耳嚢 巻之十 珍ちん麥の事
珍ちん麥の事
備後にちんちん麥といふあり、上品の由。餘國にもある事、聞(きき)及びしや、備後福山城主阿部備中守より賜りし事ありしに、其味(あじは)ひ格別にて、予麥の飯は餘り好まざれど、彼(かの)麥は甚(はなはだ)よく覺へければ厚く禮を述(のべ)しに、傍に脇坂中書公有(あり)て、チンチン麥は別段の事、中書朝鮮人來港の御用にて、則(すなはち)備中守領内を通りしに、麥と思敷(おぼしき)もの畑に見事にみのりしを見しに、通途の大麥は野毛(のげ)多き處、一向毛なく、小麥ともまた異なり。兼て聞(きき)及びし故、珍々麥やと、側なる者もて尋(たづね)しに、所のもの、さん候、能(よく)御存(ごぞんじ)と申(まうし)けるが、中書の案(あんず)るに、チンチンの號、其謂(いは)れあるか。土俗毛のなき處より、小兒の陰莖をちんこといふに批(ひ)して申(まうし)ならはしけると、格物せしと語りぬ。左(さ)もあるべき事也。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。食用植物博物誌。
・「珍ちん麥」芒(のぎ)のない麦類ということで調べて見たが、捜し方が悪いのか、種として探り当てることが出来なかった。これを単子葉植物綱イネ目イネ科オオムギ属オオムギ変種ハダカムギ
Hordeum vulgare var. nudum とする記載も見かけたのだが、画像を見る限りに於いてハダカムギには芒はある(但し、ウィキの「ハダカムギ」を見ると、この種群は『粒の皮裸性(実と皮の剥がれやすさ)に着目した系統名のひとつで、オオムギの品種のうち実(穎果)が皮(内外穎)と癒着せず容易に離れるため、揉むだけで皮が剥けてつるつるした実が取り出せる品種群のことをいう』とあって、この性質をかく言っているのだろうか? 識者の御教授を乞うものではある。ただ、野生種であればあるほど、遠くへ飛ばすために芒は長く大きくなる傾向があるから、この地方で栽培改良されたものは、芒が著しく細く短くなったものであった、という風には推理は出来るように思われる。
・「聞及しや」底本には「や」の右に『(也カ)』と訂正注がある。
・「備後」備後国。広島県の東部分に相当する。現在の福山市(坪生(つぼう)地区東部・野々浜地区の一部を除く全域)・尾道市(生口島(いくちじま)・瀬戸田町地区を除く全域)・三原市(西部・沼田川以南を除く全域)・府中市全域・三次(みよし)市(江(ごう)の川以東の全域)・庄原(しょうばら)市全域・世羅(せら)郡全域・神石(じんせき)郡全域に該当する(以上はウィキの「備後国」に拠る)。
・「福山城主阿部備中守」主に備後国(広島県東部)南部および備中国(現在の岡山県西部一帯)南西部周辺を領有した福山藩(藩庁は福山城(現在の広島県福山市)。譜代。石高十万石。「卷之十」の記載の推定下限文化一一(一八一四)年六月当時は第五代藩主阿部正精(まさきよ 安永三(一七七五)年~文政九(一八二六)年)で、この頃は幕閣として奏者番兼寺社奉行でもあった。また、この三年後の文化十四年には老中に昇格している。
・「脇坂中書公」播磨龍野藩第八代藩主脇坂安董(わきさかやすただ 明和四(一七六七)年~天保一二(一八四一)年)。官位は従五位下淡路守から従四位下中務大輔・侍従に進んだ。この後、以前に勤めた寺社奉行に戻った後、やはり老中となっている。「中書」は中務省の唐名。龍野藩は播磨国龍野周辺を領有した藩で藩庁は龍野城(現在の兵庫県たつの市)。
・「朝鮮人來港の御用」朝鮮通信使による幕府への「聘礼(へいれい)」(品物を贈る礼式)は天明の大飢饉以降(実際には政治的駆け引きによる)、中止されていたが、翌文化八(一八一一)年に二十年ぶり「易地聘礼」(「易地」は場所を江戸から対馬に変えることをさす。幕府予算の削減が目的)が実現した。脇坂の言うのはその時の御用である(御用の内容は不明だが、対馬へ実務官僚として出向いたものか)。因みに、この時、安董は奏者番兼寺社奉行であった。
・「思敷(おぼしき)」は底本の編者ルビ。
・「大麥」イネ科オオムギ
Hordeum vulgare 。
・「野毛」底本には「や」の右に『(芒)』と訂正注がある。「のぎ」で、稲・麦などイネ科植物の実の外殻にある針のような毛のことであるが、これは「のげ」とも読み、本文自体はこれで問題ない。
・「小麥」イネ科イチゴツナギ亜科コムギ連コムギ属パンコムギ(又はコムギ)
Triticum aestivum 。コムギ類の方が芒は小さいが、この本文の記述は寧ろ、大麦の仲間のくせに芒がなく、小麦とも全然違う、というニュアンスではある。こうなってくると寧ろ、「野毛」、針状の多数の芒ではなく、大きな一本の芒を持つ(或いは持つだけに見える)、それが、あたかも陰毛のない、子どものおチンチンのような感じであるところの、ハダカムギの一品種を指しているのかも知れない。
・「格物」物の本質を究めること。「格物致知」という語があり、これは物事の道理や本質を深く追求し理解して知識や学問を深め得ることを言い、「大学」に由来する語とされる。これは一説に、宋の朱熹が出典を「知を致いたすは物に格(いた)るに在り」との意で読んで、自己の知識を最大に広めるにはそれぞれの客観的な事物に即してその道理を極めることが先決である、とする解釈、また一説には、明の王陽明が「知を致すは物を格(ただ)すに在り」の意で読んで、生まれつき備わっている良知を明らかにして天理を悟ることこそが自己の意思が発現した日常の万事の善悪を正すことである、とする解釈である(他にも諸説あり)。ここは――対象たる特異な「麦」の形状の観察から「ちんちん」命名の真相を究めた――と大仰に面白おかしく言ったものであろう。
■やぶちゃん現代語訳
珍々麦の事
備後に「ちんちん麦」という麦の御座って、なかなかの上製の品であると申す。他国にもあるとのことを聞き及んだこともあったやも知れぬ。
「と申す」と述べたものの、実は私、以前、備後福山城主阿部備中守正精(まさきよ)殿より、この「ちんちん麦」を賜わったことが御座って、食させて戴いたのであるが、その味わい、これ、格別のもので御座った。
正直申せば、私は麦の飯、これ、あまり好まず御座ったれど、この麦は特別で、はなはだ美味く思うたによって、阿部殿には後日、厚く御礼を致いたのであった。
ところが、その時、たまたま傍らに脇坂中務大輔(なかつかさだいすけ)安董(やすただ)殿がおられ、
「――いや! チンチン麦は、これ、格別の味わいにて御座っての! 我らも先年、朝鮮通信使御来港の御用にて、備中守殿の御領内を通行致いた折り、麦と思しきものが、これ、沿道の畑に美事に稔って御座ったを見申したが、普通の大麦は芒(のぎ)がもしゃもしゃと頗る多御座るが、これには一向、毛がない。かと申して小麦とも全く違(ちご)うたもので御座った。かねてより、その名を聞き及んで御座ったによって、
『これがかの珍々麦であるか?』
と、側なる者に命じ、訊ねさせたところ、土地の者が、
『その通りにて御座いまする! よくぞ、ご存じで?!』
と申して御座った。
さても、拙者、按ずるに、この「チンチン」と申す名は、その謂われ、このようなものにて御座るまいか? 則ち、
――土俗にて、細かなもしゃもしゃした毛がないところより、それを小児の陰茎を、これ、「ちんこ」と言うに譬えて、かく呼び慣わしおる――
と、拙者は格物(かくぶつ)致いたので御座るが、さても、如何がで御座ろう?」
と、語られた。
いや! 実にその通り! 素晴らしき御明察――格物致知――と存ずる。