耳嚢 巻之十 龜玉子を生む奇談の事
龜玉子を生む奇談の事
人見幸榮(こうえい)曰(いはく)、蛇と龜と交(まぢは)るといふ古說有(あり)しが、いかにもさる事有るや、龜の玉子四つ產(うみ)候に、かへり候時、ふたつが一つは是非(ぜひ)蛇にかへると、まのあたり見しと也。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。動物博物誌。これ以降、四連発となる。また、八つ後に「龜と蛇交る事」でこの続編が載る。底本の鈴木氏注に、『亀が蛇を食うということが、『続博物志』に見えている。『沙石集』には蛇と亀と蛙が友達で、蛇が亀を使者にして蛙を招く話がある。蛇が女を犯す話は多いが、天武紀には蛇が犬と交って両方ともにすぐ死んだという記事がある。とかく話題が多い動物である』とある。「続博物志」は、宋の李石が晋の張華が著した「博物志」に倣って諸種の異聞を集めて天象・地理等の順に分類配列した博物誌。「天武紀」は「日本書紀」の天武天皇本紀のことであるが、私はこのような箇所を捜し得なかった。識者の御教授を乞う。「沙石集」の話は巻五「學生なる蟻(あり)と蟎(だに)との問答の事」(南都春日野の学僧の房の近くに棲むアリとダニの仏法問答というぶっ飛びの異類ファンタジーである)の中に出る。以下に示す(読み易さを考え、カタカナを平仮名に直した岩波文庫一九四三年刊の筑土鈴寛校訂「沙石集 上巻」を用いた)。
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……經論の中に畜類の問答多く見えたり。大論には、或池の中に、蛇(じや)と龜と蛙(かはづ)と知音にて侍けり。天下旱(ひでり)して、池の水も枯れ、食物もなうして、うゑてつれづれなりける時、蛇、龜を使者として蛙のもとへ、時の程おはしませ、見參せんと云ふに、蛙、返事に偈を說きて、飢渇(けかつ)せめられぬれば、仁義をわすれて食のみを思ふ。情も好(よしみ)もよのつねの時こそあれ。かかる時なればえまゐらじとぞ、返事しける。げにもあぶなき見參也。ぐつとのまれなば、如何に思ふともよみがへる道もあらじ。……
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この「大論」というのは「大智度論」(龍樹による「摩訶般若波羅蜜経」の注釈書)のこと。岩波の古典古典文学体系の「沙石集」の頭注によれば、同論の十二(大二十五・百五十下)に載るとある。
・「龜玉子を生む奇談の事」この標題ではぴんとこない。「龜蛇の玉子を生む奇談の事」の脱字として訳した。
・「人見幸榮」不詳であるが、医師っぽい名で、この二十五話後の「古石手水鉢怪の事」に『御醫師に人見幽元と申すあり』と出、鈴木氏はこれを『禁裏の医師から幕府に仕え』た人見『友元』と注しておられる。この人物は元禄九(一六九六)年没とあるから(「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年)、この医師の子孫か縁者ではなかろうか?
■やぶちゃん現代語訳
亀が蛇の玉子を生む奇談の事
人見幸栄(こうえい)曰く、
「……蛇と亀とが交わるという古き説の御座るが、如何にもそのようなこともあるものか、我らの飼って御座る亀、これ、時に玉子を四つほども産みまするが、孵(かえ)って御座った折りには、これ、二つに一つは必ず、蛇の子が孵って御座る。いや! 我ら、目の当たり見て御座ったことなれば、確かなことにて御座る。」
とのことであった。
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