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2015/03/27

耳嚢 巻之十 佛像を不思議に得たる事

 佛像を不思議に得たる事

 

 淺草邊に住(すめ)る御旗本の健士(けんし)、樂術の師抔しけるが、獵を好み網を淺草川に打(うち)しに、右網に灰切の如きもの懸りしを、何ならんと取上見しに、釋迦の像なれば持歸(もちかへ)りて淸めなどせしに、いかにも古びたる品ながら、面目(めんもく)のかたは慥(たしか)にわかり、背はしやれて有(あり)しを、木村孫八と云(いへ)る健士は石川氏の弟なるが、其實母に與(あたへ)んと、若(もし)いらずばと乞(こひ)しに、いとやすき事なりとて與へしを、石川の母に贈りしに、殊外(ことのほか)悦び尊崇して圖笥なども二重に出來て殊外尊信ありしが、右佛像功者成(なる)者に見せしに、殊外古き物にて和物(わもの)にあるまじ、誠の赤栴檀(しやくせんだん)と思ふよし、いかにも其香氣一(ひと)かたならず、此程は右を見るとて客來(きやくらい)多しと石川語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:土中から魚を掘り出したかと思ったら、魚の住む水中から舶来の釈迦の像が出現でよく繋がっている。

・「淺草川」岩波の長谷川氏注に、『隅田川の浅草辺の称』とある。

・「樂術」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『柔術』。それで採る。

・「灰切」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『炭切』(長谷川氏は「すみきれ」とルビ)。切り炭のこと。それで採る。

・「しやれて」「しやれ」は自動詞ラ行下二段活用動詞下「しやる(しゃる)」(口語ではラ行下一段活用「しゃれる」)の連用形。「しやる」は「曝(しや)る」「晒(しや)る」で、これ自体も「曝(され)る」が変化したもので、長い間、日光や風雨・水などに曝されて色や形が変わること、晒されて白っぽくなることを言う。

・「石川氏」突然出るので戸惑うが、話者。

・「圖笥」底本には右に『(厨子カ)』と推定訂正がある。

・「赤栴檀」「大辞泉」には、檀香(香木の栴檀・白檀・紫檀などの総称)の一種で木肌の色が赤みを帯びている。白檀の芯材を言うこともあり、中国では沈香(じんこう)を指すこともあった、とある。しかし、このシャクセンダンの学名が分からぬ。ビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダン Santalum album と同一か、その亜種のようにも思われる。「沈香」が正しくは沈水香木(じんすいこうぼく)で代表的な香木の一つ。東南アジアに生息するジンチョウゲ科ジンコウ属アクイラリア・アガローチャ Aquilaria agallocha などの沈香木類などが風雨や病気・害虫などによって自分の木部を侵された際、その防御策としてダメージを受けた部分の内部に樹脂を分泌、その蓄積したものを、採取して乾燥させ、木部を削り取ったものを言う。名は、原木そのものは比重が〇・四と非常に軽いものの、樹脂が沈着することで比重が著しく増加し、水に沈むようになることから。幹・花・葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても微妙に香りが違うために、わずかな違いを利き分ける香道において、組香での利用に適している。沈香は香りの種類、産地などを手がかりとして、いくつかの種類に分類される。その中で特に質の良いものは伽羅(きゃら)と呼ばれた(以上の「沈香」の記述はウィキの「沈香」に拠った)。但し、この釈迦像はそのままの状態で香っているから、この沈香製ではないようだ。なお、本邦の「栴檀」はムクロジ目センダン科センダン属センダン Melia azedarach とは全く別種であるので注意が必要。「栴檀は双葉より芳し」の「栴檀」もこのムクロジ目センダン科センダン属のセンダン Melia azedarach ではなく、このビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属のビャクダン Santalum album であるので注意。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 仏像を不思議に得た事

 

 浅草辺りに住まいする御旗本の家士、これ、柔術(じゅうじゅつ)の師範などをもなしておったが、川漁をも好んで御座ったと申す。

 ある日のこと、網を浅草川で打っておったところ、その網に切り炭(ずみ)のようなものが懸ったによって、

「……はて。何じゃ?」

と、網より取り外してよぅ見たところが、これ、

――釈迦の木像

にて御座ったと申す。

 されば、屋敷へ持ち帰って、洗い清めなど致いたところ、背は水の中にあったによって、すっかり色褪せて御座ったものの、如何にも古びたる品ながら、顔形(かおかたち)目鼻の方(かた)、これ、たしかに判別出来たと申す。

 さてここに、その御仁の柔術のお弟子としておられた同じき家士の一人に、これ、木村孫八と申す――実は本話の話者であらるる石川氏の弟なるよし――者の御座って、その実母がこれ、仏道に深く帰依なし、日頃よりお釈迦さまの尊像を持仏として持ちたいと申しておったによって、その像を師の見せくれた折り、ひどく心惹かれたによって、

「……お畏れ乍ら……この尊像……もし、先生には御不要とならば……我が母に与えとう存じまする。……」

と、乞うた。すると師は、

「――それは! たいそうた易いことじゃ! 是非、御母堂へ差し上げなさるるがよいぞ。」

と、即座に渡し呉れたと申す。

 さても、かくしてその石川殿が弟、その母に、この釈迦木像を贈ったところ、殊の外、悦んで尊崇なし、それを安置するために、小さいながらも二重になったる、堅牢にして荘厳(しょうごん)も美しい厨子(ずし)などをも拵え、しきりに尊信致いて御座ったと申す。

 ある時、御母堂、知れる御仁の一人に、目利きの出来る御方のあったれば、その仏像を親しく見せて御座ったところが、

「……こ、これは!……殊の外、古き品にして……いや! 本邦にて彫られたる物にては、これ、御座るまい!……しかも、その材には、これ、正真正銘の天竺に生(お)うるところの、幻の赤栴檀(しゃくせんだん)を用いて御座るようにお見受け申す!……ほれ! よぅ、香りを聴いてみなさるがよい!」

と申したによって、御母堂、尊像を鼻先へと持って参ったところが、これ、

――いかにも!

――その香気!

――えも言われぬ美薫(びくん)!

にして、それはそれは、一方(ひとかた)ならぬもので御座ったと申す。……

「……近頃では、この尊像を見んとて、来客、引きも切らず――という次第にて御座る。……」

と、私の知れる、その兄石川殿の語って御座った。

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