耳嚢 巻之十 龜玉子を生むに自然の法ある事
龜玉子を生むに自然の法ある事
番丁邊のある丁寧(ていねい)の人屋鋪内(やしきうち)畑へ、御堀より龜あがりて右畑へ玉子を産み、腹にて上へ砂をかけ押付(おしつけ)候。數(かず)何れも九々の數にて、八十一づゝ腹に押付置(おき)候を、不詮なく數へ見しにいづれも八十一なりと申ける由。
□やぶちゃん注
○前項連関:亀奇譚二連発。なお、カメは実際には産卵のためには最初にまず後ろ足を用いて穴を掘り、産卵後に砂や泥をかける際にも用いるのは腹ではなく後ろ足である。但し、この腹部をバウンドさせて土を固める行動は実際に行う。亀神氏のブログ「和亀の日々 クサガメ・イシガメの飼育」のこちらを参照されたい。なお、八十一回かっきりバウンドするかどうかは知らない。寧ろ、私はこの「丁寧の人」の観察行動の方に異様な拘りを感じる。ご存じの方も多いであろうが、殆んど意味のない対象の数を数えることに執着するのは強迫神経症(強迫性障害(Obsessive–compulsive disorder , OCD))の典型的症状の一つだからである。しかも、この人物は実際には「八十一」でない(私は観察したことがないし、そんな観察データもないと思われるので断定は出来ないけれども)その回数を「八十一」に無理矢理合わせようとしている(思い込んでいる)と考えてよく、これはOCDに於いて、異常なまでに不吉とする数や逆に拘りの数というものがあって、その数を日常的に常時避けたり、逆にその数を無意味に繰り返したりする、病的な「数唱強迫」の可能性がすこぶる高いからである。しかし、この亀のバウンド八十一自体の話柄は妙に明るい映像だ。彼のOCDが日常生活に問題のないレベルで留まり続けたものと思ってあげたい気は私もしているのである。
・「番丁」番町。現在、東京都千代田区番町(一番町から六番町まで)として名が残り、怪談「番町皿屋敷」でも有名。ウィキの「番町」によれば、現在の番町一帯は『皇居より西に位置する領域。南の新宿通り、北の靖国通りに挟まれ、東端は半蔵濠、西端は東日本旅客鉄道中央本線が走る旧江戸城の外濠(跡)である。山の手の代表的な住宅地の一つであり、都心部における高級住宅街の代表格である。現在は、マンション中心の住宅街となっている』とあり(下線やぶちゃん)、さらに『江戸時代の旗本のうち、将軍を直接警護するものを大番組と呼び、大番組の住所があったことから番町と呼ばれた。大番組は設立当初、一番組から六番組まであり、これが現在も一番町から六番町に引き継がれている。実際には、例えば、一番町がさらに堀端一番町、新道一番町というように細分化されており、江戸時代の大番組の組番号と、現在の町目の境は一致しない』とある。
・「丁寧の人」亀の腹押しの回数を何度も観察して統計をとるという性格から考えて、物事に几帳面な人、異様に拘る神経質な人物という意味であろう。
・「不詮なく」意味不明。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、『所詮なく』とあり、長谷川氏が『何の考えもなく。無作為に』と注されておられるので、これを採る。
■やぶちゃん現代語訳
亀が卵を生むに際して驚くべき自然の理法がある事
番町辺りの、とあるすこぶる几帳面な性質(たち)の御仁の屋敷内(うち)の畑(はたけ)へ、御堀よりしばしば亀の登ってきては、その畑へ卵を産むのであるが、その際、その腹を器用に使って産んだ卵の上へ砂をかけた上、さらに卵が外敵に見つからぬよう、産卵場所を、やはり腹を以って軽く押し付け、平たくする行動を見せるという。
さて、この御仁、その亀が卵を隠すために成す、その押し付け行動のその押し付ける回数を、ある時、何気なく数えてみた。
すると、如何なる場合もこれ、九々の数(かず)に必ず一致して、取り敢えず複数回、確認してみた限りでは、常に八十一回ずつ腹にて押し付けていることが確認出来た。
その後、産卵時期に、無作為に何度も何度もその回数を数えてみたところ、孰れの場合もこれ、きっかり、八十一度なのであった。……
……とは、この定数に驚き、その回数を何度も何度も数えた、驚くべきその御仁の、直談で御座った由。