耳嚢 巻之十 古石の手水鉢怪の事
古石の手水鉢怪の事
御醫師に人見幽元と申(まうす)あり。茶事にも心ありしが、番町にて〔名も聞(きき)しが忘れたり〕古き石の手水鉢(てうづばち)あるを見てしきりに所望なせしが、右は年久敷(ひさしく)、庭にありて、調法なすにもあらざれど、殊外(ことのほか)根入(ねいり)ふかき由言(いひ)ければ、夫(それ)は人を懸けてほらせ可申(まうすべき)間、何卒可給(たまはるべし)と約束して、其日になりて人夫を雇ひ、根入りはいとふかけれど難なく掘出(ほりいだ)し、光榮事幽元方へ持込(もちこみ)、扨々珍器を得たりと、殊外欽(よろこ)び寵愛せしに、其夜より右手水鉢、歸るべき由申(まうす)よし。家内これさたに、石の物言ふといふ事有(ある)べきやうなしと、兎角夜に入れば物言ふ事やまず、恐れて元に歸しけるとや。譯ありて事を怪(くわい)にたくしけるか、石(いし)魂(たましひ)ありてかくありしやしらず。
□やぶちゃん注
○前項連関:妖狐から付喪神(つくもがみ)の怪異譚連関。
・「人見幽元」底本の鈴木氏注に、『友元。名は宜郷(ヨシタカ)。父資知(玄徳、法橋、瑞祥院)が禁裏の医師から幕府に仕え、七百石を与えられた。宜郷も法眼に叙し、延宝二年家を継いだが、また林春斎などと共に儒者として活動。元禄九年没、六十』とある。「朝日日本歴史人物事典」によれば、人見竹洞(ひとみちくどう 寛永一四(一六三八)~元禄九(一六九六)年)は江戸前期の儒学者で漢詩人とし、名は節、字を宜卿、通称又七郎、友元(ゆうげん)、号は竹洞・鶴山など。本姓は小野氏で、禁裏の医師の子として京都に生まれ、幼年から江戸に出て林羅山に学び、徳川家光の御代、世子家綱の御伽役となり、後に幕儒に任ぜられて剃髪したとある。また、林一門の歴史書「続本朝通鑑(つがん)」編纂に参画、法眼に叙せられて延宝二(一六七四)年、家督采地七百石を相続、公務では朝鮮通信使応接・武家諸法度(天和令)成稿・諸家諸寺に出す朱印状作成などに携わり、同じ儒官木下順庵らとの「武徳大成記」(松平氏の発生から徳川家康の一生の事跡武功を記した歴史書)編述は徳川綱吉の御代の業績の一つとされる。かく代々の将軍の信任を得、幕府の修史・書記役を主としたが、諸大名旗本の間或いは林家を介した学者文人連中との交流の中心にもいて、詩文も名勝に寄せたものや贈答の作が多い、とある。鈴木氏注の「林春斎」は林羅山の三男林鵞峰のこと。それにしても「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年であるから、没年から数えて百二十一年前、珍しく異様に古い都市伝説引っ張り出した感がある。最後にかく附言しているところを見ると、根岸は何か、怪異仕立て背後に別の生臭い真相を嗅ぎ取ろうとしている感じが濃厚である。これは手水鉢ではなく、人間の女(庶子の娘とか女房とか下女とか)なのではあるまいか?
・「光榮」底本には右に原典のママ注記。齟齬が多いのは実名を出すに躊躇したか。現代語訳ではそれを意識して総て名はママとした。
・「家内これさたに」底本には「これ」の右に原典のママ注記。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、『家内取沙汰(とりさた)に』である。それで訳した。
・「石の物言ふといふ事有べきやうなしと、」底本には「なしと、」の右に編者の『(ママ)』注記。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版も同じ。末を「と申せど」で訳した。
■やぶちゃん現代語訳
古石(ふるいし)の手水鉢(ちょうずばち)の怪の事
幕医に人見幽元(ゆうげん)と申す御仁がおられた。
茶事(ちゃじ)にも造詣の深くあられたが、番町にて、とある御仁の屋敷内に――名も聞いたが失念致いた――古き石の手水鉢のあるを見かけ、
「……これは!――よき形(なり)――よき紋様(もんよう)じゃ! 気に入った!」
と、当主へ、これ、しきりにその手水鉢を所望致いて御座ったが、主(あるじ)は、
「――これは年久しゅうこの庭に御座るものにて、まあ、これといって調法致いておるわけにても御座いませぬが……ただこれ、殊の外、根深(ぶこ)ぅ据えて御座いますれば。……」
と応じたところが、幽元殿は、
「――何の! それは相応の人を雇うて掘らせまするによって、何卒、給わりとう存ずる!」と、切(せち)に望まれたによって、譲る契約を交わした。
さてその日となって、力自慢の人夫をも雇い――確かに異様に深く据えられては御座ったが――難なく掘り出だいて、光栄(こうえい)こと幽元殿方屋敷へと持ち込んで、庭に据えつけた。
幽元殿、しみじみ、この手水鉢を見、
「――さてさて! 珍らしき名器を得たわい!」
と、殊の外、悦ばれ、頻りに寵愛なした。
ところが、その移築致いた、その夜より始めて、毎夜、かの手水鉢、
「……帰りたい……帰して……」
と呟く声を、これ、家中の者の誰彼(たれかれ)が聴いたと言い始めた。
主人は幕医にして儒者でも御座ったによって、家中の表向きの沙汰にては、
「――石が物を言うなどという事、これ、あるびょうもない!」
ときつく申しては御座ったものの……これ……確かに……夜に入るるや……かの庭の手水鉢の方より……
「……帰りたい……帰して……帰して……」
と物言うこと、これ止まず、主(あるじ)も気味悪うなって、遂には元の屋敷へと戻し返したとか申す。
これしかし……何か表沙汰に出来ぬ訳のあって、事を怪に仕立ててたものか?……
それともこれ……まっこと……石に魂(たましい)の御座ってかく訴えたものか?……
今となっては、これ、藪の中にて御座る。……