耳嚢 巻之十 感賞の餘り言語を失ひし事
感賞の餘り言語を失ひし事
折井何某、類燒の後、家作は挾く鋪り、廣き屋敷へ蕣(あさがほ)を一面に植置(うゑおき)しに、花の盛りはいと見事なる事の由。予がしれる與力を勤(つとめ)し隱居も知人にて、蕣を見に兩三人うちつれてまかりしに、彼(かの)隱居花の夥敷(おびただしき)を感賞の餘り手を打(うち)て、さて馬鹿々々敷(ばかばかしき)と言出(いひいだ)し、跡を言(いふ)べき事なく、誠(まこと)に赤面無言なりしと、自身の咄し也。我等よくつゝしむべき事と、爰に記しぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:なし。
・「折井何某」底本の鈴木氏注に、『寛政譜には折井は三家ある。本家は千二百石、分家は二百石。別の一家は武田の旧臣の家で百五十石』とある。
・「挾く鋪り」底本では「挾」の右に『(狹)』と訂正注、「鋪」の右に『(ママ)』注記がある。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『狹く修理(しつらひ)』となっている。バークレー校版で訳した。
・「蕣」底本の鈴木氏注に、『文化の頃橘流行し、桜草石菖に及び、やがて朝顔流行、文政になりて松葉蘭の流行となりしとぞ。(三村翁)』とある。当時の好事家の朝顔栽培の様子やその変形朝顔の品種改良はアットホーム株式会社公式サイト内の米田芳秋氏のインタビュー記事『江戸のバイオテクノロジー「変化アサガオ」の不思議な世界』に詳しい。必見である。以前にとある本で読んだが、この手の動植物飼育栽培の江戸期の異常な流行は想像を絶するものであったらしい。
■やぶちゃん現代語訳
感動のあまり言語を失ったる事
折井何某(なにがし)殿、大火の類焼の後(のち)、新築なされた家屋を、これ、ことさらに狭く設(しつら)え、広い屋敷地にはこれ、朝顔を一面に植えおいたところ、盛りには、たいそう美事な花を咲かせておる由。
私の知れる、かつて与力を勤めて御座った隠居も、この折井殿の知人にて、その満開の朝顔を見に、三人の朋輩をうち連れて訪ねたところが、この隠居、朝顔の花の夥しき美観にいたく感じ入って、その感動を言葉にせんとした。
ところが、まさに得も言われぬ恍惚のあまり、申すべき詞(ことば)のうまく浮かばず、思わず、手を打って、
「……さ、さても!……馬鹿馬鹿しき!……」
と、とんでもない台詞を言い出だいてしまい……これ……遂に……後を継げずなって御座ったと申す。
「……いや! まっこと、これ……赤面致いてしもうて……ただただ、黙りこくっておるしか御座らなんだわ……」
とは、その隠居自身の語って御座った話である。
こうした、如何にも文字通り――馬鹿馬鹿しい――失態……これ我らも、思い当たることの御座れば……よくよく、恍惚たる感動の折りにはこれ、厳に詞を慎まねばならぬことなりと、ここに記しおくことと致す。