耳嚢 巻之十 屁ひり蟲奇説の事
屁ひり蟲奇説の事
屁(へ)ひり蟲、背中に白き星あり。右蟲をとらへ、板あるひは疊に押付(おしつく)る、屁をひり粉(こな)を出す事、其背の星の數(かず)程なり。其(その)數(かず)過(すぎ)ぬれば、屁をひらず、また粉を出さゞる由。
□やぶちゃん注
○前項連関:博物誌であるが、この話柄、明らかに前の話と同様、特定の数に拘った奇妙な観察で(カメのバウンド回数と同じく、ミイデラゴミムシのガス噴出回数と背中の斑紋の個数との因果関係についても私は観察したことがないし、そのようなデータもないと思われるので断定は出来ないけれども)、私はこの話自体、前話の強迫性障害傾向を持つ同じ話者がニュース・ソースであるように思われてならないのである。根岸が「奇説」と標題するのもこの御仁、ちと危ないか、と思っている証左ではあるまいか。
・「屁ひり蟲」鞘翅(コウチュウ)目オサムシ上科ホソクビゴミムシ科Pheropsophus 属ミイデラゴミムシ
Pheropsophus jessoensis に代表される防備行動として肛門腺からガスを噴出させるホソクビゴミムシ科のゴミムシ類のことで、これらを俗に「ヘッピリムシ」と呼称する。ウィキの「ミイデラゴミムシ」から引く。『成虫の体は黄色で褐色の斑紋があり』(本文では「白き星」とあるが、ホソクビゴミムシ科の画像を見る限りでは白色の星は見当たらない。但し、ミイデラゴミムシのそれも薄い褐色であるから「白」という表現に私はあまり違和感を感じない)鞘翅に縦の筋が九条ある。『ほとんどのゴミムシ類が黒を基調とする単色系の体色である中で、数少ない派手な色を持ち、また、比較的大柄』(凡その体長は一・六センチメートル)『であるため、かなり目立つ存在である。捕まえようとすると腹部後端より派手な音を立てて刺激臭のあるガスを噴出する。日本列島内の分布は北海道から奄美大島まで。大陸では中国と朝鮮半島に分布する』。『湿潤な平地を好む。成虫は夜行性で、昼間は湿った石の下などで休息する。夜間に徘徊して他の小昆虫など様々な動物質を摂食する。死肉も食べ、水田周辺で腐肉トラップを仕掛けると採集されるが、腐敗の激しいものは好まず、誘引されない』(以下に他の昆虫の卵塊や蛹を捕食寄生的に摂取して幼虫が成長するホソクビゴミムシ科全体の幼虫の食性特性の解説が入るが割愛する)。『他のホソクビゴミムシ科のゴミムシ類と同様、外敵からの攻撃を受けると、過酸化水素とヒドロキノンの反応によって生成した、主として水蒸気とベンゾキノンから成る』摂氏百度を超える『気体を爆発的に噴射する。この高温の気体は尾端の方向を変えることで様々な方向に噴射でき、攻撃を受けた方向に自在に吹きかけることができる。このガスは高温で外敵の、例えばカエルの口の内部に火傷を負わせるのみならず、キノン類はタンパク質と化学反応を起こし、これと結合する性質があるため、外敵の粘膜や皮膚の組織を化学的にも侵す。人間が指でつまんでこの高温のガスを皮膚に浴びせられると、火傷まではいかないが、皮膚の角質のタンパク質とベンゾキノンが反応して褐色の染みができ、悪臭が染み付く』。『この様に、敵に対して悪臭のあるガスなどを吹きつけることと、ガスの噴出のときに鳴る「ぷっ」という音とから、ヘッピリムシ(屁放り虫)と呼ばれる。他のゴミムシ類、オサムシ類も多くのものが悪臭物質を尾端から出して外敵を撃退しているのでヘッピリムシ的なものは多く存在するが、ミイデラゴミムシのようなホソクビゴミムシ科のそれは、音を発し、激しく吹き出すことで特に目を引く』とある。さらにこの現象について「反進化論」という項が立てられてあり、これがなかなか面白いので、そこも引用しておく(段落は省略した)。『主に創造論者らによる反進化論の証拠として、この仲間の昆虫のもつガス噴出能力が取り上げられることがある。その論は、「このような高温のガスを噴出できる能力は、非常に特殊な噴出機構がなければ不可能であるし、そのような噴出機構は、このようなガスの製造能力がなければ無意味である。つまり、少なくとも二通りの進化が同時に起こらなければならず、このようなことは突然変異のような偶然に頼る既成の進化論では説明が不可能だ」というものである。それに対しての反論は以下の通りとなる。特殊な噴出機構がなくても単に「少し熱い」ガスでも十分に役に立つし、実際に北米大陸には非常に原始的な噴射装置と混合装置をもつ』一種
Metrius contractus (ホソクビゴミムシ科:但し、多くの北米の研究者らはオサムシ科に含める)『が知られている。このような種の存在からも漸進的な噴射装置と混合装置の進化は可能であることが推定でき、ホソクビゴミムシ類の噴射装置を反進化論の証拠とするのは適当ではない。また、ヒゲブトオサムシ科(アリのコロニーに寄生する種を多く含む群であり、これも北米の研究者らの多くはオサムシ科に含める)にも同様に噴射装置を持つものがあるため、ホソクビゴミムシ類とヒゲブトオサムシ類が同じ系統に属すると考える研究者もいる。その場合噴射装置はこのグループの進化の途上でただ一度だけ獲得されたものであり、ホソクビゴミムシ類とヒゲブトオサムシ類共通の祖先から受け継がれたものであることになる。それに対し、ホソクビゴミムシ類とヒゲブトオサムシ類は多少なりとも縁遠く、その噴射能力はそれぞれの系統で別個に進化・獲得されたものだと考える研究者もいる。もし後者の論が正しければ、噴射能力の獲得は生物進化においてそれほどまれではない現象ということになる』。「『昆虫行動』ミイデラゴミムシの高温ガス噴出」で動画が見られるが、ちょっとこの実験、昆虫嫌いの私だが、それでも見た目、可哀そうな感じがするので自己責任で閲覧されたい。
■やぶちゃん現代語訳
屁ひり虫についての奇説の事
屁(へ)ひり虫は、背中に白い星のような斑紋がある。かの虫を捕え、板或いは畳に押しつけると、屁をひって、白い粉を吹き出すが、その屁の放出回数は、その背中にある星の数と一致する。その星の数(かず)を過ぎてしまうと、屁をひることはなくなり、また、粉も噴き出さなくなる――とのこと。
« 耳嚢 巻之十 龜玉子を生むに自然の法ある事 | トップページ | 尾形龜之助 「夜」 心朽窩主人・矢口七十七中文訳 »