」

と承知致いた。が、

「……とは申せ、とりあえずは、これ、容姿を拝見致いてみてからでなくては、やはり、これ、如何(いか)なものにて、御座ろうかのぅ……」

と、秋月から希望の御座ったによって、先方へもこのことを話したところが、これまた、娘が方も承知して御座ったによって、よき日柄なんどを極め、神田明神の茶屋に於いて、型通りの見合いを、まずはとる、ということと相い成って御座った。

 秋月も、彼の側の仲人(なこうど)として世話致す者と同座にて、その茶屋へと罷り越し、酒食なんど申しつけ、仲人を饗応、一方、娘の料理茶屋が方にても、親を連れて同茶屋へと参り、親并びに娘方の仲人もうち交わって、秋月の部屋と襖(ふすま)一枚を隔てたる隣り座敷にて、饗応の宴げが行われて御座った。

 さてもその際、両宴げも酣(たけなわ)となって座敷内には酒肴(しゆかう)の、これ、結構に取り散らかされて、酒も相当に入って酔いもこれ、文字通り酣(たけなわ)となったによって、かの秋月、酔うた勢いに、堪らずなって、襖の透きより、隣室の、かの娘を覗き見たところが、これ、殊の外、気に入って御座ったによって、

「――これはもう! 二つ返事で――もらう!!」

と頻りに申した。

 裏より、この旨、隣り座敷へ伝えたところが、娘が方(かた)にても、これ、承知の由ゆえ、双方の仲人連(れん)、

「えー! そんでは! 三本締めにてェ! お手を拝借ゥ!」

と声合わせ、手拍子合わせて、

「いよーォ!」

――シャシャシャン! シャシャシャン! シャシャシャンシャン!

「いよー!」

――シャシャシャン! シャシャシャン! シャシャシャンシャン!

「もう一丁!」

――シャシャシャン! シャシャシャン! シャシャシャンシャン!

「……いやァ! めでてえなァア!」

とやらかし、なおもまた、引き続いて酒宴となったが、

「……おぅイ!……酒ももぅ吞みだして大分(だいぶ)経った。……さてもヨ! 秋月さんヨッ! 気にイッて御ザンすならばヨ! そん上は、これ、間(あいだ)の襖を外すに――これ、若(し)くはなかろう!……どうヨ! 当世風に参ろうゾゥ!!……デヘヘヘェ!……」

と、襖をおっ外し、互いに盃(さかずき)を汲みかわし、高歌放声、娘と秋月は勿論、親から爺婆(じじばば)に至るまで老若男女(ろうにゃくなんにょ)、これ、入り乱れて、睦(むつ)み合い、上へ下への、これ、大騒ぎ、とんだ無礼講となって御座った。

 そのうち、場の誰かが、酔うた勢いにて、

「……ヒック!……か、かくも婚礼の相談も調うて仕舞(しも)うたからには、じゃ!……この上は……ヒック!……直ちにィ!……ココを祝言(しゅうげん)の席と成してじゃ!――今晩この場を――これ――婚礼の夜宴(やえん)――と成すが、よろしかろうぞッツ!……」

とぶち上げたところ、

「それはエエ!」

「オオゥ! 祝言じゃ!」

「婚礼じゃア! 婚礼じゃア!」

「めでてぇ宴げじゃで! 初夜じゃっデェ!……初夜!……デヘヘェ!……」

と、遂にそこで祝言の儀、これ、全員、べろべろのまんまに執り行われ、それより夜(よ)も更けてより、千鳥足の差し戻しの秋月、よろよろになったる出戻り娘を伴い、自宅へと道行と相い成って、そのまんま遂に――夫婦(めおと)――となった、とか申す。……

 

「……これは文化七年の暮れも押し迫ったる、十二月二十三日か四日のことで御座ったによって、さても……娘の、かの――里開(さとびら)き――は……これ……年内に済んだるものか?……いや……大酒を喰らっての床入りなれば……それとも……明けて新春となってからのことにて御座ったものか?……いやいや……こればかりは……未だ聴き及んで御座らねば、の……♪ふふふ♪……」

とは、ある人の、にやついて語って御座った話である。

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