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2015/03/30

耳囊 卷之十 雷も俠勇に不勝事

 

 雷も俠勇に不勝事

 

 文化十酉年八月朔日(ついたち)、雨は強くもあらざりしが雷は餘程强く、三四ケ所あまり落(おち)しが、淺草西福(さいふく)寺近所に殘町といふ所有(ところあり)、〔此(この)殘町は御藏(おくら)前の掃集米(はきあつめまい)を賣買(うりか)う渡世なす處。〕此普請ありて、鳶人足共(ども)五七人あつまり居(をり)し處へ落ければ、彼(かの)ものども、雷を打殺(うちころす)べきと、其邊の材木鳶口(とびぐち)抔をもちて、雲ほど走り、火の玉獸やうのもの駈(かけ)めぐりしを、目あてに打敲(たたき)けるに、雷も不叶(かなはず)とや思ひけん、西福寺の方へ逃(にげ)しを追駈(おひかけ)しに、西福寺の構(かま)へに大木ありしを攀(よじのぼり)て、右よりあがりしとなり。命をしらざる壯年の俠氣(けふき)、かゝる事もありと、評判をなし、かしこに住(すめ)る札さしの手代成る者も、來り語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。再び、直近の都市伝説に戻っている。

・「雷も俠勇に不勝事」は「かみなりもきようゆうにかたざること」と読む。「俠勇(きょうゆう」は自分の損得を顧みず、弱い者のために力を貸す義侠心があって、勇ましく男らしいこと、また、その人。

・「文化十酉年八月朔日」「卷之十」の記載の推定下限は翌文化一一(一八一四)年六月。「文化十酉年八月朔日」はグレゴリオ暦で八月二十六日である。台風襲来の時期である。

・「掃集米」所謂、札差で扶持米を代行して受け取りそれを分配・荷造・搬送する際に、零れ出たり、粉砕されて細かくなった屑米を集めたものであろう。江戸の無駄のない効率的なリサイクル事情の中では当然、それを仕入れたり、商品として安く売り捌くことを生業(なりわい)としていた者がいたことは想像に難くない。

・「あまり落し」底本の鈴木氏注に、『アマルは落雷することであるから、アマリオチルは重言である』とある。平凡社「世界大百科事典」の「雷」に「万葉集」巻三に「伊加土(いかづち)」という用語例があり,「イカ」は「厳」を意味する形容詞の語根で、「ツチ」は「ミヅチ(蛟)」の「ツチ」と同じく、「蛇」の連想を有する「精霊の名」であったらしい。「雷」の方言に「カンダチ」といっているが、これは「神の示現」という意で、落雷を「アマル」というのも「アモル(天降る)」の意味であるからとされている。これらはいずれも雷を神とする考えを示すものであり、かつては神が紫電金線の光を以ってこの世に下るものと考えられていたのである、とある。角川書店「新版 古語辞典」には「天降(あも)る」(自動詞ラ行四段活用)は「天(あま)下(お)る」を原型とし、連用形「あもり」の用法のみが認められると附記し、①天上からおりる。「葦原の瑞穂の国の手向けすとあもりましけむ」(「万葉集」巻十三・三二二七)②行幸なさる。「行宮(かりみや)にあもりいまして、天の下治めたまひ」(「万葉集」巻二・一九九)とある。

・「西福寺」底本の鈴木氏注に、『三村翁「西福寺は浅草南元町にあり、残町といふ地不知、は誤記か。」残町の地名のいわれも割注にあるので、誤記とも考えられない。西福寺前から蔵前片町へ出る通りに添って次兵衛下ゲ地という一劃がある。享保十七年の火災に同人の住居が塗り家作であった為に焼け残ったので、大岡越前守から褒美に下された地という。それで残町という俚称が至れたのではないかとも想像される』とある。私は「殘町」はてっきり米の「残り」を扱うからと早合点していたのだが、真相は火事の焼け残りの謂いらしい。東光山松平良雲院西福寺と号して現存する。浄土宗で、当時の幕府米蔵の西、現在の地下鉄蔵前駅の西北西二百メートル弱、台東区蔵前四丁目にある。鈴木氏の言われる「次兵衛下ゲ地」も所持する切絵図に「次兵ヱ買下地」と特異な表記になってあるのを確認出来た。 

 

■やぶちゃん現代語訳 

 

 雷も侠気(おとこぎ)には勝てぬという事 

 

 文化十年酉年八月朔日(ついたち)のことと聴く。

 雨は強くもなかったが、雷がこれ、殊の外激しく、三、四ヶ所あまり落ちて御座ったが、浅草西福(さいふく)寺近所に残町(のこりまち)という所があり――この「残町」と申すは御蔵(おくら)前の掃集米(はきあつめまい)を売り買いするを渡世となす商人(あきんど)が御座ったところである――、この日、ここで普請のあって、鳶(とび)・人足(にんそく)どもが五、七人が集って御座った。と! その近くへ、

――グワラグワラ! ピシャッツ! ドドン!!

と、雷の落ちて御座ったところが、かの者ども、

「――ワレ! こらッツ! 雷なんぞ! 打ち殺してやろうじゃねえかッツ!」

と、雄叫びを挙ぐるや、その辺りに御座った材木やら、鳶口(とびぐち)やらを、手に手に持つと、雲から走り出で、火の玉となれる、これ、何やらん獣の如き物の怪の、これ、駈け巡って御座ったを目当てに、

「――すわッツ!! あれが憎っくき雷獣じゃッツ!!!」

と、てんでに、これ、したたかに打ち敲き廻った。

 されば、雷獣も、

――こりゃ、叶わぬ!

とでも思うたものか、西福寺の方(かた)へと逃げる。

 が、これまた、男どもの、こぞって追い駈くる。

 雷獣はこれ、西福寺正面に大木御座ったを、攀(よじのぼ)り、その先っぽにて、これ、線香花火の如(ごと)、

――チラッチラ……

とチンケに瞬いたかと思うと、

――煙の如、ふっと

消え失せたと申す。

 命知らずの壮年の男気、これ、かの辺りにて、

「――こんなこともあるもんじゃのぅ! でかいた! でかいたぞッツ!」

と、町衆のやんやの喝采を浴び、どえらい評判となって御座る由。

 そこに住まうところの札差の手代なる者、その――雷神の如き侠勇らの雷獣雷撃の一部始終を――これ、実見致いた旨、私のところへ参った折り、語って御座った。

 

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